"新しい"栗毛の怪物、グラスワンダーの物語。

「やっぱり強いグラスワンダー!これが新しい栗毛の怪物!」。

1997年暮れの中山競馬場で開催された朝日杯3歳ステークスのゴール直後、私の耳に飛び込んできたこのフレーズは、四半世紀たった今なお、私の心に深く刻み込まれている。

これが新しい栗毛の怪物

グラスワンダーは1995年2月15日生まれ、栗毛のアメリカ産馬である。新馬戦は3馬身差、続くアイビーステークスでは5馬身差の圧勝劇を繰り広げていた。

1970年代、グラスワンダーと同じく栗毛のアメリカ産馬で、圧倒的なスピード能力を持っていたことから"スーパーカー"という異名を冠されたマルゼンスキーという馬がいた。生涯成績は8戦8勝で、その8戦でつかた着差の合計が61馬身。

そのあまりの強さから、主戦を務めていた中野渡騎手は「マルゼンスキーをダービーに出走させて欲しい。大外枠でいいし賞金もいらない。他の出走馬の邪魔も一切しない。ただただマルゼンスキーの強さを確かめたい」と嘆願したというエピソードも残されているくらいだ。

グラスワンダーはそのマルゼンスキーの再来だと騒がれるようになり、3歳時から大きな注目を集めていた。

そんなグラスワンダーのレースを私が初めて見たのが、3戦目の京成杯3歳ステークスであった。学校帰りの土曜の午後、何の気なしにテレビの競馬中継を見ていたら、なんだか1頭だけ桁外れに強い馬がいる。

──なんだこれは!

その馬は、東京競馬場の4コーナーを曲がった段階で、すでに先頭に立っていた。あとは手綱を持ったまま2馬身、3馬身と後続馬をみるみるうちに突き放していく。

最終的には6馬身差の圧勝劇。
「何なのだコレは!?」
まるでダビスタで作った強い馬がそのまま現実世界に飛び出して走っているような感覚を覚え、当時の私はしばらく興奮を抑えることができなかったのを覚えている。

そして無敗の3連勝で迎えた朝日杯3歳ステークス。
このレースには翌年のスプリンターズステークスでタイキシャトルとシーキングザパールを破って優勝するマイネルラヴ、そして後に海外G1のアベイ・ド・ロンシャン賞(フランス)とジュライカップ(イギリス)に勝利したアグネスワールドも出走していた。

そんな強力なメンバーを相手に、グラスワンダーは中団に構えると、第4コーナーでは楽な手ごたえで外目をするすると上がっていく。「行け! 差せ! グラスワンダー!」。
──そう思っていたのも束の間、グラスワンダーは先頭を走っていたマイネルラヴを並ぶ間もなく軽々と抜き去っていく。

「どこまでちぎるんだグラスワンダー!」

終わってみれば、これまた2馬身半の差をつけての圧勝であった。

「やっぱり強いグラスワンダー! これが新しい栗毛の怪物! 勝ちタイムはなんと1分33秒6!」

その驚異的なタイムで駆け抜けたグラスワンダーの走りは、速く・力強く・美しく、まさに怪物と呼ばれるにふさわしかった。来年になったら、一体どんな凄い活躍を見せてくれるのか。

当時はまだ日本ダービーに外国産馬は出走できなかったが、NHKマイルカップが新設されて間もない時期で、出走できるG1レースはある状態。私は期待に胸を躍らせながら、冬休みを過ごしていた。

3歳の頂点に立った馬は、やはり4歳でも強かった

年も明け、春の陽気になってきた頃、耳を疑うようなニュースが飛び込んでくる。

グラスワンダー骨折。

グラスワンダーの活躍を今や遅しと待ちわびていた私にとって大変ショッキングなニュースであったが、幸いケガの程度は軽いもので秋には復帰できるとのことだった。

その間にNHKマイルカップはエルコンドルパサーが勝利し、日本ダービーではスペシャルウィークが武豊騎手に初のダービー制覇をもたらしていた。きっと秋にはグラスワンダーも──そう思いながら迎えた、グラスワンダーの復帰戦となる毎日王冠。

