[大阪杯]エアグルーヴにキズナ、キタサンブラック…。『大阪杯最多勝騎手』武豊騎手と大阪杯を制した名馬たち

春の中距離G1、大阪杯。
大阪杯の歴代最多騎手は、G2レースだった産経大阪杯時代を含めると、8勝をあげている武豊騎手である(2024年現在)。

元号がまだ昭和だった1988年(昭和63年)、レース名もサンケイ大阪杯だった(産経大阪杯に改称するのは翌1989年)時代、武豊騎手は大阪杯での初勝利をあげる。デビュー2年目の武豊騎手は前年の安田記念を制したフレッシュボイスに騎乗。最後方待機から直線では先行していた馬をまとめて差し切り、2着のランドヒリュウに1/2馬身差をつけて優勝した。

1990年には前年の天皇賞・秋などを制したスーパークリークに騎乗した武豊騎手。59Kgのハンデと稍重馬場ながらも力が要る馬場の中で行われた。3番手と早めの競馬を行い、最後はオサイチジョージに3/4馬身差を付けて快勝。この勢いで続く天皇賞・春も制した。

1993年は、前年の宝塚記念の直前に左第1指節種子骨を骨折したメジロマックイーンとコンビで出走。種子骨骨折は競走能力を喪失する割合が高いと言われる中、ターフに戻ったメジロマックイーンに跨った武豊騎手だったが、ここで2着のナイスネイチャに5馬身差を付ける圧勝を見せ、名優メジロマックイーンの復活をエスコートした。

さらに1997年はデビュー戦からパートナーを組んだマーベラスサンデーと参戦。悲願のG1レース制覇に向けて負けられない戦いでもあった。3番手からレースを進め、最後の直線では早くも先頭に立つ競馬。2着のユウトウセイに1馬身1/2差を付ける快勝。天皇賞・春は3着に敗れるが、宝塚記念で悲願のG1レース制覇を遂げた。

そして、翌年の1998年…。歴史に名を残す名牝と共に産経大阪杯に挑む事になった。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。

エアグルーヴ(1998年)

3歳時(1996年)にはオークスを、4歳時(1997年)には牝馬として17年ぶりに天皇賞・秋を制したエアグルーヴ。当初は4歳で現役を引退する予定だったというが、一転して5歳も現役を続行することに。陣営が5歳シーズンの初戦に選んだのが、産経大阪杯であった。

1998年の産経大阪杯は出走頭数は僅か9頭だが、エアグルーヴを含める4頭のG1ホースが出揃った。1996年の皐月賞を制したイシノサンデーや1997年のエリザベス女王杯を制したエリモシック、そして1997年のオークスと秋華賞を制したメジロドーベルと豪華メンバーに囲まれつつ、エアグルーヴは単勝オッズ1.2倍の圧倒的な支持を得た。

レースは予想通りファンドリリヴリアが逃げ、エアグルーヴは3,4番手をキープ。前半1000mの通過タイムが1分2秒9。良馬場で行われている中、スローペースでレースは展開した。最後の直線で早めに先頭に立ったエアグルーヴはメジロドーベルに3/4馬身差を付けて勝利。57Kgのハンデをモノともしなかった快勝であった。

1998年の有馬記念で引退したエアグルーヴ。一年のばした現役生活では、勝ち鞍こそ産経大阪杯と札幌記念の2勝のみでG1レースの制覇は無かった。しかし、産経大阪杯は57Kgのハンデ、札幌記念に至っては58Kgのハンデで勝ち、レース中の落鉄で5着に終わった有馬記念以外では全て3着以内に入っている。

引退後はノーザンファームで繫殖牝馬となったエアグルーヴ。アドマイヤグルーヴとルーラーシップのG1ホースの母となり、ドゥラメンテの母方の祖母として今日の競馬にも貢献している。

キズナ(2014年)

2003年にはJRA史上初となる年間200勝を達成した武豊騎手。しかし、地方や外国からきた騎手が台頭するにつれ年間勝利数も減少し、2009年には内田博幸騎手にリーディングジョッキーの座を明け渡した。そして2010年3月毎日杯の落馬事故骨折で長期離脱。落馬事故が発生した2010年は69勝、翌2011年にはデビュー以来最低の年間64勝に終わった。2012年はさらに下回り年間56勝となり、『武豊騎手の時代もここまでか』という空気が漂っていた頃、武豊騎手を支えていた馬主の1人であるノースヒルズの代表者・前田幸治オーナーが積極的に武豊騎手を起用する。

そして、2013年の日本ダービー。前田オーナーの実弟・前田晋二オーナーが所有し、ノースヒルズが生産牧場のキズナで武豊騎手は8年ぶりに日本ダービーを制する。『武豊復活』を印象付ける勝利でもあった。さらにキズナはその後凱旋門賞に挑むためフランスへ遠征し、ニエル賞を制し、凱旋門賞も4着と健闘。

2014年のキズナは春の目標を天皇賞・春に定め、前哨戦として産経大阪杯を選択した。

2014年の産経大阪杯は8頭立てだったが、こちらもメンバーが揃った一戦となった。キズナ不在の菊花賞を制したエピファネイア、前年のオークスなどを制したメイショウマンボ、ノースヒルズ所有で前年の天皇賞・春を制したビートブラック…。単勝1番人気に支持されたのはエピファネイアで、キズナは2番人気であった。

