問題:2001年以降、春のクラシック不出走の菊花賞馬は、半数以上の11頭。そのうち日本ダービーまでの重賞またはトライアルにも出走歴がない馬が6頭いる。すべて答えよ。(2021年現在)
競馬では秋は逆転の季節。春のクラシックで形成された勢力図を塗りかえる馬がしばしば出現する。それらを、夏の上がり馬と呼ぶ。有力馬たちが夏を放牧地で過ごす間、酷暑と戦いながら、競馬に出て、賞金を稼ぎ、経験値を積み上げる馬たちのことだ。人間でいえば、中学・高校で早くも頭角を現す好素材に対し、同時期にはぱっとしなかったものの、大学生で一気に成長し、大成するようなものだろうか。
私は昔からなぜか、夏の上がり馬に肩入れしてしまう。それは自然と自分に重なる部分があるからだろう。競馬は己を映す鏡のようなもの。人はいつの間にか競走馬に自分を探している。
小さい頃から失敗が多かった。靴ひもが結べず、坂あがりで回れず、数字の8がきれいに書けなかった。周囲の友達はみんなだいたいできた。一発でできなくても、2、3度挑戦すればできた。だけど、私はそうはいかなかった。そのうち、自分は挑戦したってどうせできないんだと思うようになり、あきらめた。何度も挑戦を繰り返し、失敗する自分を恥じるようになったからだ。
失敗癖は大人になっても変わらなかった。どんなことでも一発でできたことはない。必ず失敗する。年を重ねた今、自分の人生はまだまだ迷路のなか。自分の人生を大器晩成型と都合よく解釈して、なんとか誤魔化している。
だからこそ、大器晩成のシンボルでもある夏の上がり馬に肩入れしてしまう。一発回答で新馬を勝ち、順調に階段を駆けあがる馬がいる一方、いつまでも未勝利を勝てない馬がなんだか愛おしくも思う。夏を境に未勝利を卒業し、順調に賞金を加算するような馬のなかにはステイヤーが多い。
02年菊花賞を勝ったヒシミラクルはその典型だった。2歳夏の小倉芝1200m戦でデビュー、未勝利戦をずっと勝てず、初勝利は10戦目、デビューから8か月後の5月最終週だった。同日、東京競馬場では日本ダービーが行われ、タニノギムレットが第69代ダービー馬に輝いた。ヒシミラクルが勝ち上がった未勝利戦は父内国産限定、中京芝2000m。1000m通過59.3のハイペースのなか、ヒシミラクルはスタート直後からずっと鞍上の手が動きっぱなし。追走に一杯になりながらも、それでも止まることなく、中京のキツいコーナーを曲がり切れず、大きくロスしながら差し切った。2000mは守備範囲外、ステイヤーを予感させるレース内容だった。
2勝目は6月阪神・売布(めふ)特別。古馬相手に宝塚記念と同じ芝2200mを走り、2.12.6を記録、2着に5馬身差をつけた。その翌日の宝塚記念、ダンツフレームの勝ち時計は2.12.9。ヒシミラクルは500万下のレースでグランプリを上回ってみせた。
秋に向けて手ごたえを感じた陣営は夏競馬で賞金加算を目指す。ところが昇級後は新潟の佐渡特別3着、中1週で北海道に渡った洞爺湖特別3着とステイヤーらしい反応の悪さが祟り、賞金を積めなかった。菊花賞に向けてこれ以上は負けられない、追い詰められて挑んだ9月の阪神・野分特別。距離は芝2000m、ヒシミラクルにとって距離は短かったものの、前半は追走が楽なゆったりしたペースで進み、後半は残り800mから一気に11秒台を刻む、いわばロングスパート合戦になった。最後の瞬発力ではなくスタミナを問われるレース展開は、ヒシミラクルがもっとも得意とする形だった。スタミナ勝負ならば条件クラスで負けるわけがない。好位から抜け出し、快勝。待望の3勝目を手中に収めた。
はじめて世代の上位クラスと対戦した神戸新聞杯では、重賞の早い流れに戸惑ったか、追走に手いっぱいになってしまい、6着。スタミナを活かすことはできなかった。
クラシック登録がないヒシミラクルは、優先出走権がないにもかかわらず、追加登録料を支払い、菊花賞出走の意思を表明した。3000mならば、スタミナ比べにさえなれば、世代トップにだって負けない。陣営は希望を捨てなかった。だが、菊花賞に向けて最初の関門を迎える。それが抽選だった。まずはこれを突破したことが大きい。夏の上がり馬にとって最後の一冠への出走権を得ることが難しい。十分に賞金を積むか、トライアルで既成勢力相手に優先出走権を獲得しなければならない。その壁は案外高く、最近ではレイパパレが秋華賞出走を抽選の壁に阻まれた。
出走にこぎつけたヒシミラクル、当日の評価は10番人気だった。スタミナに自信があるといっても、トライアルは完敗。春の既成勢力との力差はまだまだあるという評価だった。
レースはスタートで皐月賞馬ノーリーズンに乗った武豊騎手がまさかの落馬。最後の一冠、雨降る淀の3000m菊花賞は波乱の幕開けだった。ダイタクフラッグが先手を主張、ローエングリンがついていき、1度目の下り坂を利用して飛ばし、最初の1000m通過58.3の超ハイペース。1、2コーナーでダイタクフラッグが後退し、ローエングリンが単騎になった。ローエングリンに騎乗するのは岡部幸雄騎手。こうなれば無理は絶対にしない。ペースは落ち着き、中盤の1000mは1.06.4と極端に遅くなった。流れが早い序盤は後方で苦しんだヒシミラクルだが、この中盤のゆったりしたペース配分を使って立て直し、外目を徐々に動きはじめる。じわりじわりと走りのリズムをあげさえすれば、トップスピードに入っても止まらない。これぞステイヤーである。
そして迎えた2度目の下り坂。前にいるメガスターダムのスパートに合わせるようにヒシミラクルが大外を進出する。手応えは明らかにメガスターダムに見劣るものの、スタミナ勝負なら引けをとらない。ニホンピロウイナー産駒メガスターダムの3000mでの堂々たる走りを賞賛しつつも、サッカーボーイの仔ヒシミラクルは手応えとは裏腹に余裕がある。角田晃一騎手が両側からハミをしっかりかけて追うと、追いすがるメガスターダムを交わし、先頭に立つ。後方から追うのは菊花賞馬ダンスインザダーク産駒のファストタテヤマ。16番人気の超伏兵の追い込みをヒシミラクルはハナ差しので、ゴール。見事に逆転の一冠に輝いた。
子どもの頃、なにをやっても失敗続きだったとしても、必ずいつかどこかにある、自分の生きる場所を見つけることはできる。1200mで負けても、3000mで勝てばいい。行くべき道も勝利すべきタイトルもひとつではない。キャリアが浅い頃はモロさを露呈したり、あと一歩足りなかったりする、ぶきっちょな馬のなかには、ヒシミラクルのようなステイヤーがいる。ステイヤーは、もっとも輝く場所にたどり着くまでどうしても時間がかかる。だが、たとえ時間がかかろうとも、大事なことはたどり着くこと。そこに行き着けないまま、終わってしまうことも残念ながら多い。だからこそ、自分に言い聞かせるのだ。ゆっくりでもいい。希望を捨てずに生きていけと。
写真:ウオッカ嬢
クイズの答え…02年ヒシミラクル、06年ソングオブウインド、08年オウケンブルースリ、10年ビッグウィーク、14年トーホウジャッカル、18年フィエールマン