[追悼・エモシオン]最後の夢を託した、小林稔調教師とエモシオンの「絆」
■エモシオンの訃報

エモシオンが亡くなったニュースを見た時、真っ先に思い出したのが小林稔調教師である。エモシオンは1998年のクラッシック三冠を皆勤した。1998年は、翌年に引退が決まっていた小林稔調教師のラストイヤーで、厩舎の柱として最後のクラッシック制覇を目指した。

エモシオンは享年30歳。彼がターフで輝いていた時から、既に四半世紀が経っている。私にとってエモシオンは、今よりもっと熱く、もっとのめり込んで馬を見ていた頃に出会った名馬である。彼の訃報は、懐かしさと、当時の楽しい思い出と…そして一抹の寂しさを運んでくれた。

エモシオンの母は1992年のオークス馬アドラーブル、父は1994年のリーディングサイアー、トニービン。1995年にアドラーブルの二番仔として、門別・白井牧場で誕生している。

順調に育成されたエモシオンは、母と同じ栗東の小林稔厩舎の所属で、夏の北海道開催初日の新馬戦(函館・1200m)に出走。エモシオンは入厩当初から評判となっていて、早くから来年のクラッシック候補として注目されていた。

初日の新馬戦は評判馬エモシオンで決まり…と思われていたが、このレースにはもう一頭の注目馬が出走し、人気を二分することになる。エモシオンの最初のライバルは、武豊騎手が騎乗するアグネスワールド。後に海外GⅠを2勝するスプリンターである。レースは、エモシオンを徹底マークしたアグネスワールドが、直線突き放して優勝。エモシオンは3着だったが、パドック評価などはアグネスワールドを上回るという声もあった。

距離と仕上がりの差で敗れた形にはなったが、「来年のクラッシック候補が登場?」と更に注目されることとなる。

エモシオンは、折り返しの函館新馬戦で楽勝し、5か月の調整期間を経て再登場したのが、中京のつぶわき賞(1700m)。人気を分け合ったオースミキャプテンを寄せ付けず、3馬身1/2の差で連勝し、クラッシック候補としての地位を固める。

■名伯楽・小林稔調教師

エモシオンを管理した小林稔調教師。1944年から1964年まで騎手として活躍の後、調教師に転身した。小林稔厩舎の馬が競馬場を賑わし始めたのは1970代の半ば以降、1976年には53勝を挙げリーディングトレーナーになっている。以降も重賞レースに次々と有力馬を送るようになり、関西の有力厩舎として常に注目されていた。GⅠ制覇は1983年ロンググレイスでエリザベス女王杯を、1985年にはスズカコバンが宝塚記念を制覇。昭和の終わりから平成初頭にかけて、ロングハヤブサ、ランドヒリュウ、ミスターシクレノン、ムッシュシェクルなどなど。玄人好みの重賞レースに欠かせないツワモノたちを送り出し、記憶に残る名馬を何頭も育て上げた。

そして、1992年にアドラーブルでオークスを制覇すると、秋には17番人気のタケノベルベットが藤田伸二騎手を擁してエリザベス女王杯に優勝する。更にこの年、小林稔厩舎は50勝を積み上げ、4度目のリーディングトレーナーになっている。

90年代に入り、小林稔調教師も60代半ば。1989年2月より、調教師の70歳定年制が導入された。ただ、1999年までは経過期間で、要件どおりの制度運用開始は2000年以降と決まっていた。当時は70歳を超える調教師が多数在籍していたための経過措置であったが、小林稔調教師も1999年には70歳を超えるため、最長でも1999年2月までと、小林稔厩舎の存続期間は決まっていた。

タイムリミットとなる1999年2月の名門厩舎解散までに、何とか牡馬クラシックのタイトルを…。

その願いを叶えるべく登場したのが、1996年の日本ダービー優勝馬フサイチコンコルドである。フサイチコンコルドは体質の弱い馬だった。デビューが遅れたものの、4歳(現3歳)1月の新馬戦を優勝すると2か月後のすみれステークスも勝ち2連勝する。しかし皐月賞を目指したが熱発が続き回避、プリンシパルステークスから日本ダービーへのプランも、やはり熱発で白紙となり、ぶっつけで日本ダービー出走となった。体調だけでなく、収得賞金がギリギリの状態で出走が危ぶまれたが、何とか出走までこぎつけると、大本命ダンスインザダークをゴール前で差し切り、武豊騎手の日本ダービー初戴冠を打ち砕いた。

小林稔調教師は、管理馬の仕上げを大切にする調教師だった。休ませるときはじっくり休ませ、万全に仕上がるまでレースを使わない「鉄砲使いがうまい先生」、「休み明けに強い厩舎」という印象が強かった。「小林稔厩舎のポン駆け狙い」は当時の馬券検討の鉄則だったように思う。その小林稔調教師が、不安定なフサイチコンコルドを日本ダービーへ出走させたのは、牡馬クラッシック制覇への執念だったのだろうか。

