[天皇賞春]愛という名のもとに父子二代制覇を成し遂げたヒルノダムール。

かつては毎年のようにフェアプレー賞を受賞し、特別模範騎手賞を2度も受賞。大レースを次々と勝利した名ジョッキー、藤田伸二騎手。その名手・藤田騎手がデビューから引退までの全21戦に乗り続けた競走馬がいた。

冠名にフランス語で愛と名付けられたヒルノダムール。

その馬名の通り、多くの愛を受けながら、長距離界の頂点に立った。そして父マンハッタンカフェとの父子二代制覇を成し遂げた春の盾…。

馬主に初の栄冠をプレゼントすることになる馬主孝行の息子は、淀の坂で何を感じたのか──。

SSと"神の馬"の血を継ぐ馬

ヒルノダムールの祖母にあたるメアリーリノアは、1988年に仏GⅠマルセルブサック賞を制した牝馬であった。引退後はフランスでの繁殖生活を経て北海道新ひだか町の橋本牧場にやってきた。

その後、1998年に"神の馬"と称されたラムタラと交配して産まれた娘のシェアエレガンスが2000年にデビューし、スイートピーステークスで4着など2004年までに26戦2勝の成績を残した。引退後はメアリーリノアと同じく生まれ故郷の橋本牧場にて繁殖牝馬となる。

タイキシャトルとの間に初仔を産んだ後、シェアエレガンス2年目の種付け相手には、サンデーサイレンス系種牡馬でかつノーザンダンサーの血が含まれず、さらに大柄という理由でマンハッタンカフェが選ばれたという。

マンハッタンカフェといえば、菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)とGIで3連勝を達成。皇帝シンボリルドルフ以来となる3歳秋から4歳春にかけて菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)をすべて制覇する所業を成し遂げた名馬である。

大種牡馬サンデーサイレンスと"神の馬"ラムタラを祖父に持つヒルノダムールは、2007年5月20日にシェアエレガンスの2番仔として橋本牧場にて産声を上げた。小さな鹿毛の2番仔は牧場で独りぼっちでいることが多かったが、大きなトラブルなく健康に成長。とにかく、手がかからない優等生だったという。

5月20日という競走馬として遅生まれの2番仔を見た栗東の昆貢調教師は活躍までには時間がかかると考えていたが、それを承知で蛭川正文氏が所有することに。馬名は蛭川氏が用いる冠名「ヒルノ」にフランス語で「愛」を意味する「ダムール」を組み合わせた。

こうしてヒルノダムールと名付けられた優等生は、ターフという戦場に躍り出るのである。

豪華な同世代ライバルたち

2歳となったヒルノダムールのデビューは11月の東京競馬場だった。鞍上は現役時代の全てを共にすることになる藤田伸二騎手。調教でも坂路で良い動きを見せたこともあり、レースでは1番人気に支持されたが、デビューからいきなりの遠征となったせいか僅差の2着に敗れてしまう。

それでも中1週で挑んだ京都での未勝利戦では2着馬に3馬身差を付けての圧勝。早くから藤田騎手に「GⅠが獲れる馬」と言わしめただけの能力を遺憾なく発揮した結果となった。

ところが、3戦目となったGⅢラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは、ハミを取ることなく走りヴィクトワールピサの4着に敗れ重賞初勝利とはならなかった。こうして、期待されたヒルノダムールは3戦1勝で2歳の年を終えた。

年が明け、3歳となり初戦に選ばれたレースがオープンクラスの若駒ステークス。このレースは、あの英雄ディープインパクトが2005年に衝撃的な走りを魅せたことで有名となった出世レースでもある。

そして、ここでヒルノダムールは後に香港GⅠを勝利する名牝エアグルーヴの息子ルーラーシップと初の顔合わせとなる。しかし、ヒルノダムールは1番人気だったルーラーシップに1馬身半差で勝利。2勝目を挙げて見事オープン入りを果たした。

──このヒルノダムールがいた世代は、今思うと豪華なメンバーが揃った世代でもある。

上述したヴィクトワールピサにルーラーシップ、に加え、エイシンフラッシュや、バラ一族の血を引くローズキングダム、そして名牝トゥザヴィクトリーの息子トゥザグローリー、さらにビートブラックにペルーサといった面々が顔を揃えていた。

その世代に揉まれる形で、ヒルノダムールは牡馬クラシック戦線全てに出走したのである。

しかし、皐月賞はヴィクトワールピサの2着、日本ダービーではエイシンフラッシュの3着、そして父子2代制覇の期待がかかった菊花賞では7着と、存在感は大いにアピールしながらも馬主に初重賞勝利をプレゼントできないまま3歳の年が過ぎ去っていったのだった。

主戦騎手との絆

ここまで10戦2勝、皐月賞2着にダービー3着。実力はあるものの今一つ勝てない……この時のヒルノダムールはそんな判子を押されたような馬だった。

実は菊花賞敗退のあと、主戦の藤田騎手は昆調教師に自らの降板を願い出ていたらしい。男気溢れる藤田騎手ならではの決断。敗因は、この馬ならいつでも勝てるといった自分自身の過信からの敗北。皐月賞、ダービーにしても、もっと前で競馬をしていたら……。これ以上、馬主や調教師、スタッフらに迷惑をかけられないと責任を取る覚悟だったのだという。

