[連載・馬主は語る]揺れる(シーズン3-6)

僕の気持ちを察したのか、スパツィアーレは今回も受胎しなかったようです。「治郎丸さん、すいません。またダメでした…」と慈さんは、自分が悪いわけではないのに、恐縮して電話をかけてきてくれました。むしろ4回もスパツィアーレを連れてスタリオンまで行ってくれて、無駄足に終わってしまい、こちらが申し訳ない気持ちです。受胎しないことばかりにフォーカスが当たってしまいますが、陰部洗浄してくれて、馬運車に仔馬と一緒に乗っけて、片道1時間の道のりを運転して連れて行ってくれていることに感謝しなければいけません。生産者は見えない仕事ばかりなのです。

僕はあまりにも受胎してくれないスパツィアーレを不安に感じつつも、心のどこかで、これでサトノクラウンに切り替えられると喜んでいました。慈さんと相談すると、時期的に考えて、今回の種付けが最後のチャンスになるだろうということでした。次の排卵日が6月3日あたりになるため、そこで種付けをして受胎できなければ、次は6月20日前後になり、運良く受胎しても11か月後の5月末もしくは、出産が遅れてしまうと6月生まれになってしまいます。さすがにスパツィアーレの産駒が大きく出るとはいっても、6月生まれの産駒は他の馬と比べて小さめになるため、買い手からも敬遠されがちなので売りにくくなるのです。

産駒が売れにくくなるだけではなく、その年の種付け開始も遅れることになり、最初の発情で受胎できなければもう後がなくなってしまいます。今年なんとか受胎できたとしても、そのツケは来年以降に持ち越されてしまうのです。遅生まれと種付け開始の遅れは悪循環してしまい、そこにまたしても不受胎が重なれば、結局のところ、どこかで種付けをあきらめなければならなくなります。ここまで遅れてしまった以上は、どこかの年で一度リセットして、翌年はシーズン開始に合わせてダッシュをして早生まれの仔をつなげていくしかないのです。1年の空胎は生産者にとって1年間の収入がないことと同義であり、もったいなくて仕方ありませんが、母体を休ませることができると考えると前向きに捉えることができるかもしれません。そう考えるしか、気持ちの持って行き場がありません。

ところが、ラストチャンスの種付け前日、慈さんから電話がかかってきました。

「サトノクラウンに種付け依頼が殺到しているようで、明日も明後日も入れそうにありません」

産駒のタスティエーラが日本ダービーを勝った直後だけに、予期できたといえばその通りですが、さすがにこの遅い時期にまだ受胎していない繁殖牝馬がそれほど多くいるとは思えませんでしたし、サトノクラウンはずんぐりむっくりの仔を出すので小さい繁殖牝馬は配合しづらいため、思っているほど殺到しないのではないかと高をくくっていました。まさか明日も明後日も1枠も入れないほどの人気とは、さすが日本ダービーを勝つことの価値はそれだけ高いということですね。わずか150万円の種付け料の種牡馬からダービー馬が出たのですから、生産者にとっては夢がある話です。

サトノクラウンに気持ちが偏っていた僕はそれでもあきらめきれず、「もしかすると明日、明後日で急遽、空きが出るかもしれないから、粘ってみてもらいたいです。明日の朝、もう一度、社台スタリオンステーションに実状を聞いてみて、チャンスがあるようであれば待ってみてください。それで排卵のタイミングを逃してしまうのであれば仕方ありません。どうしても2番手を挙げるならばイスラボニータでしょうか」と伝えました。

翌朝、慈さんから「イスラボニータに行ってきました」と連絡を受けました。結局のところ、サトノクラウンには入る余地もなく、排卵のタイミングを逃すことの方が惜しいから、入れるイスラボニータに行ってきたとのこと。妥当な判断だと思いますが、サトノクラウンに傾倒していた僕は残念な気持ちで一杯です。現実を受け入れるのは難しいのですが、イスラボニータの仔を受胎するにしてもしなくても、これで今年の種付けは一旦ゲームセットです。

生産の世界に足を突っ込んでみるまでは、受胎しないことでここまで困るとは思いも寄りませんでした。流産や死産、産駒の怪我や病気、死亡などは生産のリスクとして想像はつきましたが、そもそも受胎しないという問題が発生するとは…。僕たちは競走馬として入厩できた個体ばかりに目を向けてきましたが、そもそも受胎しなければ何も始まらないことなど知る由もなかったのです。こんなにも生産が難しくて、奥の深いものとは…。ため息をつくと共に、物書きであり、少しマゾ気質もある僕は、何と面白い世界だとこの時感じてしまったのです。それは馬券を買うことを通して競馬の世界に入ってきたときと同じような、自分にはコントロールできないことを半分悔しがり、半分楽しむような感覚でした。

そして、こんなにも自分が揺れるのも久しぶりでした。最初はチュウワウィザードであったのに、次はカレンブラックヒル、その次にイスラボニータ、最後はサトノクラウンと、半年近くかけて自分の頭で配合を考えてきたつもりでしたが、受胎しなかっただけで4頭も配合を変えてしまいました。チュウワウィザードとの配合に絶対的な自信があれば、最後まで貫き通せたはずです。3回目の種付けをカレンブラックヒルに変えたのは、チュウワウィザードが空いていなかったからですが、今思えば、それ以降はその時々によって迷いがあったのだと思います。見下ろすと谷底が広がる吊り橋の上で、立ち止まってしまいそうになりながら、生産者は揺れながらも歩みを進めていかなければならないのです。

(次回へ続く→)

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