[連載・馬主は語る]オンラインワールドへようこそ(シーズン1-19)

この先、馬主になるにあたって、大きな懸念材料があります。競馬場に行けるのかどうかという問題です。ご存じのとおり、2019年末に発生したと言われている新型コロナウイルスによって、世界の雰囲気が一変しました。公衆衛生の名目の下、良くも悪くも、真実も嘘も織り交ぜながら、それぞれの国で人々の生活スタイルや生き方の変化が求められ、これから先も大きく変わってゆくはずです。その中で競馬のあり方も変わっていかざるを得ないのかもしれません。

幸運なことに、日本の競馬は馬券の売り上げによって成立していますので、馬券購入の方法がよりオンラインにシフトするだけで全体の規模が縮小することはなさそうです。というよりむしろ、ステイホームしている競馬ファンの鬱憤のはけ口として、馬券の売り上げは上昇の一途をたどりました。その影響は地方競馬にも波及しつつ、競馬界全体にとってはバブルが訪れています。話が逸れてしまいましたが、そういう流れの中、競馬は無観客でも上手く行ってしまったのです。ギャンブル的要素のない他のスポーツでは成立しえない、観客を入れなくても儲かるという新しい運営方法を発明してしまったのです。

しまった、と書いたのは、一度コストの少ないやり方を知ると、なかなか元には戻れないからです。リモートワークに慣れてしまった社員が、週3の出勤でも疲れてしまい、出社を嫌がるようになるように、アウトプットが見た目上は同じであれば、楽な方を選ぶのが人間というもの。無観客でも儲かる(むしろ利益率が良くなる)ならば、これまでのように競馬場にお客さんを入れる積極的な理由が失われてしまうのです。感染するとかしないとかの問題ではなく(屋外の競馬場でどうやったら感染リスクが高まるのか僕には理解できません)、オンライン化や効率化であり、最終的には政治的な問題に至るのです。

僕は決してそういう方向性を否定しているわけではありませんし、抗いがたい流れだと思っています。しかし、競馬場に人が行かないことの弊害は大きいのではないでしょうか。競馬場に人が集まることに価値があると考えていたからこそ、JRAは2019年までは競馬場に来よう!というキャンペーンやCMを続けてきたわけです。初めて東京競馬場に降り立った時のあの空の広さは、今でも素敵な感情として僕の心の中に残っていますし、パドックで見るサラブレッドの大きさや瞳の美しさ、緑の芝生に響く蹄の音、レースの緊張感と競馬ファンの熱狂。あの空間にいなければ決して味わえない感動があるのです。それらの価値を全てすっ飛ばして、無観客(もしくはそれに近い)の方がリスクもコストも限りなく少ないことを体験してしまうと、元には戻れなくなり、大切な何かを失ってしまうのです。

photo by fakePlace

JRAはもちろんのこと、地方の競馬場も、オンラインで馬券の売り上げが伸びていればいるほど、観客を入れて開催するメリットが感じられなくなります。その状況において、国の緊急事態宣言に伴い、各都道府県知事の判断によって営業の自粛等が求められることになると、迷うことなく無観客開催の判断を下すことになるでしょう。さすがに自粛要請が出ていないのにお客さんを入れない訳にはいきませんが、入場させる積極的な理由もないのが実情ですね。

地域や都道府県によって、緊急事態が起こりやすく、競馬場に入れない期間が長い競馬場とそうではない競馬場に分かれてくるはずです。その見極めをしておかないと、せっかく馬を持ったのに、厩舎に入れないばかりか、競馬場の馬主席に座ることもできず、愛馬が勝利しても口取りもできず、パソコンの画面上で見守ることしかできないなんていう事態も十分に想定されます。もしかすると、こんな状況は今だけで、いつかコロナ騒動も収束し、かつてのように競馬場に人々が集まって楽しむ日々が戻って来ると信じている人もいるかもしれませんが、残念ながら難しいでしょう。それはコロナが収まらないということではなく、今は大きな時代の転換点なのです。オンラインワールドへようこそ。

それでも完全無観客になるわけではありませんから、できるだけ緊急事態宣言の影響を受けにくい、大都市以外にある競馬場を選ぶ方が良いのかもしれません。この文章を書いている2021年5月14日時点で、緊急事態宣言は東京都と大阪を中心とした首都圏に出されており、まん延防止は複数の県に適用されています。競馬場でいうと、浦和競馬場と園田競馬場は無観客開催であり、高知競馬場はナイターで観客あり、佐賀競馬場は先日コロナ陽性者が関係者から出たものの持ち直して観客ありで開催中、門別競馬場もギリギリ観客あり、笠松競馬場に至っては八百長事件で開催を自粛しているというありさまです。

これを見ると、南関東の4競馬場と園田競馬場、そして名古屋競馬場あたりまでは、この先も無観客競馬になる可能性が高く、それに対して、先日訪れた水沢競馬場や盛岡、高知、佐賀、門別は競馬場に入れる可能性が比較的高いということです。観客としては入れないけれど、馬主は特別に入れるという競馬場も時と場合によって出てくるはずですね。ウイルスは変異しますので、デルタ株が騒がれなくなっても新種のコロナ株はこれからも世界中に続々と誕生しますし、新しい感染症や病気が見つかってまた騒ぎ出すかもしれません。いずれにしても、僕たちが夢見ているような馬主リアル充実ライフはこの先、夢の中だけになると考えておいた方がよさそうです。

厩舎に入って自分の馬と会うこともできない、競馬場にも入ることができなくなる可能性がある、勝っても口取りさえできないかもしれない。大げさかもしれませんが、セリ市で購入するときに一度会えたきりで、もしかすると引退するまで一度も生で観ることも、触れることもできないという状況もあり得るのではないでしょうか。それでは、僕がオーストラリアで馬を所有しているのと全く同じです。近くにいても離れているというか、バーチャルな世界ですね。そう考えていくと、これからの時代の馬主って、一体何なのだろうと思わざるをえません。皆がこぞって馬主になろうとしている(一口も含めて)流れの中、僕だけ立ち止まってしまった気がします。

話は堂々巡りになってしまいましたが、つまり僕は迷っています。たとえバーチャルであっても、1頭持ちの馬主になるか、それとも一足跳びに生産事業に踏み出して馬を売却することを目的にするのか。正直に言って、このような形で迷うとは思いもよりませんでしたが、こうなってみて初めて、僕は人とのリアルな交流が好きだったということに気づきました。馬主ライフに求めていたのは、自分の馬が走って賞金を稼ぐことではなく、馬を中心として、たくさんの人たちと出会い、話をして、酒を酌み交わして(僕はお酒が飲めないので実際には一緒にご飯を食べて)、愛馬の成長を見守るということだったのです。

オーストラリアで所有しているエルも、彼女を探すためにゴールドコーストのセリに行けたし、西谷調教師とも知り合えた。ほんとうはタスマニア島にも行って、彼女の走りを生で応援したかったのに、それは叶わなくなってしまった。それでも馬がいたから、新しい土地に行き、素敵な人たちにも出会えた。その体験価値の対価としての馬代金であり預託料。馬を所有することにまつわる体験価値が失われてしまうならば、大金を払ってそこに首を突っ込む意味や価値を見失ってしまうのも当然ですね。このような葛藤を抱いているのは僕だけなのでしょうか。

(次回に続く→)

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