この毎日王冠には同期のエルコンドルパサーに加え、金鯱賞を圧勝し宝塚記念にも勝利したサイレンススズカが出走していた、いまなお伝説のG2の1つとして語られるレースである。さすがに骨折明けの復帰初戦でこのメンバーを相手にするの厳しく、グラスワンダーは5着に敗退した。

続いてグラスワンダーは翌月のアルゼンチン共和国杯に出走する。毎日王冠と比べるとメンバーのレベルも低くなり1番人気に押されるも、結果は6着。
「グラスワンダーは終わった」と囁かれるようになり、私も徐々に不安を覚えるようになっていった。

そして迎えた年末のグランプリ、有馬記念。
単勝オッズもこれまでは最低でも毎日王冠の3.7倍であったが、有馬記念の時には14.5倍にまで急落してしまっていた。1番人気は菊花賞を勝って有馬記念に駒を進めてきた同期のセイウンスカイ。グラスワンダーの復活を信じていた私は、期待と不安が入り混じり、祈るような気持ちでレースを観戦していた。

スタートが切られると1番人気のセイウンスカイがハナを主張して逃げる展開に。後続との差は3馬身、4馬身とグングン広がっていく。一方その頃グラスワンダーは、中団の内側でじっと脚をためながらレースを進めている。第3コーナーに差し掛かると、楽な手ごたえで上がっていき、最後の直線に差し掛かった所では先頭のセイウンスカイはもう目前。

直線に入るとグラスワンダーはグングンと加速し、セイウンスカイを並ぶ間もなく交わし去る。
あとは後続を突き放し──後ろからくるメジロブライトの猛追も退け、見事1着でゴールイン!

……すげぇ。

目の前で繰り広げられたあまりのレースぶりに、私は茫然としてしまっていた。グラスワンダーの復活もさることながら、まるで朝日杯3歳ステークスの再現をしているようなレース運びに鳥肌が立ってしまっていたのである。

「3歳の頂点に立った馬は、やはり4歳でも強かった」

こうして、見事に復活を遂げたグラスワンダーであるが、翌年はさらにこの馬の怪物ぶりに、競馬ファンたちは驚かされることになる。

やっぱり、強いのは強い

1999年に入り、グラスワンダーは京王杯スプリングカップを快勝。続く安田記念ではエアジハードにハナ差で敗れて2着。その流れでの年明け3戦目、宝塚記念で遂にスペシャルウィークとの対決が実現することとなる。

──スペシャルウィークか、グラスワンダーか。
この年の宝塚記念は完全な2強ムードに包まれていた。

レースが始まると天才・武豊騎手を背に、スペシャルウィークは先行策に出て前目のポジションと取りに行く。一方グラスワンダーは、策士・的場均騎手を背に先行するスペシャルウィークをぴったりマーク。

「さぁ、相手をこれと決めた時の的場均は怖いぞ!」

実況の杉本清アナウンサーがそう言い放った直後、第3コーナーに差し掛かった2頭は馬なりで他馬を抜き去り先頭まで上がっていった。1996年の阪神大賞典でナリタブライアンとマヤノトップガンが繰り広げたような熱いマッチレースが、この後の直線で繰り広げられるのではないか。私は、高鳴る胸の鼓動と興奮を抑えながら最後の直線を見守っていた。

直線に入ると、もう2頭のマッチレース体制。後ろの馬たちは2頭の走りに全然付いてこれていない様子である。

「もう言葉はいらないのか」

馬体を合わせるグラスワンダーとスペシャルウィーク。

──抜け出すのは一体どっちだ!
──グラスワンダーのほうが手応えがいいぞ。

頭ひとつ抜け出し、半馬身、1馬身と差を広げていく。終わってみれば、スペシャルウィークに3馬身差をつけた、グラスワンダーの圧勝であった。

敗れたスペシャルウィークも、3着のステイゴールドには7馬身差をつけていて、負けて強しの内容。

この時のグラスワンダーは、目の下も黒ずんでいて、万全の体調ではなかったという。それでいてこの圧巻のパフォーマンス……。

1999年の宝塚記念は、ただただ、グラスワンダーにその強さを見せつけられた、そんなレースだった。

やっぱり最後は2頭だった

グラスワンダーとスペシャルウィークは、暮れの有馬記念で再度、対決を繰り広げることとなった。

グラスワンダーは毎日王冠から有馬記念に直行するローテーション。当初はジャパンカップに向かう予定で調整されていたが、毎日王冠で格下のメイショウオウドウ相手にハナ差まで詰め寄られてしまったこと、春も安田記念でエアジハードに敗れていたことから、陣営はグラスワンダーは東京競馬場が不得意なのではないかと判断し、ジャパンカップへの出走は見送ることとなったという。

