ハイセイコーとは何者なのか? - 寺山修司が語るレジェンドホースとその時代

1.「レジェンドウマ娘」ハイセイコー

ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』の4周年で追加された新シナリオ「The Twinkle Legends」。このシナリオでは、「レジェンド」のウマ娘として3人が新たに登場した。セントライト、スピードシンボリ、そしてハイセイコーである。

モデルとなった競走馬はいずれも競馬史に名を残す、まさに「レジェンド」だが、実は競走実績からすると、セントライト・スピードシンボリとハイセイコーには差がある。セントライトは日本競馬史上最初の三冠馬であり、古馬になってから重い斤量を背負うことを嫌って3歳(当時は4歳表記)で引退したものの、一時代を築いた最強馬の1頭と言って良い。スピードシンボリはキングジョージ6世&クイーンエリザベスSと凱旋門賞という欧州の二大レースに初めて出走した日本馬であり、国内でも天皇賞(春)を勝利し、グランプリ3連覇を果たして年度代表馬にも選ばれている。(この言葉が遣われるのはもっと後の時代だが)当時の「日本総大将」として活躍した優駿と言えよう。対してハイセイコーの八大競走勝利は皐月賞のみ。競走成績は同世代のタケホープ(日本ダービー・菊花賞の二冠+天皇賞(春)勝利)が上回っており、当時の最強馬と言えるような存在ではなかった。

では、なぜハイセイコーは「レジェンド」なのか。それは彼が競馬ブームを巻き起こした存在だからである。地方競馬の大井でデビューし、土付かずの6連勝を果たして中央に移籍。そのまま無敗でクラシックを制する活躍は人々を熱狂させた。彼が起こしたムーブメントは、後に「第一次競馬ブーム」として語られる。

一頭のスターホースが競馬ブームを巻き起こす現象はこの後も度々起こるが、GⅠ4勝・中央重賞12勝を誇るオグリキャップや無敗の三冠馬ディープインパクトと比べても、ハイセイコーは抜群の実績を残したわけではない。

公営競技の研究者である古林英一氏はハイセイコーを「高度経済成長期の掉尾を飾るスターホース」と表現した上で、次のように分析する。

 競走馬としてのハイセイコーの戦績は素晴らしいものだが、いわゆるクラシックレースでの勝ち鞍は皐月賞だけで、競走記録だけからみると他にも数多くの名馬がいる。
 地方競馬から中央競馬に挑み成果をあげたというストーリーが多くの人々の心を捉えたことは確かだ。

──古林英一『公営競技史 競馬・競輪・オートレース・ボートレース』(角川書店、2023年)より引用

つまり、ハイセイコーは成績ではなく「ストーリー」で競馬ブームを作り、「レジェンド」となった…という分析である。ではその「ストーリー」とはどのようなものだったのか。本稿では文筆家・寺山修司の語りを通じて、ハイセイコーについて考えていきたい。

2.寺山修司が見るハイセイコー

寺山修司がハイセイコーについて書いたものは数多いが、その中で「代表作」を挙げるとするならば、やはり「さらばハイセイコー」(増沢末夫騎手歌唱による楽曲とは別)だろう。ハイセイコーに魅せられた様々なファンの姿を描写しながら、ハイセイコーと、そしてハイセイコーを失った人々にメッセージを届ける。

ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼らの
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
お前のいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ

(中略)

ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる

思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただの数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと

だが忘れようとしても
眼を閉じると
あのレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

──寺山修司「さらばハイセイコー」(『競馬への望郷』角川書店、1979年)より引用

寺山はハイセイコーを「希望」の象徴として描いている。

そしてハイセイコーは競馬ファンの人生の「代償」であったのだと捉える。だからこそハイセイコーの存在を忘れられず、「喝采の音」が聞こえ続けるのだ。

私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。その逆に、「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである。この二つの警句はよく似ているが、まるでちがう。前者の主体はレースにあり、後者の主体は私たちにあるからである。

──寺山修司「栄光何するものぞ」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用

このように考える寺山にとって、多くの「比喩」となったハイセイコーの存在は特別だったのだろう。

そして、寺山のハイセイコー観を見ていく中で興味深いのが、「ハイセイコーの敗北」にフォーカスした名文が多い点である。例えば、「さらばハイセイコー」の中でも敗北が取り上げられている。

ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた

ふりむくと
一人の親不幸な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった

(中略)

ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった

ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた

──寺山修司「さらばハイセイコー」より引用

などの数節は、ハイセイコーがもたらした「希望」だけでなく彼の「敗北」を想起させるものだ。この「ハイセイコーの敗北」についての寺山の考えをもう少し掘り下げてみよう。