引退のタイムリミットが近づく中、もう一度小林稔厩舎で大きいところを狙う…という機運は高まっていたはずだ。フサイチコンコルドの日本ダービー優勝後は、重賞制覇する管理馬もいなくなった。できれば、厩舎が育てた牝馬の仔でクラッシック戦線を賑わせてくれたら…と思っていたら、登場したのがエモシオンである。母は厩舎が育てたオークス馬アドラーブル。二番仔として誕生した牡馬、エモシオンが4歳(現3歳)になるのは1998年。エモシオンは、小林稔厩舎の「ラストイヤーの夢」を背負って、戦うこととなる。

■エモシオンと小林稔調教師の1998年クラッシック戦線

エモシオンが選んだ4歳(現3歳)初戦は、オープン特別・すみれステークス。当時は、トライアル重賞を渡り歩いて調整し、収得賞金を積み上げていくパターンが多い中、しっかり仕上げて狙ったレースで賞金を積み上げるという、厩舎流の選択で楽勝する。

皐月賞はトライアル重賞でしのぎを削ってきた、スペシャルウイーク、キングヘイロー、セイウンスカイの三強が抜けた人気となり、別路線で彼らと未対戦のエモシオンが4番人気となる。レースはセイウンスカイ、キングヘイローと共にエモシオンが好位につける。直線で内から伸びようとするもののセイウンスカイ、キングヘイローを捕まえきれず、最後は追い込んだスペシャルウイークにも差されて4着でフィニッシュとなる。

当時は、皐月賞4着までに日本ダービーへの優先出走権(2018年以降は5着まで)が与えられていた。エモシオンは収得賞金の心配をせず、自動的に日本ダービーへの出走が確定した。しかし日本ダービーは、マイナス12キロと大きく馬体重を減らして登場。レースは中団追走も、エモシオンらしさをみせることが出来ず9着に敗退する。

夏を全休したエモシオンは、菊花賞のトライアル戦には目もくれず、カシオペアステークスに出走する。厩舎流のローテーション、トライアル戦での消耗を避けオープン特別をステップに本番へ向かうのは、フサイチコンコルドが歩んだ道と同じ。エモシオンは無理することなく余裕の勝利を収め、菊花賞に臨んだ。

菊花賞は横山典騎手の“絶妙”の逃げが嵌り、セイウンスカイが逃げ切る。それでもエモシオンは、1番人気のスペシャルウイーク、キングヘイロー、メジロランバードと激しい2着争いを繰り広げ、3着でフィニッシュした。

エモシオンと小林稔調教師の最後のクラッシック三冠は、勝つことはできず終了した。しかし、三冠全てのレースにおいて、厩舎流のローテーションを崩さず、管理馬をしっかり仕上げて臨んだ結果である。小林稔調教師のラストイヤーにふさわしい戦いを、エモシオンが実行したと私は思っている。

■エモシオンが小林稔調教師に贈った「最後のプレゼント」

小林稔調教師の引退、厩舎解散が近づく、1999年2月。古馬になって初戦の日経新春杯に出走したエモシオンは、直線先頭に躍り出たものの、メジロブライトとの追いくらべに屈して、クビ差惜敗。

泣いても笑っても、小林稔厩舎所属で出走する最後となる京都記念。エモシオンは圧倒的な1番人気で登場する。馬体重も460キロ台で安定し、パドックを落ち着いて周回する姿は古馬の貫禄さえ見せている。厩舎の最後の仕上げに応えたエモシオンは、逃げるサイレントハンターを終始マークする2番手につける。直線で脚色が鈍ったサイレントハンターを突き放すと、先頭でゴールを目指す。マチカネフクキタルが外から追い上げてくるが、脚色の違いは歴然。最後は馬なりで2馬身1/2の差をつけ、エモシオンは初重賞制覇を成し遂げた。

「小林稔調教師に贈る京都記念制覇、エモシオンです!」

ゴール直後の実況が、いつまでも耳に残った。

小林稔調教師の最後の重賞制覇は、フサイチコンコルドの日本ダービー以来3年ぶりのこと。厩舎が育てたオークス馬アドラーブルの息子が、重賞制覇を飾って最後を締めくくる…小林稔調教師とエモシオンとの「深い絆」を感じさせる、素晴らしいフィナーレだったと思う。


エモシオンは、厩舎解散後木原厩舎へ転厩し、天皇賞(春)を目指すプランが立てられた。しかし、転厩直後に右前浅屈腱炎を発症し戦線を離脱してしまう。結局、復帰後は10戦出走するも、勝つことが出来ずに2001年に引退した。

エモシオンの訃報を聞いた時、30歳まで元気に過ごしていたことに驚いた。きっと、誰からも愛され、平穏に余生を過ごしたのだろう。私は、それがうれしかった。

最強世代ともいうべき年に生まれ、ビッグタイトルを掴むことは出来なかったエモシオン。世代が違えば、彼の蹄跡は変わっていたのかもしれない。でも、終着点がエモシオンにとって素晴らしいものであれば、現役時代の悔しさなんて関係のない話だ。のんびりと年を重ね、時間を過ごしたことが、彼の一番の幸せである。そして四半世紀が過ぎ、私たちがその名を忘れかけた頃、数々の思い出を蘇らせてくれたことへも感謝したい。

Photo by I.Natsume

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