一方のスペシャルウィークは秋初戦の京都大賞典ではまさかの7着に敗れてしまうが、天皇賞・秋では4番人気の低評価を覆しての優勝。続くジャパンカップでも日本総大将として、凱旋門賞でエルコンドルパサーを破ったモンジューをものともせず見事な勝利を収めていた。

有馬記念当日も2頭は人気を分け合い、最終オッズはグラスワンダーが1番人気になっていた。

「ゴーイングスズカが強引に(前に)行きました」というダジャレのような実況で幕を開けた有馬記念。
宝塚記念とは逆にグラスワンダーが前、スペシャルウィークがその後ろというポジションで、レースが流れていく。

第3コーナーを曲がって、2頭はまたもや大外から他の馬を捲って上がっていった。
──宝塚記念の再現なるか、また2頭が他の馬大きく突き放していくのか。
そういう期待を胸に秘めて迎えた直線であったが、2頭は思いのほか伸びない、伸びあぐねている。

その間に内からは京都大賞典でスペシャルウィークを破ったツルマルツヨシが、間を突いては翌年から覇道を突き進むテイエムオペラオーが抜け出しを図っている。グラスワンダーも後ろからきたテイエムオペラオーに交わされそうになる。まさか、グラスワンダーはここで負けてしまうのか──。

そう思って瞬間、グラスワンダーは息を吹き返したように再び伸び始める。外からはスペシャルウィークも一気に伸びてきた。

「やっぱり最後は2頭だった」

グラスワンダーかスペシャルウィークか、グラス、スペシャル、グラス、スペシャル……どっちだ!?

ゴール前は2頭全く並んでゴールイン。
テレビの映像だとスペシャルウィークが優勢に見える。
ジョッキーたちも同じように思っていたようで、スペシャルウィークと武豊騎手はウイニングランを始め、グラスワンダーと的場均騎手は肩を落とした感じで引き返してくる。

レースが終わって何分経っただろうか。

ついに結果が掲示板に表示され、1着はなんとグラスワンダー。着差は何と4cmという、まさに激闘であった。

受け継がれていくグラスワンダーの血脈

翌2000年を迎えてからのグラスワンダーは、前年の大活躍が嘘のように連戦連敗を重ねた。そして宝塚記念の6着を最後に競走生活を終え、種牡馬として新たな馬生を歩んでいくこととなる。

競走馬としてのピークを過ぎてしまったのか、エルコンドルパサーやスペシャルウィークといったライバルも引退してしまい気持ちの糸がプツンと切れてしまったのか、それは私には分からない。

"新しい"栗毛の怪物と言われたグラスワンダーは、競馬を見始めたばかりの私にとっては何とも不思議な馬であった。

強い相手に圧倒的なパフォーマンスで圧勝してしまうこともあれば、格下の馬を相手にハナ差まで詰め寄られたり、時には惨敗してしまうこともある。そんな山あり谷ありの不確実性のある競走生活を送ってきたグラスワンダーに、私は魅力を感じ、引き込まれてしまっていたのだと思う。

産駒たちにはグラスワンダー同様に、朝日杯を優勝したセイウンワンダーや宝塚記念を優勝したアーネストリー、さらにはグラスワンダーとは異なり、ジャパンカップ優勝、天皇賞・秋でも2着と東京競馬場で活躍したスクリーンヒーローもいたりと、色々なタイプの馬たちがいる。

令和となってからも、2021年フラワーカップに出走したルースなどは、母系にグラスワンダーの血が流れている。スクリーンヒーローからは、モーリスが誕生し、種牡馬の父──そして種牡馬の父の父としても、名を残していきそうだ。

グラスワンダーの長生きを願いつつ、グラスワンダーの血を受け継いだ馬たちの活躍をこれからも見守っていきたい。

※馬齢は旧表記(当時)を使用しています

写真:かず

あなたにおすすめの記事