日々、全力でしのぎを削る競走馬たち。競走馬には、常に怪我の危険性が付いて回ります。
素質のある期待されていた馬が骨折で引退、人気の名馬が屈腱炎により長期離脱、さらには、より悲しい結末を迎えることも──。
しかし一方で、骨折という大怪我を乗り越え、競馬場に戻ってきた馬たちがいます。
そして中には、もう一度『復活勝利』をあげる名馬もいるのです。
今回は、そんな「骨折から奇跡の復活」を果たした名馬たちから、4頭ピックアップしてご紹介していきましょう。
その姿はまさに『奇跡の名馬』
トウカイテイオー
七冠馬シンボリルドルフを父に持つ「帝王」。
皐月賞やダービー、ジャパンC、有馬記念などを制覇し、顕彰馬にも選出された、競馬ファンにとどまらずその名を轟かせる名馬です。
しかし、その現役時代は、骨折との戦いの日々でもありました。
重賞未勝利ながらもそれまで示してきた圧倒的なパフォーマンスにより皐月賞では1番人気に推されると、そこを快勝。さらにはダービーで、2着に3馬身差をつけての圧勝劇を演じます。
「三冠間違いなし」。
そんな評価にふさわしい活躍を見せていた同馬の前に立ちはだかったのが、怪我でした。菊花賞を目前に、左第3足根骨骨折。あと一歩のところで、父のもつ「三冠馬」の称号に手が届かない状況となってしまったのです。
幸い致命的な骨折ではなく、翌春には大阪杯にて復帰戦を迎えます。怪我の影響も見せず、そこを快勝したテイオーでしたが、その次走・天皇賞春で敗れたのちに、新たに右前脚の剥離骨折が判明。またもや治療を余儀なくされます。
次なる復帰は、半年後の天皇賞秋。しかしそこを7着に惨敗してしまいます。そのらしからぬ負けっぷりに「もはやこれまでか」「やはり骨折の影響が大きいのでは」など、様々な声が囁かれるようになりました。
そんななか、テイオーの次なる戦いの場に選ばれたのは、ジャパンCでした。
当時のジャパンCは今のように日本馬優勢ではありません。日本馬vs外国馬というよりも、さらに前の時代。海外からやってきた名馬たちに日本馬が挑む、という構図だったと言って良いでしょう。
さらにその年の海外勢は、特に豪華メンバー。イギリスダービー馬が2頭参戦しただけでなく、全豪年度代表馬なども参戦。1〜4番人気まで外国馬が占めるほどでした。
しかしテイオーは、その逆境とも言えるレースで、蘇ります。
直線、オーストラリアの名馬・ナチュラリズムとの壮絶な叩き合いを制し、クビ差でビッグタイトルを勝ち取ったのです。それは、父シンボリルドルフ以来となる、日本馬によるジャパンC制覇でした。
テイオーによる奇跡の物語は、まだ続きます。
年末の有馬記念を敗れると、左中臀筋を痛めていたことが判明。さらに復帰戦として選んだ宝塚記念の直前に、左前トウ骨の剥離骨折が判明します。そこからまた休養に入り、テイオーが復帰出来たのは、その年末。
──そう、有馬記念でした。
有馬記念の次走が、有馬記念。
字面を眺めるだけでも、無謀に感じるほどの挑戦です。中364日での出走でした。
ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ライスシャワー、メジロパーマー、ナイスネイチャ、マチカネタンホイザ、ベガ──。様々な路線で活躍してきた名馬たちを相手に、トウカイテイオーは、堂々たるレースを見せつけます。やや早めに仕掛けると、勢いに乗る菊花賞馬ビワハヤヒデとゴール前で競り合いに。そして半馬身抜き去ったところが、ゴールでした。
まさに、奇跡の復活。
3度の骨折を乗り越え、数々の名馬と激突し、復活を続けたトウカイテイオーの物語は、ここでフィナーレを迎えたのです。
中364日での復活勝利で、彼は、父とはまた違った形で「伝説の名馬」となりました。
自らの未来を切り拓く復活劇
グラスワンダー
スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー。様々な「タレント」が揃う、98年クラシック世代。その中でも多くの人気を集めたのが、グラスワンダーでした。
デビューから圧倒的なパフォーマンスを続け、最優秀3歳牡馬(当時)に選出されたグラスワンダー。当時はルール上「マル外」であるグラスワンダーは、皐月賞・ダービーへの出走は叶いません。そのため、スペシャルウィークやセイウンスカイ、キングヘイローたちとの戦いはまだ先の話。まずはマル外馬が集うNHKマイルCを目指すのがセオリーでした。そのセオリーに従い、前哨戦の出走に向けて調整していたところ、右後脚の第3中手骨を骨折。大事な春シーズンを休養することとなりました。そのグラスワンダーが不在のNHKマイルCでは、エルコンドルパサーが完勝。グラスワンダー陣営は、悔しかったに違いありません。
骨折前、4戦全勝馬だったグラスワンダー。
その完璧な経歴を継続したいところでしたが、復帰戦の毎日王冠で、ひとつ年上の名馬サイレンススズカが立ちはだかり5着に敗れてしまいます。それだけならまだしも、1番人気で迎えた次走・アルゼンチン共和国杯ではさらに着順を落とす6着。まさかの連敗を喫します。
一方で、エルコンドルパサーはジャパンCを制覇。未対戦のスペシャルウィークとセイウンスカイは、クラシックのタイトルを分け合う大活躍。そんな同期の華々しい活躍と明暗が分かれる秋になってしまったのでした。
しかし、暮れの大一番・有馬記念でグラスワンダーは輝きを取り戻します。
セイウンスカイ、エアグルーヴ、メジロドーベル、メジロブライト、キングヘイロー、ステイゴールドといった名馬が集合した一戦。
そこでグラスワンダーは、逃げるセイウンスカイをつかまえ、さらには猛追してきたメジロブライトを退け、完勝します。豪華なメンバーが揃った有馬記念だっただけに、その復活は鮮烈な印象を残しました。
その後、少しずつ自分の走りを取り戻していったグラスワンダーは、翌年の宝塚記念・有馬記念を制覇し、いわゆる「グランプリ」の三連覇を成し遂げます。
引退してからも、種牡馬として大活躍したグラスワンダー。
マイルで大活躍していた若駒時代だけではなく、復活後のグランプリ制覇が大きく配合の幅を広げたに違いありません。快速馬を狙った配合も多かった一方で、スタミナを意識した配合も少なくありませんでした。そしてそこからアーネストリー、セイウンワンダーといった名馬が登場。多くの「親子制覇」を達成する中で、産駒の1頭スクリーンヒーローはアルゼンチン共和国杯で勝利し、グラスワンダーのリベンジも果たしています。産駒は1200m重賞・オーシャンSを制覇したスマートオリオンから3600m重賞・ステイヤーズSを制覇したコスモヘレノスまで、魅力ある名馬がたくさんいます。
そしてジャパンCを制覇したスクリーンヒーローから、歴史的名マイラー・モーリスが誕生。その豊富なスピードから、祖父のグラスワンダーに思いを馳せるファンも多く見られました。こちらも、グラスワンダーが骨折を乗り越えたからこそ誕生した名馬と言えるのではないでしょうか。
まさに、自身だけでなく、日本競馬界の未来をも切り拓く、珠玉の復活劇でした。
名手と勝ち取った2度目の開花
アドマイヤコジーン
上述した2頭と同様に、早いうちから才能を開花させていたのが、次にご紹介するアドマイヤコジーン。こちらも、朝日杯3歳Sを制して世代チャンピオンに輝く活躍馬でした。
しかし彼の戦績を見てみると、1998年12月の朝日杯3歳Sの次走は、2000年7月のUHB杯となっています。それは決して表記ミスではなく、本当に約1年半のブランクがありました。
そう、彼は骨折により、長い休養をした馬なのです。
