1.「荒々しく、はっきりと」
仏教用語に「名体不離」という言葉がある。仏の名前(名)と仏そのもの(体)は別々のものではなく、離れがたい関係にあることを指す。つまり、仏の名前には仏そのものの特性が表象されており、仏の有り様は名前によって規定されると考える。仏の名を唱える「念仏」の根拠となる概念である。
いきなり競馬とは関係のない話から入ったのは、個人的な考えとして、「名馬」と呼ばれる条件の一つに、この「名体不離」があるからだ。
つまり、馬名を見ればその馬の走りが自ずと想像できるような馬、あるいはその馬の馬生を知ればその馬名が付けられることが運命づけられていたかのように感じられる馬こそが、名馬と呼べるのではないか。シンボリルドルフ・ウイニングチケット・テイエムオペラオー・ディープインパクト・アーモンドアイなど、「名体不離」が当てはまる名馬は数多い。
そして私が最も「名体不離」を感じた馬こそ、ドゥラメンテであった。
ドゥラメンテの名は音楽用語に由来する。音楽用語の「duramente」は、「荒々しく、はっきりと」の意。ドゥラメンテは、その名の通り、荒々しく奏でられた一曲のような馬であった。
2.「これほどまでに強いのか」
ドゥラメンテは重賞初挑戦となる共同通信杯までに3戦しているが、その内2戦で出遅れたりゲート内で暴れたりと一筋縄ではいかない姿を見せている。しかし、その末脚には確かなものがあり、共同通信杯では単勝1.8倍と人気を集めた。
ところがゲートを問題なく出たところまでは良かったものの、掛かり気味になって末脚を発揮できず2着に終わる。この時点での個人的な印象としては、「良血馬としての気品や素質は感じるもののGⅠの舞台で頂点に立てるほどの大器かと考えると疑問符を付けざるを得ない」というものであった。ただ一方で、私はこの年のクラシック戦線において、ドゥラメンテと同じく堀宣行厩舎所属である無敗の弥生賞馬・サトノクラウンを本命視していたので、この2頭の皐月賞前における完成度を見比べていた面があるかもしれない。しかし、皐月賞で初めて1番人気を他馬に譲った(1番人気はサトノクラウン)ことを踏まえると、多くの競馬ファンもこの馬の力を測りかねていたのではないだろうか。
しかし、2015年4月19日の皐月賞、ドゥラメンテの衝撃的な走りを目にすることとなった。
懸念していた通り出負けして後方からレースを進めることになったドゥラメンテは、第4コーナーで大きく斜行し、大外にふくれた。この時点で私は「ドゥラメンテの好走はなくなった」と判断し、ドゥラメンテに接触されかかったサトノクラウンを心配しながらキタサンブラックとリアルスティールの追い比べに目を移していた。しかし、完璧な立ち回りをしたリアルスティールが押し切って勝利することを確信したところで飛び込んできたのは同じサンデーレーシングの勝負服──ドゥラメンテであった。
まさに、次元の違う末脚で見事な差し切り勝ち。フジテレビで実況を務めた吉田伸男アナウンサーの「これほどまでに強いのか」という驚嘆の言葉は、全ての競馬ファンの代弁であったろう。率直に言って、理解不能な走りであった。しかし、「この馬は何かを持っているかも知れない」と、ドゥラメンテに強く惹き付けられたのも事実であった。ふと馬名の由来が気になり、「ドゥラメンテ」が「荒々しく」の意であることを知って、これほどまでに「体」に違わぬ「名」を持つ馬がいるのだろうかと驚いたのはこの時である。
とは言え私は、ドゥラメンテをダービーの本命とはしなかった。あまりにも鮮烈な皐月賞の鬼脚と、一筋縄ではいかない気性から、マイル~2000mで本領を発揮する馬だと判断したのである。圧巻の皐月賞を踏まえての単勝1.9倍というオッズは、ドゥラメンテの気性に対する懸念も一因であろう。しかし、ドゥラメンテの強さは私の想定を大きく超えていた。外枠も何のその、素晴らしい末脚を発揮して先頭に立つと、追いすがるサトノラーゼン・サトノクラウンらを完封。父キングカメハメハが刻んだレコードを上回る2.23.2という凄まじいタイムで勝利して見せた。
そこからは、ドゥラメンテの虜である。御するのにも苦労させられる気性と、それに相反するような気品ある佇まいを持った、まさしく「荒々しき一曲」のようなこの馬。この先どのような栄光を掴むのだろうかと胸を躍らせた。しかし、放牧先で骨折が判明し、ドゥラメンテは秋を棒に振ることになる。堀調教師がダービー後に語った3歳での凱旋門賞挑戦プランも幻となった。しかし、まだ3歳である。しっかりと怪我を治せば再び海外挑戦のチャンスはあるだろう。筆者は期待を膨らませながら年明けを待っていた。
