愛しさと歯がゆさとここぞの強さと - フェノーメノ

2009年から2015年までの足掛け7年間は、種牡馬ステイゴールドのまさに「黄金時代」だったと言っても過言ではない。

平地障害のGⅠを7頭で19勝。
宝塚、有馬の春秋グランプリ14戦9勝。
凱旋門賞2着3回。
2011年~2012年の牡馬三冠で6戦5勝2着1回。

そして2013年からの天皇賞(春)三連覇。

「愛さずにいられない」名馬を次々と送り出し、ステイゴールドが大種牡馬に駆け上がっていくその只中に、幾たびもの歯噛みを乗り越えて二度の頂に上り詰めた一頭の青鹿毛がいた。

名を、フェノーメノという。

ポルトガル語で「怪物」「超常現象」という意味の「Fenomeno」。筆者は全くの門外漢だが、サッカーの2002年日韓W杯得点王にしてバロンドール(世界年間最優秀選手)を2回獲得したブラジルのヒーロー、ロナウド選手のニックネームでもあるそうだ。

フェノーメノは2009年4月20日、北海道安平町の追分ファームで生を受けた。父はステイゴールド、母はアイルランド生まれのディラローシェ。その半兄には1999年のジャパンカップで12番人気ながら「日本総大将」スペシャルウィークの2着に突っ込んできたインディジェナスがいる。

フェノーメノは母ディラローシェの5番仔。2歳年上の半兄ディオメデス(父フジキセキ)が中央で2勝を挙げているが、ほかの兄姉は勝ち星を挙げることはできずにいた。

サンデーレーシングの所属馬となり、美浦の戸田博文厩舎に入厩したフェノーメノは2011年10月30日、天皇賞(秋)当日の東京競馬場でデビュー戦を迎えた。芝2000m。10番ゲートからポンと好スタートをきったフェノーメノはすんなり先行。直線入り口で早々に先頭に立つと内ラチ沿い、GⅠデーの大歓声にも集中力を切らすことなく、上がり3ハロンを34秒1でまとめ、後続を悠々と抑えきって先頭でゴール。見事なデビュー勝ちを飾った。

陣営は次走に同じ芝2000mのホープフルステークスを選択した。当時はまだオープン特別だったとはいえ格上挑戦。しかしファンは初戦の勝ちっぷりを評価してフェノーメノを1番人気に推した。「レースが上手だし正攻法で行けるのも強み」と戸田調教師も追切後に太鼓判を押していた。

しかしフェノーメノは前走のように前、前の競馬ではなく、中団に待機する競馬となった。内枠2番からのスタートとなったフェノーメノは向こう正面、外から前に出していった各場に好位を抑えられたように見えた。4コーナー、内でじっとしながら馬群に埋もれるように直線を向いたフェノーメノ。鞍上のアクションにようやく応え始めたのは残り200を切ってから。目の前にいた7頭の塊を交わそうと外に進路を移したところがゴール板だった。

1頭だけ交わしての7着。初戦と同じGⅠデーの大歓声に、彼は今度は答えることができなかった。しかしその最後の10完歩は目を見張る末脚だった。

その3レース後の有馬記念。同じステイゴールドを父に持つ同じ勝負服の三冠馬オルフェーヴルが、超スローの流れを極限の末脚でまくり切る、まさに着差以上の強さで完勝。6連勝で2011年を締めくくった。

1年前にはその日のフェノーメノと同じ一介の1勝馬であり、2桁着順まで経験していたオルフェーヴルの強さ。それを称える喝采は、敗戦後のフェノーメノにも届いていたかもしれない。


3歳となったフェノーメノは、2歳時と同様に前進と歯噛みを繰り返しながら着実に地歩を固めていった。

年明け、陣営は1か月後の東京開幕週に照準を合わせる。3戦連続で芝2000m戦への挑戦となった、500万下(現1勝クラス)の平場戦。くしくも前走と同じ2番ゲートから、フェノーメノはスタートを切った。同じ轍は踏むまいと考えてのことか、鞍上は促して前に出す。先頭に立ち、ギリギリのところで折り合いをつけたフェノーメノは向こう正面で一度先頭を譲り、4コーナーを回って追い出しにかかると息の長い末脚で後続を突き放す。のちに秋の天皇賞を制するスピルバーグ以下を寄せ付けず、2馬身差の完勝。クラシック出走にむけて、一歩前進した。

次走は皐月賞トライアル、弥生賞。苦杯をなめたホープフルSと同じ中山芝2000mだ。

ざっくばらんに言うと、このレースを振り返るのは正直つらい。

スタート五分に出たのち、中団に控えて1コーナーへ入っていくフェノーメノ。スローペースで流れる中、位置が徐々に下がっていく。ごった返す馬群を割ろうとしたが成らず、中山の短い直線で内から10頭分外に出して追い込むが……。

内をロスなくついたコスモオオゾラの鞍上・柴田大知騎手が、14年9か月ぶりの平地重賞制覇に喜びを爆発させる中、目いっぱいの追撃及ばず6着に敗れたフェノーメノ。皐月賞への出走は成らず、目標をダービーに切り替えた。私はその日、歯ぎしりが止まらなかった。