レースはカレンミロティックとトウカイパラダイス、ビートブラックの3頭が後続を大きく引き離す展開に。エピファネイアは6番手、キズナは最後方でレースを進めた。前を行く3頭が前半1000mを1分0秒5で通過。長い隊列の見た目から受ける印象よりも速くない展開だった。後続の馬が早めに仕掛けていくのとは対照的に武豊騎手はジッと待機した。

4コーナーを回り武豊騎手が追いだしにかかると、キズナはグッと加速。残り200mを前にしてエピファネイアを交わし、あとは前を行くトウカイパラダイスとカレンミロティックのみ。最後はトウカイパラダイスに1馬身半差を付けて先頭でゴールしたキズナ。この勝利は前田晋二オーナーの200勝目であり、生産者ノースヒルズの重賞通算100勝目となった。

キタサンブラック(2017年)

キズナで日本ダービーを制した2013年は年間97勝、2014年は年間86勝と2012年の年間56勝から再び勝利数を増やした武豊騎手。2015年には6年ぶりに年間勝利数が106と、3桁の大台に復帰した。2016年は勝利数こそ74勝と下降したものの、複勝率が3割6分に戻すなど、徐々に復調の兆しが見えてきた。そして、2016年の産経大阪杯からキタサンブラックに跨り、天皇賞・春とジャパンカップを制した。

キズナの勝利から3年が経過した2017年、産経大阪杯は春の中距離路線の最強馬決定戦としてG1レースに昇格し、名前も大阪杯に変わった。出走した14頭中G1ホースはキタサンブラックと前年の日本ダービーを制したマカヒキ、同じく前年の香港ヴァーズを制したサトノクラウンの3頭。そしてG1レースを複数回制していたのはキタサンブラックのみだった。

しかし、キタサンブラックの断然のムードというわあけではなかった。天皇賞・春とジャパンカップを制していた同馬にとって芝2000m戦は距離が短いという印象があったのに加えて、マルターズアポジーやロードヴァンドールという逃げ馬たちが展開面で悩ましい存在だった。

レースは予想通り、マルターズアポジーが後続を大きく引き離して逃げ、ロードヴァンドールが2番手に付け、キタサンブラックは3番手に控える展開となった。マルターズアポジーが前半1000mを59秒6で通過、キタサンブラックはおおよそ60秒台後半で通過。4コーナーでロードヴァンドールを交わして2番手に上がったキタサンブラックは残り200mの前で先頭に立つと、後方から迫って来たステファノスを3/4馬身振り切って先頭でゴールした。G1レース昇格後、最初の大阪杯は武豊騎手が勝ったのである。

マルターズアポジーら逃げ馬が揃った中でキタサンブラックのレースの組み立て方はどうするのかに注目が集まったが、3コーナーから早めに進出してキタサンブラックが得意とする消耗戦に持ち込んで、距離不安説も吹き飛ばしたのであった。

ジャックドール(2023年)

そして2023年のジャックドール。ジャックドールの勝利で、この日54歳0ヶ月19日の武豊騎手は JRA・G1通算80勝を達成。岡部幸雄氏が持っていた史上最年長G1勝利記録を更新した。ここでは2022年の大阪杯のラップタイムと2023年の大阪杯のラップタイムを比較して、武豊騎手の緻密さを見てみたい(2022年の大阪杯は良馬場発表とはいえ馬場が緩かったこともあり単純比較はできないことはご承知おきいただきたい)。

2022年の大阪杯のラップタイムは以下の通りである。

12.3 - 10.3 - 12.0 - 12.2 - 12.0 - 12.1 - 11.7 - 11.5 - 11.8 - 12.5
(前半1000mが58.8秒、後半1000mが59.6秒)

そして昨年の大阪杯のラップタイムは以下の通りである。

12.4 - 10.9 - 12.2 - 12.0 - 11.4 - 11.7 - 11.5 - 11.4 - 11.4 - 12.5
(前半1000mが58.9秒、後半1000mが58秒5)

2023年は58秒9と2022年とほぼ一致したペースで逃げた。2022年との違いは後半の1000mを58秒5でまとめ、前後半ともにイーブンペースで逃げ切った事が勝因の1つであろう。

2022年の大阪杯の2ハロン目のラップタイムが10秒3だったのに対し、2023年は10秒9。2022年はレイパパレとアフリカンゴールドという逃げ若しくは先行して結果を残した馬に絡まれて、先頭に立つために少し速いタイムで走ってしまった。2023年はノースザワールドという先行馬がいたものの、スピードの違いで早めに先頭に立ち、3ハロン目を12秒2とひと息つかせることに成功したのではないか。

もう1つ注目するのが5ハロン目(800m~1000m)のラップが11秒4に上げた事だ。ここで12秒台を維持すると後続の馬の追撃が容易くなる。自ら動くことで厳しい流れを作った。ジャックドールの距離適性は芝2000mがギリギリだが、敢えてペースを上げる事で後続の馬の脚を使わせた。ジャックドール自身も成長したが、寸分の狂いもなくペースを刻んだ武豊騎手ならではの極上の騎乗だったのではなかろうか。

写真:かず、Horse Memorys、かぼす

あなたにおすすめの記事