しかし、昆調教師もまた、昔ながらの一本気な調教師として知られる。自身が信頼している騎手に最後まで任せたいという信念……。馬主の蛭川氏もまた昆調教師と同意見であったという。こうして、4歳古馬となったヒルノダムールは相棒を失うことなく再びターフに躍り出るのである。

騎手、調教師、馬主の愛を受けた思いを恩返しするために。そして、栄光の日を迎えることになる。

古馬となってからの初戦GⅡ日経新春杯ではルーラーシップの後手を踏み2着。続くGⅡ京都記念では、最終追切で動きが今一つだったこともあってかトゥザグローリーの3着に敗れ、さらに勝ち切れない日々が続く。あの若駒ステークス以来、実に勝利から1年が経っていた。

しかし、ヒルノダムールの長いトンネルに光の差す時が訪れた。それはGⅡ産経大阪杯(現GⅠ大阪杯)である。レースでは2着のダークシャドウの追撃をハナ差に凌いでの際どい勝利となったが、コースレコードでの決着。何とか厳しい戦いを制し遅ればせながらも、ついに馬主とともに念願の重賞初タイトルを手中に収め、ヒルノダムールはGIの大舞台、春の天皇賞へと駒を進めることとなる。

迎えた2011年の天皇賞・春。このレースには、これまで熾烈な戦いを演じてきた同世代の強者たちに加え、2つ上の菊花賞馬オウケンブルースリなどGⅠ馬の顔ぶれが揃いフルゲート18頭での戦いとなった。そんな中でヒルノダムールは1枠2番。藤田騎手が願っていた希望どおりの内枠となった。

淀の坂を2度超えする京都3200mという長丁場。かつては父マンハッタンカフェも制した日本競馬の歴史ある大レースの1つである。この長丁場を勝つには、いかに馬をロスなくスムーズに走らせて、余力を持ちながら最後の直線を迎えられるかが定石とされている。

レースは最初の第3コーナーで1番人気トゥザグローリーがひっかかり鞍上の四位洋文騎手が手綱を引っ張る展開となった。その後一気に先頭となったトゥザグローリーに続き今度は、2番人気のローズキングダムまでもが鞍上の武豊騎手が半分立ちあがりながら手綱を引っ張った。この時ばかりは菊花賞2着、ジャパンC優勝の実績を持つローズキングダムも折り合いを欠いていた。

さらに今度は大外から和田竜二騎手とナムラクレセントが一気に先頭へと躍り出て先頭が何度も変わる目まぐるしい展開となる。合わせて同世代の4番人気ペルーサも、トゥザグローリーが招いた突然変化した速い流れにペースを乱す格好となった。

そんな中、幼駒から優等生と言われ、普段からかかることがなかったヒルノダムールは、藤田騎手とともに自分の競馬に徹することで余裕をもって最後の直線を迎えた。

この時点で藤田騎手が描く勝利の方程式は完成していたのである。

残り100m付近で先頭に立ったヒルノダムール。最後はダービー馬エイシンフラッシュの猛追を半馬身差凌いでゴール板を通過。藤田騎手は左腕を大きく天に突き挙げた。

一度は自ら降板も口にした藤田騎手を最後まで信頼し続けた昆調教師と蛭川氏の想いが通じた瞬間となった。

将来的にGIを獲れる馬と公言してきた藤田騎手の意地に応えたヒルノダムール。この悲願のGⅠ勝利は父子二代制覇となり、馬主となって苦節20年の蛭川氏に初のビックタイトルを捧げる勝利となった。

そして、父も歩んだ道へ

古馬長距離界の頂点に立ったヒルノダムール。次の目標は、偉大な父でも全く刃が立たなかった世界最高峰のGⅠ凱旋門賞である。

父マンハッタンカフェは凱旋門賞で競走中に故障を発生させ13着敗退。屈腱炎で引退となった。その無念を晴らすべく祖母の故郷でもあるフランスの地へ飛び立ったヒルノダムール。

しかし、前哨戦の仏GⅡフォワ賞ではサラフィナの2着に入るも本番の凱旋門賞では出走直前の猛暑と、競馬場までの移動で渋滞により体調がすぐれず、10着に敗れた。

世界の壁は厚すぎたと実感した藤田騎手とヒルノダムールは帰国後、国内に専念するが結果的に1度も勝つことができず、父と同じく屈腱炎を発症してしまい現役を引退した。

馬主にGⅠという初のビッグタイトルをプレゼントとし、馬名のとおり騎手からも調教師からも、もちろん馬主からも愛され、春の盾を父子二代制覇との偉業も達成したヒルノダムール。

引退後、その血は少頭数ながらも産駒に受け継がれたが、残念ながら父子三代となる春の盾制覇は今のところ可能性は限りなくゼロに近い。

そして、現在では種牡馬も引退し北海道の地で余生を過ごすヒルノダムールは、大自然の青空のもと時折、淀の坂を思い出しているのだろうか。

写真:Horse Memorys、ふわまさあき

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