同じステイゴールド産駒の同期ゴールドシップが今もなお語り継がれる異次元の内まくりを見せたあの皐月賞、フェノーメノが出走していたらどんな走りを見せていただろうか──。夢想は尽きない。

8週後。心機一転、快晴の青葉賞。その舞台で2戦2勝の府中でフェノーメノは、弾けた。新たに鞍上に蛯名正義騎手を迎えたフェノーメノは断然の1番人気にこたえ、後続に2馬身半をつける快勝。見事ダービーへの切符をつかみ取った。

そして迎えた、ダービー。

ゴールドシップとの父ステイゴールド2枚看板。蛯名正義騎手20度目のダービー挑戦で悲願達成も掛かる。はやる気持ちを抑えながら、私はウインズ札幌の大型ビジョンを見据えた。

2分半後。

ゴールドシップが伸びあぐねる中、馬場の真ん中を猛然とフェノーメノがせり上がってきた。粘りこむディープブリランテと内外離れて並んだところがゴール板だった。

ゴールの瞬間がコマ送りで流れる。

息をのむ。

目いっぱい伸びきったディープブリランテの鼻先が、ちょうど頭を上げたところだったフェノーメノよりも明確に先に、ゴール板を通過していた。尻尾の後端はフェノーメノのほうが先着していた。それくらいの接戦だった。

のみ込んだ息が、ため息となってあふれ出てきた。

しばし後、写真判定の結果がアナウンスされ、ディープブリランテの鞍上が馬上で泣き崩れた。場内から「おめでとう!」の声が飛んだ。拍手が包んだ。

「おめでとう!」「イワタおめでとう!」口々に声が上がる。

日本ダービー初制覇を遂げたのは、あの弥生賞まで4戦、フェノーメノの鞍上を務めた岩田康誠騎手だった。私はくやしさをこらえ、唇を真一文字に結んで歯ぎしりしながらなんとか拍手を贈った。ステイゴールド産駒を応援する私は、「おめでとう」と口に出すことは、どうしてもできなかった。

フェノーメノはタイム差なしの2着。決勝写真のスリットおよそ3枚の差で、ステイゴールド産駒の牡馬クラシック連勝は4で止まった。蛯名正義騎手が、最も日本ダービー制覇に近づいた瞬間だった。


3歳秋、フェノーメノは菊花賞トライアル・セントライト記念を持ったままで4角先頭から押し切った。弥生賞の呪縛を解く、中山競馬場での初勝利。そしてその勝利を受け、フェノーメノ陣営は菊花賞ではなく秋の天皇賞に矛先を向けた。

同期のゴールドシップが淀で二冠を達成した翌週、ダービー以来の府中でフェノーメノは直線懸命に足を伸ばした。先団はすっかり飲み込んだが、内内を文字通り閃光のように伸びたエイシンフラッシュに抜け出されてしまう。最後、再びフェノーメノが差を詰めたが及ばず。

エイシンフラッシュの鞍上ミルコ・デムーロ騎手が、ご臨席されていた天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)の前で下馬して最敬礼をする競馬史に残る名シーンを後目に、フェノーメノは2度目のGⅠ2着となった。

次走のジャパンカップで、ジェンティルドンナとオルフェーヴルの壮絶な叩き合いから遅れること0秒8の5着としたフェノーメノは、3歳シーズンを終えた。喜びと歯がゆさがミルフィーユの如く重なった1年だった。


2013年4月28日。京都競馬場は、1頭の「主役」と1頭の「準主役」をターフに迎え入れた。春の天皇賞である。

主役はゴールドシップ。二冠に続いて有馬記念も制してGⅠ3勝馬となり、西の前哨戦・阪神大賞典でも実況に「役者が違う」と言わしめる楽勝。単勝1.3倍の大看板として春の盾に王手をかけていた。

一方、東の前哨戦・日経賞。満開の桜に見守られてこちらも貫録勝ちといえる内容で制したフェノーメノだが、単勝オッズは6.2倍。単勝10倍を切ったのは2頭だけだったが、「2強」と呼べる状況ではなかったように思う。

ゲートが開く。もたついて最後方に下がるゴールドシップにどよめきに似た歓声が上がる中、フェノーメノは好発からさっと中団前目に控えた。

もう一頭のステイゴールド産駒、サトノシュレンが最初の1000mを59秒台で引っ張るハイペース。歴戦の各馬が泰然と、縦長の隊列でレースを進めていく。

3コーナー。フェノーメノはジワリと3番手から坂の下りで先頭に並びかけていくが、場内の実況カメラはその様子を一瞬映したのち、いつもより遅ればせながら馬群の外をドドドドと上がってくるゴールドシップの姿をフォーカスし続けた。

残り600。内から2頭目の位置で4コーナーを回るフェノーメノの馬上から、蛯名正義騎手がちらっと外を見やった。視線の先にゴールドシップを確認したのち、ワンテンポ置いて手綱をしごきにかかった。