3.ハイセイコー、初めての敗北

ハイセイコーの敗北において最も印象的なのは初めての敗北、つまり「さらばハイセイコー」にも登場する「五月二十七日のダービー」だろう。まずは前提として、そこに至るまでのハイセイコーの戦績を振り返っておく。

1972年、地方競馬の大井競馬場でデビューしたハイセイコーは6戦負けなしで重賞・青雲賞(現・ハイセイコー記念)を7馬身差で勝利。しかもこの7馬身差はデビュー以来最少着差で、2戦目には何とダート1000mで16馬身差をつけている。中央移籍初戦の弥生賞も勝利すると、中2週で出走したスプリングステークスも連勝。芝への適応力を見せたが、着差はそれぞれ1馬身3/4、2馬身半と圧倒的な着差というわけでは無かった。それでも地方から出現した「怪物」の存在に人々は興奮した。

皐月賞当日は雨の重馬場というハイセイコーにとって初の条件に。それでも単勝オッズ2.0倍の1番人気に支持されたのだから、競馬ファンの期待ぶりがうかがえる。レースでは重馬場適性を見せ、第3コーナーで早くも先頭に立つと楽な手応えのまま直線に向き、そのままゴール。2馬身半差という着差以上の余裕ある勝ち方だった。

こうなると多くのファンが無敗の二冠馬、あるいはシンザン以来の三冠馬の誕生を待ち望むようになる。初の東京コースとなった前哨戦のNHK杯がアタマ差の辛勝であったにもかかわらず、日本ダービーでは単勝1.5倍の圧倒的1番人気。単勝支持率66.6%は、ディープインパクト(73.4%)に更新されるまで歴代最高記録だった。ところが、この大一番でハイセイコーは3着に敗れる。その衝撃は想像を絶するほどだっただろう。寺山は『優駿』に寄稿した観戦記を次のように書き始めている。

ダービーが終わった。
嶋田のタケホープが疾風のようにゴールを駆け抜けたとき、私たちはまた一つの夢が破れるのを感じた。ハイセイコーは百万人のファンが作り出した虚構にすぎなかったのか?

──寺山修司「人生は夢ではない」(『「優駿」観戦記で甦る 日本ダービー十番勝負』小学館、1998年)より引用

当時の競馬ファンの慟哭にも似た失望が伝わるようである。当時、日本は高度経済成長の只中である。この年(1973年)の秋に第四次中東戦争をきっかけとしたオイルショックが起こるのだが、まだ人々は知る由もない。しかし、ハイセイコーの敗北は時代に暗い影を落としたと寺山は分析する。

このことは、ただの一頭の馬の敗北を意味するものではなかった。ハイセイコーという虚構の崩壊は、たちまちのうちに政治化され、ヒーローなき同時代の混迷に通じていった。価値の相対化だけが現実であり、〈絶対〉は夢の中にしか存在しなかった。

──寺山修司「人生は夢ではない」より引用

ハイセイコーの敗北は混迷する時代の象徴であった。「〈絶対〉の価値」の崩壊を鋭く指摘した寺山の分析は、この後の歴史を知る令和の我々が読んでも真に迫る。

この後、寺山はハイセイコーの敗因について「虚構」と表現し、様々な解釈を繰り広げる。それは替え玉説、ハイセイコーの厩務員による呪い説など荒唐無稽なもの。しかしそれはそのような「虚構」にすがらなければハイセイコーの敗北を受け入れられない、ということのあらわれであろう。「ヒーローなき時代」を受け入れることには苦痛が伴ったのである。

しかし、寺山はこの観戦記での予想を大きく外すこととなる。次の一節である。

競馬史の長い淘汰のあとで、たとえハイセイコーの名は忘れられてしまっても、タケホープの名だけは、深く刻みこまれ、ファンの胸に記録されつづけることになるだろう。

──寺山修司「人生は夢ではない」より引用

寺山の予想に反して、ハイセイコーはセントライトやスピードシンボリなどと並んで顕彰馬に選定され、日本競馬史に残る「レジェンド」として今もなお称えられ続けている。タケホープも愛される存在ではあるものの、若い競馬ファンにとってはハイセイコーほどの知名度はないだろう。それはハイセイコーという「アイドル」=「偶像」≒「虚構」が、敗北を経てなお価値を失わなかったことを意味している。

