
中山記念と聞いて思い出す馬は、どの馬であろうか。私の場合は、二度も中山記念を制したヒシイグアスである。
青鹿毛の雄大な馬体と整った顔立ちは印象深く、あの古風な勝負服もとても似合っていた。そんな彼の初勝利と全ての重賞勝利は、全て中山競馬場で得たものだ。
これほど中山のターフに愛された馬も珍しい気がする。そして、その稀な寵愛を得ながら、有馬へ出走しなかった馬というのもなかなかいない。
今回はそんな『中山将軍』と呼ばれた名馬ヒシイグアスについて、書き綴っていこう。彼の闘いを、書き留めて記録するために。

中山競馬場という難関
まず、中山記念の舞台となるコースへ触れておこう。様々な国内競馬場の中でも、中山競馬場はことさら特殊な馬場である。70日間の突貫工事で作られたという競走施設は、当時の地形をほぼそのまま残したために起伏が激しくタフな馬場となっている。言い方を変えると「とにかく二か月でお出ししました!」という素材の味溢れる競馬場である。
小回りが求められるカーブと高低差5.3メートルもあるゴール前の急坂は唯一無二の特徴で、名だたる優駿の闘志を挫いてきた。特にサンデーサイレンス系の馬たちはこの芝コースを苦手とする傾向にあるとされている。
だが、疑問が浮かぶ。中山巧者であるヒシイグアスの父はハーツクライ。れっきとしたSS系なのである。有馬記念の逆襲が印象深い父だが、その産駒の中山競馬場回収率を見ると七割強。それほど得意というわけでもない。これはどういうことだろう。
私が思うのは、ヒシイグアスの中山適性は、父ではなく母から色濃く受け継いだということだ。彼の走るフォームは他馬と比べて柔らかな走法で、異国からの雰囲気を漂わせる。
中山第四コーナー手前から前進できる加速力と、急坂をものともしないパワー、そして騎手の指示を冷静に守る知性。それらはおそらく、アルゼンチン出身の母からの贈り物だったのではないか。
ヒシイグアスはそれらを武器に闘い続けた。クラシックには縁が無く、OP入りは四歳と遅い方だが、これはどうも彼の繊細な体質が影響したらしい。
当時の厩舎コメントを参照するに彼は暑さに弱く、一度調子を崩すと馬体が過剰に緩んでしまい、調整が難しかったようだ。そのため、彼のレース後戦評には「〇か月振りの実戦」という句が枕詞のように付いて回る。これもまた、母から受け継いだ体質のように思える。
万事何事もそうだが、メリットの裏には必ずデメリットが付いて回るものだ。
ただ、過酷な状況でもヒシイグアスの心は折れなかった。人間だってずっと上手くいかない事が続けば心が折れる者が多いというのに。
馬がレース成績を認識しているとは思わないが、自分の走りのせいで周りの人々が悲しそうな顔を見せていたら、何かネガティブな感情を抱くのではないだろうか。残念ながら、レースの恐怖や調教の苦しさをトラウマにして、走らなくなる馬は多いという。
けれども、ヒシイグアスは苦しい調教や実戦から逃げようとしなかった。何度も何度も這い上がって立ち直って、我々の前にその美しい雄姿を見せてくれた。
名門ヒシの冠名を持ちながらも、その姿は挑戦者のように思えた。ハーツクライ産駒たちの血は、逆境にこそ輝く。彼らの心からの叫び、その願いが叶う瞬間は格別に素晴らしい。だから、2021年の中山記念でヒシイグアスが戴冠した時は、それはもう興奮したものだ。
四コーナーから急加速で先頭のケイデンスコールへ食らい付き、ぐっと抜き去ってみせた様は彼の戦術としても理想的だった。
母から受け継いだ身体特性に、父から受け継いだ闘志。それがヒシイグアスの得物であった。