直線に入った時点で、フェノーメノは先頭に立っていた。ゴールドシップはもたついている。外からは京都巧者のトーセンラー。イギリスからの遠征馬レッドカドー、3年前の覇者ジャガーメイルも追いすがる。

しかし馬上で舞うが如くの蛯名騎手の叱咤に四肢を躍動させてこたえたこの日のフェノーメノには、どの馬も迫ることができなかった。

フェノーメノが、ようやくGⅠを勝った。1馬身と4分の1。明確な着差をつけて、この日の主役の座を勝ち取った。ステイゴールド産駒、6頭目のGⅠホース誕生の瞬間だった。


翌2014年5月4日。同じ京都、同じ青空。天皇賞・春の舞台を、フェノーメノは駆けていた。前年の覇者にもかかわらず単勝オッズは10倍を超えていた。

悲願のGⅠを勝ち取ったフェノーメノは次走宝塚記念でゴールドシップ、ジェンティルドンナと上位人気3頭で単勝シェア85%強を占める文字通りの「三強決戦」に臨んだが、後手に回って4着に敗退。秋は前年2着の雪辱、そして春秋連覇をかけて天皇賞・秋に照準を定めたがその途上、調教後に故障が発覚し、シーズン全休の憂き目にあった。

そして故障休養明けの前走、去年完勝した日経賞でもウインバリアシオンに一気にまくり切られ、自身も伸びきれずの5着。本番での単勝4番人気も致し方なしという状況だった。

人気上位3頭、大阪杯勝ちから臨む1番人気キズナ、阪神大賞典連覇の2番人気ゴールドシップ、日経賞快勝の3番人気ウインバリアシオンがいずれも後方に控える中、フェノーメノは前年よりやや後ろながら、中団内目の好位置で淡々と歩を進めていた。

3コーナー、蛯名騎手が若干フェノーメノを外に出した。坂の下り、4コーナーにかかる前からすでに鞍上の手は小刻みに動き始め、フェノーメノの黒い馬体は馬群の中でもまれにもまれているように見えた。

ウインバリアシオンが外からまくっていく。さらに外からキズナにゴーサインが出る。ゴールドシップはさらに外だ。

大観衆の視線が直線の外、外に集まる。しかしその間に馬場の真ん中で馬群をさばいたフェノーメノの前にも、道は拓けた。外から並びかけるウインバリアシオンに決して前を譲ることなく、じりじりと先頭に迫っていく。蛯名騎手が、馬上で舞う。

残り150m、ようやくフェノーメノは先頭に立った。ウインバリアシオンも求め続けた頂をつかもうと必死に食い下がる。間から伏兵ホッコーブレーヴが突っ込んでくる。

しかし一度立った先頭の座を、フェノーメノはゴール板まで守り切った。しのぎきった。クビ差。

「7番フェノーメノ、わずかに、わずかに、混戦を制しました!」

「わずかに」を二度繰り返した場内実況が、激戦を物語っていた。

メジロマックイーン、テイエムオペラオーに続く、史上3頭目の天皇賞(春)連覇。故障を乗り越えて再び天皇盾をつかんだその道程は、大ケガによるブランクを乗り越えて再びのバロンドールを獲得した「イル・フェノーメノ」ことロナウド選手にも重なった。

そして、このレースが、競走馬フェノーメノの最後の輝きとなった。

翌年の日経賞8着後に右前繋靭帯炎、さらに左前屈腱炎を発症したフェノーメノは競走生活を終えることとなったのである。彼が三連覇を目指して走るはずだった淀の舞台ではゴールドシップが三度目の正直で天皇盾の栄誉に浴し、フェノーメノからバトンを受け継いで父ステイゴールドに天皇賞(春)三連覇の勲章を捧げた。


「おお、ナッジ!フェノーメノ産駒だ!!」

2021年の9月30日、ホッカイドウ競馬の最上格付け、H1のサンライズカップで、フェノーメノ産駒のナッジが快勝。3連勝で2歳ダート戦線の有力馬に名乗りを上げた。ダートで、しかも2歳での活躍馬の排出は、種牡馬フェノーメノに追い風となるかもしれなかった。

──そう。「かもしれない」ではなく「かもしれなかった」としか書けないのだ。

その9日前。フェノーメノが種牡馬として繋養されていたレックススタッドから、フェノーメノの種牡馬引退が発表されていた。

2016年シーズンから種牡馬入りしたフェノーメノ。2020年ジャパンダートダービー3着のキタノオクトパスらを輩出するが2021年10月現在で中央のオープン馬はゼロ。新興勢力に馬房を明け渡さざるを得ない状況であることは否めなかった。

今はただ、フェノーメノの第三の馬生が穏やかであることと、ナッジやキタノオクトパス、エアグルーヴのひ孫にあたるフェアリーグルーヴをはじめとする現役産駒、さらにはデビューを待つ幼駒から「Fenomeno」の血を引くにふさわしい怪物が現れることを、願ってやまない。

写真:Horse Memorys

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