世代王者の称号を引き寄せた一戦・朝日杯3歳Sでの勝利の翌月、アドマイヤコジーンが骨折していることが判明します。ボルトがはいるほどの大怪我で、長期休養余儀なくされました。そしてなんとかこぎつけた復帰戦を目前にして、次は別の骨折を発症──。
実に、1年半以上もの長期間、レースから遠ざかることになったのです。
アドマイヤコジーンの苦難は、まだ続きます。
7月の復帰戦から年末まで、コンスタントに6戦を使われるも、全敗。芝2000m戦やダート1400m戦など試行錯誤を繰り返すものの、なかなか結果の出ない日々が続きました。あの頃の走りは復活するのか、しないのか。陣営は試行錯誤の日々を過ごします。
しかしその悪い流れは、翌年に持ち越されてしまいます。なんと、2000年シーズンに続き、2001年シーズンも全敗。これでアドマイヤコジーンの連敗は「12」に伸びてしまったのです。こうなってくると、アドマイヤコジーンが怪我によって輝きを失ったと考えてしまうかもしれません。ですが、陣営は粘ります。
アドマイヤコジーンが「骨折からの復活劇」の立役者と出会うのは、その12連敗のあとでした。
それが、故・後藤浩輝騎手です。
後藤騎手に乗り替わった初戦・東京新聞杯を勝利すると、続く阪急杯でも勝利。今までの連敗が嘘のような快進撃を続けます。さらに高松宮記念でも2着に好走し、一躍マイル・スプリント路線の有力馬となりました。
そして迎えた、安田記念。
後藤騎手に導かれ、先行策に出たアドマイヤコジーンは、2番人気ダンツフレームの猛追をクビ差で凌ぎ切ります。復活の、GⅠ勝利。なんと、3年半ぶりのGⅠタイトルでした。
そして鞍上の後藤騎手にとっては、これが中央GⅠ初制覇。関東を代表する騎手として活躍しながらも、GⅠタイトルになかなか手の届かなたいでいた後藤騎手にとって、特別な一戦となったことでしょう。勝利後に見せた涙は、ファンの感動を呼びました。
イレギュラーな才能と経歴で
メイセイオペラ
イレギュラーな「骨折からの復活劇」といえば、メイセイオペラでしょう。
メイセイオペラは、岩手競馬所属の地方馬。デビュー年は8戦4勝とまだまだ開花前といった印象の成績でしたが、岩手競馬のクラシックが開幕すると頭角を現します。
東北ダービー・不来方賞と連勝すると、一躍、岩手競馬を代表する活躍馬として知られるように。特に、岩手競馬のダービーと言われている不来方賞では2着に1.5秒差をつける完勝で、地元に敵なしをアピールしました。その勝ちっぷりは圧巻で、さらなる飛躍が期待されました。
しかし、そこでメイセイオペラは骨折してしまいます。
そしてその骨折箇所とは、珍しいことに、頭蓋骨でした。
頭蓋骨骨折の憂き目にあってからリズムを崩したメイセイオペラは、次走で10着と大敗。それまで築き上げてきた連勝は、9でストップしてしまいます。さらにその次走も10着に敗れましたが、年末の一戦・桐花賞で勝利して復調の兆しを見せました。
そこからは圧巻で、地元のレースと遠征とを繰り返しながら実績を積み上げていくように。GⅠ級競走でも、川崎記念4着→帝王賞3着→南部杯1着と、着実にステップアップ。さらに翌年はフェブラリーSを制覇します。これは大偉業で、地方所属のまま中央GⅠを制したはじめての馬となりました。
引退後は種牡馬となりますが、途中で韓国へ輸出。韓国で活躍馬を輩出し、人気の種牡馬となったそうです。引退後もイレギュラーな活躍を続けたのは、さすがというほかありません。
さて、いかがだったでしょうか?
ここで取り上げていない馬にも、勿論、たくさんの復活はあります。そしてその背景には、多くの関係者の皆様による尽力があるのです。
一頭でも多くが怪我なく現役時代を過ごすことを応援する一方で、怪我をしてしまった馬たちにも目を向け、その馬や陣営を応援していくのはいかがでしょうか。見守る立場の私たちに出来る、最初の一歩が、そうした「注目して、応援する」という気持ちを持つことなのですから。
写真:かず