[平成名勝負]1100mの距離短縮に秘められた、男たちの苦悩〜1999年京王杯スプリングカップ・グラスワンダー〜

この馬にこの騎手あり、この馬にこの調教師あり。
サラブレットは人が作った最高の芸術品であり、馬を走らせるは人の匠がなせること。
世界中に時代ごとに名伯楽と敬意を持って評される調教師がいる。
そして、その馬の全てを知り尽くし、まるで己の意思が馬に乗り移ったかのように縦横無尽に操る名騎手がいる。

90年代の終わり、騎手・的場均と調教師・尾形充弘──この2人の間に、グラスワンダーがいた。

グラスワンダーに類稀なる能力が備わっていたのは当然ながら、この馬をファンに愛される名馬に押し上げたのは的場均騎手、尾形充弘調教師の功績である。

なぜなら、グラスワンダーはその能力を発揮するには体質の弱さという欠点を抱えていたからだ。

的場均騎手と尾形充弘調教師なしには、グラスワンダーという「名馬」は誕生しなかっただろう。

グラスワンダーの父シルヴァーホークはアメリカで生まれ、イギリスで活躍したが、英2000ギニー5着、英ダービー3着など大きなタイトルは獲得できず、調教中に球節を痛め3歳で引退した。ロベルト系の底力が種牡馬となったことで産駒に伝わり、世界中でステークスウイナーを輩出。

そのなかの1頭が、日本に輸入されたグラスワンダーだった。

日光に照らされると、金色に輝く栗毛、愛嬌あふれる大きな瞳、切り揃えたれたおぼっちゃん風前髪──そして、他馬にはできない脚を高く振りあげてターフに叩きつけるフォームが印象的な馬だった。

2歳の秋に中山競馬場でデビュー。
東京のアイビーステークス、京成杯3歳ステークス(現在の京王杯2歳ステークス)と3連勝を飾り、底知れぬ能力を人々に披露したグラスワンダーは、暮れの中山で行われた朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)でマイネルラヴに0秒4差をつけて圧勝。

レースレコードの1分33秒6、ダイナミックな走りから「栗毛の怪物」と呼ばれた。

しかし、ここから尾形充弘はグラスワンダーの体質の弱さに悩まされる事となる。
父シルヴァーホークから球節の弱さまで受け継いだグラスワンダーは、思うように体調を整えられず、さらには骨折が判明。それにより3歳春を全休することとなった。

秋は毎日王冠でサイレンスズカの5着、アルゼンチン共和国杯はユーセイトップランの6着。

同期であり同じマル外でもあるエルコンドルパサーに、大きな差をつけられることになる。

早熟だったんじゃないかという声が聞かれた、その年の有馬記念。
グラスワンダーは1年前の朝日杯3歳ステークス以来の勝利を、なんとここで飾る。

改めて「栗毛の怪物」ここにあり、を自らの走りで示した。

翌年、グラスワンダーの年明け緒戦が京王杯スプリングカップと発表され、ファンは驚いた。
2500mの有馬記念を勝った馬が1400mの京王杯スプリングカップに出走するわけだから当然だった。
この1400m戦出走は尾形充弘調教師の苦渋の決断でもあった。

独特なフォームで走り、体質の弱さを抱えるグラスワンダーはレースを使えば、体調を崩してしまう。

まして古馬相手の有馬記念を激走した代償は大きかった。
筋肉痛で予定した中山記念を回避し、大阪杯も眼に外傷を負って使えなかった。
以前からマイラーではないかという声に対して、この馬は長い距離のほうがいいと主張していた尾形充弘調教師。

1400m戦出走はそれを考えても苦渋の決断だったことは想像できる。

──この決断に希望がなかったわけではないだろう。

父シルヴァーホークの産駒は確かに2000m以上のレースで好成績をあげる産駒が多く、ロベルト系らしいスタミナを備えたタイプが多かったが、シルヴァーホーク自身が圧勝したレースは1400mや1600m戦だった。マイラーの資質もないわけではない。

レースに騎乗する的場均騎手がかつて、3歳の毎日王冠で同じく主戦を務めたエルコンドルパサーとどちらを選ぶかという究極の2択を迫られたというのは、有名な話だ。

今のようにエージェントが仲介し、代打を用意して、次走からどちらにも乗り続けるという時代ではなかった。
尾形充弘調教師はグラスワンダーの順調とはいえない調整を踏まえ、エルコンドルパサーに乗るように進言したが、それでも的場均はグラスワンダーを選んだ。ずっと乗り続けた的場均騎手はグラスワンダーの京王杯スプリングカップ出走に弱気になっていたという。1100mの距離短縮なんて常識を外れており、まったく違う競技に出走するようなものだから仕方ないところだ。

しかし、的場均騎手にも勝算はあっただろう。
東京1400mならば置かれても最後の直線で挽回が効く。ましてや出走馬を見渡せば、スローペースになるのは明らかだった。遅い流れならばグラスワンダーにも追走できる。2歳のマイルGⅠをレコードで圧倒した馬だから無理筋でもない。

レースは予想通り、スローペースになった。

最初の600mこそ34秒9だったが、その後、コーナーでペースダウンし、11秒5‐11秒8とラップを落とした。
グラスワンダーが置かれるような流れにならず、中団を追走。

直線は大外に持ち出すと、あの前脚を叩きつける走りで猛然と伸びた。

的場均騎手が当時「他が止まって見えた」と振り返る走りは、上がり3ハロン33秒3という脅威のタイムを叩き出し──次走安田記念でグラスワンダーにリベンジするエアジハードを捕らえ──1着でゴールした。

そして、それは安田記念でエアジハードに屈した後、あのスペシャルウィークを徹底的にマークし、直線で圧倒した宝塚記念へとつながっていく。

有力馬をマークし、その馬に勝つ競馬を緻密に組み立てる戦略家「的場均」という騎手にとって、1400mへの距離短縮もクリアし、春秋グランプリ制覇を成し遂げるような利口で折り合いに不安がなく、自在な競馬を組み立てられ、最後に豪脚を繰り出せるグラスワンダーは、ベストパートナーではなかっただろうか。

そして、体質の弱さという脆さを抱えるグラスワンダーの能力を引き出し、故障がありながらも、巧みに柔軟にレースを選んで多くのタイトルを獲らせた尾形充弘調教師は、グラスワンダーになくてはならない名伯楽であった。

1100mの距離短縮は狙ったものではなかったかもしれないが、それをクリアさせたことはグラスワンダーの価値を一段引き上げることになった。

結果的にグラスワンダーは、スクリーンヒーローからモーリスへと血を繋いだ。
世界的にもめぼしいシルヴァーホークの後継がいないわけだから、この繋がりは希少価値が高い。

そしてこの繋がりには、尾形充弘調教師と的場均騎手という、2人の男たちが大きく貢献しているのだ。

写真:かず

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