心の叫び
2022年の宝塚記念も、彼の真骨頂と言えた。あのタイトルホルダーに食らい付き、あと一歩まで迫った。その瞬間、彼の『がんばれ馬券』を持っていた私は大声で名を叫んだものだ。
けれど、その興奮もつかの間、ヒシイグアスが競走後に危篤となったと聞いた時は血の気も退いて、競馬ニュースのページを数分おきに更新するというサイバーテロまがいの所業に手を染めたのを覚えている。
ヒシイグアスは一命をとりとめたものの、彼はまた長期休養を余儀なくされてしまう。
不安を抱えたまま、2023年中山記念がやってきた。ヒシイグアスがここで復帰すると知った時、復帰の喜びよりも不安の方が優った。
そもそも私は、彼が実戦復帰できるとは思っていなかった。また彼は壊れてしまうのではないか…。当時のメモやXのポストを見返すと、どうやら私は一番人気の紐として彼を不当に低く評価していたようだ。こんな私を馬鹿と笑ってくれて構わない。
──そんな杞憂は間違いであったから。
ヒシイグアスはスタートしてから中団に控え、松山騎手の手綱通りじっと抑えた。千メートルを通過して、先行馬群のポジション争いが激しくなる。それを見透かしたように、彼は仕掛けた。けれども四コーナーを回り切り加速し始めた時、急坂で減速した先行馬が壁になってしまう。普通ならば、そのまま馬群の後ろへと道連れにされる最悪の展開。
ヒシイグアスは、しなやかな動きで垂れ馬を避けて外へと持ち出した。そして、猛然と先陣へと食らい付いた。急坂で喘ぐ他馬をいなして、彼は先頭のドーブネ目掛けて突き抜けた。そして残り100メートルも無い地点で、ヒシイグアスは猛烈なパワーを推進力にして先頭に立つ。あらかじめ計算していたかのような、鮮やかな勝利。
その芸術的な勝ち方に、私は心打たれ涙ぐみ、そして恥じた。
私のような一観客が諦めていても、君はずっと諦めなかったのだ。どれだけ借敗に打ちのめされ、死の淵さえ彷徨っても、歯を食いしばり前を向いて君はそれでも挫けなかった。
体質という生まれついでのハンデを背負っても負けなかった。その父譲りの闘志、声の無い心の叫びが、魂を揺さぶった。
君から「諦めるんじゃない」と叱咤されているような気さえした。

そして第二の馬生へ…
どの馬にも平等にやってくる老化には、彼の闘志でも勝てなかった。この後もG1を軸に戦うが、徐々に戦績は下降してゆき、2024年の香港遠征を以て引退する。
ヒシイグアスの戦績を振り返ってやはり気になるのは、彼が有馬記念へ出走しなかった事だ。その理由は主に、ヒシイグアスが香港のシャティン競馬場にも適性を発揮していた事にあるだろう。
彼の繊細な体質を考えると、秋の香港カップと冬の有馬記念は二者択一であり、陣営は前者の香港でG1に挑戦したのではないだろうか。その判断は合理的であるし、私も同じ気持ちになる。
有馬記念の優勝馬を見ていただきたい。2021年エフフォーリア、2022年イクイノックス、2023年ドウデュース。贔屓目に見ても、なかなかに勝つことは難しいだろう。
けれど、ふと思う。もし、万全のヒシイグアスが2024年有馬記念に出ていたら、と。
G1が未冠ということもあり、彼は種牡馬になることはなかった。残念だが納得もできる。種牡馬には、クラシックから活躍するタイプや芝ダート・コース問わずに頑丈で好走するタイプこそ、高い価値が見出されるもの。その需要に、大器晩成の中山スペシャリストであったヒシイグアスは、マッチしなかったのであろう。
けれども繊細さのある彼にとっては、種牡馬という任務も、命を削るような大業であったのではないだろうか。現役時代は調整に苦労した彼の馬生が、穏やかで幸せなものとなることを願ってやまない。
そして彼の引退後、私が中山競馬場へ訪れて、馬場入場をぼんやり眺めていた時だった。ちょうど自衛隊の降下訓練を習志野でやっていたらしく、輸送機がたくさん飛んでいた頃。
とあることに気付き、私は驚き立ち上がって腰を痛めそうになった。

──ヒシイグアスがいる!
中山で誘導馬になるとは知っていたが、こんなに早く、しかも自分が訪れている時にデビューしてくれるとは。
颯爽と駆ける返し馬たちを無視して、必死にヒシイグアスを追っかけて立見席を右往左往していた私は、不審者のような動きだったかもしれない。
その青鹿毛は現役の頃と変わらず美しく、クールに落ち着いていた。あまりの板の付きっぷりに、おデコの初心者マークが浮いて見えた。彼の賢さがここでも活きるなんて、とても嬉しい事だ。
彼にとってどの未来が最良だったかはわからない。が、彼が誘導馬として頑張ることをなによりも応援したい。
白地に青二本輪
はてさて、人は夢を観るものだ。私はどういうわけか勝負服にも夢を抱く性質だ。
色とりどりの勝負服にはそれぞれのエピソードが込められていて、歴史を感じずにはいられない。
新進気鋭の勝負服も格好いいが、やはり伝統ある勝負服が私は好きだ。その柄へ再びスポットライトが当たる時を、つい期待してしまう。
これは完全に私のエゴだが……いつか、ヒシイグアスの近親馬が、『白地に青二本輪』の勝負服を纏う騎手を乗せ、G1を戴冠する日を夢見ている。
夢を見るくらい良いじゃないか。人へ謝ることと夢を見ることは、タダで出来るのだから。そしてヒシ冠名の活躍はこれからも続くだろう。それこそ新世界アルゼンチンの大河、イグアスの如く。
中山記念の次に春がやってくる。次はどのような緑風が、願いが、闘志がターフを沸かせるであろうか──。未来に期待を膨らませつつも、中山を力強く駆け抜けた、美しい青鹿毛の諦めない君へ思いをはせる。
その優駿の名は、ヒシイグアス。比類なき君の闘志へ敬意を込めて。

写真:大守アロイ、s1nihs