繫殖牝馬セールの余韻が冷めつつある中、碧雲牧場から荷物が届きました。「治郎丸さんにとって初めての繫殖牝馬ですから、記念に無口(むくち)を送りますね」とあらかじめ長谷川さんからメールが入っていたので、封を開ける前から中身は知っていました。それでも、実際にダートムーアが着けていた無口を手に取ると、重いような軽いような。そこに刻まれた「Dartmoor 2008 Kurofune Curly Passion」の文字が燦然と輝いています。
無口とは、無口頭絡の略であり、馬の頭を輪っかの中に入れて、うなじの部分で引っかけて被せる馬具のひとつです。僕の足元を不思議そうに歩いているトイプードルのチョコに首輪代わりに着けてみようとしましたが、さすがに大きすぎました(笑)。もしこれからダートムーアが繫殖牝馬として、その仔や孫たちから数々の名馬を出すことになれば、この無口はより輝きを増すことでしょう。我が家の家宝として大切に飾っておきたいと思います。
ノーザンファーム繫殖牝馬セールから戻ってきて、ずっと僕の頭の中を占めている問いがあります。その問いは、「来春、ダートムーアにどの種牡馬を配合するか?」です。まずはニューイヤーズデイの仔が無事に生まれてきてくれることを願っていますが、それは僕の手の届かない範疇の話であり、神のみぞ知ることです。今の僕にできることといえば、ダートムーアにとって最適な種牡馬を考えてあげることぐらい。答えのない難問に取り組むときほど至福の時間はありません。延々と考えていられるし、考えれば考えるほど、少しずつ正解に近づいているような気がします。
まずサンデーサイレンス系ではない種牡馬を配合することは決めています。なぜなら、ダートムーアにはゴールドアリュール→ネオユニヴァース→キンシャサノキセキ→リアルインパクトと、これまでずっとサンデーサイレンス系の種牡馬がかけられてきました。ダートムーアはサンデーサイレンスの血を持たない血統構成ですし、またダートで4勝した実績を考えても、初年度から2年連続でゴールドアリュールが配合されたのも納得ですし、ネオユニヴァースとキンシャサノキセキ、リアルインパクトという流れも理解できます。天下のノーザンファームがそう考えたのですから、その時点では正しい判断だったはずです。
しかし、現実問題としては、これまでのダートムーアの産駒はあまりというかほとんど走っておらず、このままだとダートムーアの仔は走らないというレッテルを貼られてしまいそうです。最後のチャンスということで、非サンデーサイレンス系のニューイヤーズデイを配合したにもかかわらず、繫殖牝馬セールに出してきた意図はよく分かりませんが、何か複雑な事情があったのかもしれませんし、もしかすると牝馬を受胎していることが分かっているのかもしれません。
今、えっ?と思った方もいらっしゃると思います。繫殖牝馬セールに出している時点でお腹に入っている仔馬の性別が分かるの?と疑問に持たれたのではないでしょうか。僕も聞いて驚いたのですが、現代の科学機器を用いると、この時点ですでに牡馬が牝馬かの性別は分かっているそうです。
実際にセリで馬を売るとなれば、牡馬と牝馬は現実的に価格に差が生まれてしまうため、生産者が牡馬を熱望される気持ちは良く分かります。ちなみに、手元にある「パーフェクト種牡馬辞典2021」のデータによると、オルフェーヴル産駒の2020年セリ価格の平均は、牡馬が2970万円にたいして、牝馬が1051万円です。スクリーンヒーロー産駒にいたっては、牡馬が4076万円に対して、牝馬が1056万円と3000万円以上の差が生まれています。もちろん、牝馬の方が高い逆転現象が起きている種牡馬も稀にいますが(キングカメハメハやダイワメジャーなど)、ほとんどどの種牡馬の産駒は、牡馬か牝馬に生まれてきたことだけで、多かれ少なかれ価格が違ってきてしまうのです。