4.負けてなお輝く「アイドルホース」

ダービーの後のハイセイコーは勝ったり負けたりを繰り返すが、八大競走では菊花賞と有馬記念の2着が最高着順。大レースには縁がなかったと言えよう(宝塚記念は勝っているが、八大競走には含まれていない)。寺山も当時のファンの声を次のように紹介していた。

ハイセイコーは強いのか弱いのか、さっぱりわからん

──寺山修司「ハイセイコー敗北の四つの謎」(『競馬への望郷』角川書店、1979年)

寺山はこのエッセイ「ハイセイコー敗北の四つの謎」において、ハイセイコーが勝ち負けを繰り返す理由にまつわる様々な珍説を紹介している。それはハイセイコーが度々別の名馬と入れ替わっているという新たな替え玉説、配当金をつり上げるための八百長説など、やはり「虚構」である。しかし、こういった「虚構」が語られるところに、ダービーの敗北を経てなおハイセイコーにまつわる「ストーリー」が魅力を持って受け入れられていたことがうかがえる。「アイドルホース」の人気は健在だったのである。

ハイセイコーが引退したのは1974年の有馬記念。この時もタニノチカラに5馬身離された2着に終わり、有終の美を飾ることは出来なかった。この点、オグリキャップやディープインパクト、オルフェーヴルやキタサンブラックといったスターホースたちが印象的な名実況と共にラストランの有馬記念を勝って引退しているのとは対照的である。それでも人々はタケホープに先着したことを称え、主戦の増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」はヒット曲に。最後まで「アイドルホース」として絶大な人気を博した。

5.むなしかったある日々の代償

では、なぜハイセイコーの「ストーリー」は幾度もの敗北を経てなお魅力を失わなかったのか。寺山はエッセイ「旅路の果て」の中でハイセイコーの熱狂的ファンの一人の声を紹介している。

ハイセイコーをテレビで見るようになって、すっかり惚れ込み、負ければくやしくて泣いちゃってご飯が食べられなくなっちゃうし、勝てばうれしくて胸が一杯でご飯が食べられなくなっちゃうし、やせてしまいました

──寺山修司「あの馬はいずこに 旅路の果て」(『旅路の果て』新書館、1979年/河出書房新社より2023年復刊)より引用

勝っても負けてもハイセイコーへの思い入れを失わない姿。ここに登場するのは、完全無欠のヒーローでなくなってもハイセイコーを応援し続けるファンである。寺山は、このファンの心理を次のように分析する。

語りたくない過去、挫折。夕陽がさしこむ。そして、目をつむって思い浮かべると緑の大草原を走っているのはハイセイコーのおもかげだ。「誰か故郷を想わざる」という歌の文句ではないが、人が遠くへあこがれるのは、きっと現在がわびしいときではないだろうか。

──寺山修司「あの馬はいずこに 旅路の果て」より引用

現在の「わびしさ」こそがハイセイコーへの思慕につながると寺山は考える。

寺山がハイセイコーの敗北に「ヒーローなき同時代の混迷」を見た1973年の秋にオイルショックが起こったことは先ほど述べたとおりだ。オイルショックによる物価の高騰は国民生活の混乱をもたらし、同年12月には国民生活安定緊急措置法が施行されるなど政府は対応に追われる。翌1974年には消費者物価指数は23%も上昇。「狂乱物価」という言葉さえ生まれた。この年、日本は戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長が終わりを迎えている。「同時代の混迷」はハイセイコーの現役生活と並行して深まっていったのである。

「わびしさ」がハイセイコーを応援する原動力となるのであれば、その理由はハイセイコーが〈絶対〉ではなかったからだ。戦後日本の繁栄が〈絶対〉でないことを知った同時代人にとって、無敗のヒーローではなく敗北を経験してもなお走り続けるハイセイコーこそが感情移入の対象となったのだろう。ハイセイコーは「挫折のない人生はない」ことを身をもって感じさせる存在であった。寺山は、「さらばハイセイコー」で「ハイセイコーはむなしかったある日々の代償にすぎなかった」と指摘する。ハイセイコーの描いた「ストーリー」は人生の「代償」であった。それは「ヒーローなき同時代の混迷」の中で生き続ける人々の「希望」を背負って走ったからだと言えるだろう。

ハイセイコーは初代三冠馬のセントライトや海外遠征の先駆けとなったスピードシンボリのような「時代を築いた」競走馬ではなかった。

しかし、「時代を背負った」競走馬だったのである。これほど時代とシンクロする競走馬は空前絶後であろう。正に「レジェンド」の名に相応しい名馬である。


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