3.第1楽章、突然の幕切れ
そして迎えた2016年の初戦はGⅡ中山記念となった。馬体重+18kgは、成長分を加味してもまだ完璧な出来ではないことを窺わせた。しかしながらドゥラメンテは4コーナーを待たずに早め先頭に立つとアンビシャスの猛追をクビ差振り切り、復帰戦を見事勝利で飾って見せた。フジテレビ倉田大誠アナウンサーの「ドゥラメンテ圧巻」という実況は、この馬の強さが着差以上のものであったことを的確に表現している。状態を万全に仕上げれば海外でも勝負になることを確信させる走りだった。
海外初舞台に選ばれたのは、ドバイシーマクラシック。毎年欧州の実績馬と日本馬との激突となることが多いレースであるが、この年もキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの覇者ポストポンドや、香港ヴァースを制したハイランドリールなど、猛者達が集った。秋の凱旋門賞を見据えて勝っておきたい一戦であったが、ドゥラメンテは海の向こうでも「荒々しさ」を発揮。右前脚を落鉄し、装蹄も出来ずに出走することになってしまう。結果はポストポンドをとらえられず2着。しかし、裏を返せば落鉄した状態でもポストポンド以外の実績馬を抑えているのであり、十分実力を示したと言えるだろう。凱旋門賞制覇も夢物語ではないと期待させる海外デビューとなった。
ただ、ドゥラメンテが日本代表として胸を張ってフランスに向かうためには、決着を付けなければならない相手がいた。同期のキタサンブラックである。ドゥラメンテ不在の菊花賞を勝ったキタサンブラックは、この年の天皇賞(春)を制して中長距離戦線の主役に躍り出ると、宝塚記念のファン投票で1位を獲得し、春のグランプリでドゥラメンテと再び激突したのだった。
しかし勝ったのは8番人気マリアライト。
雨の影響で渋った馬場によって末脚のキレが鈍ったドゥラメンテは、クビ差及ばなかった。ただ、不向きな馬場でありながらもキタサンブラックを差し切り、先着を許さなかった。ドバイに続き、力量を見せた2着と言えるだろう。
ところが、敗北以上の悲劇がドゥラメンテを襲う。レース後にバランスを崩して故障を発生、ハ行との診断で凱旋門賞挑戦を断念することとなったのである。そしてその数日後には競走能力を喪失したとして引退の判断が下された。
ドゥラメンテという名曲の第1楽章は、夢を掴む栄光を描き出すこと無く終わった。しかし、競馬はブラッドスポーツである。ドゥラメンテには種牡馬として血を繋ぐことが出来る。私は残念さを抱きながらも、気を取り直してドゥラメンテが父として奏でる第2楽章に期待した。
4.未完成の名曲
良血の二冠馬ドゥラメンテは、種牡馬としても人気を集めた。2017年には初年度にも拘わらず、国内年間種付頭数の過去最高となる284頭を記録。種付料も順調に増額され、2021年度には1000万円に到達。今後の栄光ある種牡馬生活が約束されていたはずだった。ところが、2021年8月31日、第2楽章も唐突に終わりを迎える。急性大腸炎のため、9歳で死亡。タイトルホルダーが弥生賞ディープインパクト記念を勝利して皐月賞で2着するなど、産駒の飛躍に期待がかかる最中のことであった。
突然の終曲に驚きと悲しみを抱きながらも、やはり筆者は「名体不離」を感じざるを得なかった。やはりドゥラメンテは「荒々しき名曲」である。ドゥラメンテはその走りの鮮烈さだけでなく、観衆に「これから先の栄光」を豊かに想像させる点において優れた一曲であった。第1楽章も第2楽章も美しい完成品にはならなかった。荒削りで急激な展開に目を回しそうになる。しかし、大いなる余韻を残し、観衆を惹き付けてやまない。
モーツァルトの『レクイエム』、マーラーの『交響曲第10番』など、作曲者の死によって未完成となった名曲は数多く存在するが、ドゥラメンテがもたらす余韻は、これらの名曲にも劣らないだろう。上記二曲は、作曲者の構想を具体化しようと弟子や研究家による補作が行われ、演奏されてきた。
荒々しき名曲・ドゥラメンテもその血を受け継ぐ競走馬の活躍によって補作が行われていくことであろう。タイトルホルダーは父が獲れなかった最後の一冠・菊花賞を勝ち、天皇賞馬になった。スターズオンアースは父娘クラシック二冠制覇という偉業を達成した。この先も子世代・孫世代の活躍によって名曲が更に色鮮やかになることを、願うばかりである。
写真:Horse Memorys