僕はお腹にいる馬の性別にはそれほどこだわっていません。牝馬が生まれたら、ダートムーアの血を紡ぐ後継者として自分で走らせ、手元に繫殖牝馬として残すという選択肢もあります。牡馬が生まれたら、誰かに買ってもらって中央競馬を目指していただいても、もしくは自分で使って地方競馬から世界を見据えても良いですし、途中でサラブレッドオークションを通じて誰かに転売することも可能でしょう。
自分で生産し、走らせるオーナーブリーダーの響きにはあこがれますが、いろいろと経費等を計算していくと、最初のうちはセリで売るという選択肢を取らざるを得ないかもしれません。そのあたりのことは、そのときになってから考えれば良い話ですから、今、あまり考えないようにします。
ダートムーアの花婿に話を戻すと、これまでサンデーサイレンス系をかけてきた流れを変える(現在受胎中の)ニューイヤーズデイは悪くない配合だと思います。サンデーサイレンス系の血は、良くも悪くも自己主張が強いため、ダートムーアらしさや母系のダイナカール一族の良さを生かせなかった可能性は否めません。良血×良血が超良血とはならないのが血統の奥深さ。それぞれが喧嘩し合って、良い面を打ち消し合ってしまうことだってあるのです。ダートムーアはサンデーサイレンス系との配合がプラスに出ていないという事実を以て、僕はサンデーサイレンスの血が一滴も入っていない種牡馬を探すことにしました。
特に相性が良いだろうと仮定しているのは、キングカメハメハ系です。ダートムーアの叔母にあたるエアグルーヴとキングカメハメハの配合でルーラーシップが誕生し、エアグルーヴの娘アドマイヤグルーヴ(父サンデーサイレンス)とキングカメハメハの配合でドゥラメンテという大物が出ています。この2例だけを切り取って、ダイナカール牝系とキングカメハメハ系との相性が良いとするのは早計かもしれませんが、相性が悪くはないのは確かでしょう。
ダイナカール一族は馬体に緩いところがあり、完成までに比較的時間のかかる系統です。エアグルーヴが本格化したのはバブルガムフェローを天皇賞・秋で破った4歳の秋でしたし、アドマイヤグルーヴも牝馬3冠後のエリザベス女王杯でようやくスティルインラヴに土をつけることができました。また、オレハマッテルゼが高松宮記念を制したのは6歳春でした。
緩いダイナカール一族にこれまたさらに緩いサンデーサイレンスの血を入れるよりも、関節等が硬くなってしまいがちなキングカメハメハの血を注入する方がほど良いバランスになるのでは、という馬体的な狙いもあります。
そこでキングカメハメハ系の種牡馬を並べてみると、ロードカナロアを筆頭にドゥラメンテ、新種牡馬レイデオロ、サートゥルナーリアと魅力的な馬が並び、リオンディーズやルーラーシップ、ホッコータルマエからラブリーデイ、ミッキーロケット、トゥザグローリー、トゥザワールド、ベルシャザールと続きます。キングカメハメハは種牡馬の父と呼ばれるように、実績がある種牡馬からない種牡馬まで、また種付け料も高額な種牡馬から安価な種牡馬まで、幅広い選択肢を提供してくれています。
とはいえ、さすがに種付け料が1500万もするロードカナロアは手が届かず、ドゥラメンテは残念ながら亡くなってしまい、ルーラーシップはインブリードがきつすぎますし、現時点では実績がない割に種付け料が高いレイデオロやサートゥルナーリアもかなりの冒険です。ホッコータルマエは5代血統表内にインブリードが生まれない健康的な配合であることは魅力的ですが、産駒はどうしてもダート色が濃くなります。ラブリーデイはトニービンのクロスが濃くなってしまいますし、ベルシャザールはそもそもサンデーサイレンスの血が入ってしまっています。それ以外の種牡馬たちは、実績面からもあまり魅力的に思えません。非サンデーサイレンスかつキングカメハメハ系という条件を設定して絞り込みをかけたにもかかわらず、思考は堂々巡りをしています。配合を自ら決める生産者の立場になってみて、初めてその難しさが分かってきました。
(次回に続く→)