競馬実況中継の神様とも言うべき存在の杉本清アナウンサー。杉本アナウンサーの実況で個人的に強い印象が残っているレースの1つとして1991年の桜花賞がある。シスタートウショウが先頭でゴールした後に飛び出した「今年も汚れなき桜の女王の誕生です!」というセリフは、強烈なインパクトを残した。
一度の敗北も無く桜花賞を制するのがいかに難しい事であるかは、これまでの歴史が証明している。無敗で桜花賞を制した馬は、2023年までに僅か8頭しかいない。
無敗で桜花賞を制した最初の馬は1941年、第3回中山四歳牝馬特別(桜花賞の前身で当時は中山競馬場芝1800mで開催)を制したブランドソール。そのブランドソールの中山四歳牝馬特別制覇から16年が経過した1957年、レース名も桜花賞と変え、舞台も阪神競馬場芝1600mで行われるようになってから、次の無敗の桜花賞馬ミスオンワードが誕生する。それから24年たった1981年、雨の中で行われた桜花賞で泥にまみれて先頭でゴールしたのはブロケードであった。
そしてブロケードの桜花賞から9年が経った1990年。桜花賞の前週には国際花と緑の博覧会(通称:花博)が大阪で開幕するなど好景気に沸いていた頃、1頭の無敗馬が桜花賞に挑もうとしていた。
※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。
アグネスフローラ(1990年)
デビュー6年目の河内洋騎手とともに、1979年のオークスを制したアグネスレディー。2番人気に支持された桜花賞では2番人気に支持されたが、苦手の重馬場で6着に終わっていた。そんなアグネスレディーが引退後に繁殖牝馬となり、競走馬時代はダートのマイル路線で活躍したロイヤルスキーとの間に産んだ6番目の子供が、アグネスフローラであった。
母を管理した長浜彦三郎調教師の息子である長浜博之厩舎に入ったアグネスフローラ。2歳(1989年)の12月のデビュー戦では2着の馬に10馬身差を付ける圧勝を演じた。 鞍上は、母と同じく河内騎手。アグネスフローラはこの勝利で、桜花賞を最大目標にしたローテーションが組まれるようになり、チューリップ賞(当時は桜花賞指定オープン競走)を含む4戦4勝で桜花賞を迎えた。
アグネスフローラは単枠指定(特に人気が集中しそうな時、その馬を単枠=1枠1頭に指定する制度。1991年9月まで導入)に指定され、1番人気となった。
レースは前を行く馬を見ながら6,7番手という絶好の位置でアグネスフローラが続く。前半の800mの標識を通過は45秒9と、重馬場の中で激しい流れでレースが進んでいた。第3コーナーから第4コーナーにかかるところで前を行くレガシーワイスに騎乗していた騎手が落馬。レガシーワイスの直後にいたのがアグネスフローラであった。すかさず河内騎手がアグネスフローラを馬場の外側に寄せる。すると、アグネスフローラは何事もなかったかのように進出した。
最後の直線に入る各馬。馬場の真ん中より外目に出したチューリップ賞2着のケリーバックが先頭に立つ。だが、ケリーバックの外にアグネスフローラが迫ってきた。残り200mの地点でケリーバックを交わして先頭に立つアグネスフローラ。終わってみればアグネスフローラはケリーバックに1馬身1/4差を付けて先頭でゴール。
デビューから無傷の5連勝で、桜の女王に輝いたアグネスフローラであった。
シスタートウショウ(1991年)
アグネスフローラが無敗で桜花賞を制した翌年の1991年、この年も無敗で桜花賞を制した馬が登場した。
1991年の桜花賞は阪神競馬場の改修工事のため24年ぶりに京都競馬場で行われる事となった。この年の桜花賞戦線はシンザン記念などを制したミルフォードスルー、クイーンカップなどを制したスカーレットブーケ、ペガサスステークスなどを制したノーザンドライバーがいたが、桜花賞まで無敗で進んだ馬が2頭いた。
1頭目が報知杯4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)など重賞レースを2勝、桜花賞まで5戦5勝のイソノルーブル。2歳暮れのラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(現在のホープフルステークス・当時は関西の2歳牝馬チャンピオン決定戦)でスカーレットブーケなどに快勝する。その後もエルフィンステークス、報知杯4歳牝馬特別を勝利するなど持ち前のスピードで他馬をねじ伏せた。
もう1頭が、チューリップ賞を勝ったシスタートウショウ。デビュー戦、2戦目を連勝したシスタートウショウはチューリップ賞でスカーレットブーケを撃破。スカーレットブーケを物差しにすると、イソノルーブルとシスタートウショウは互角の評価がされてもおかしくはなかった。
そして桜花賞のスタート前、事件が起きた。イソノルーブルの右前脚の蹄鉄が落鉄していたのだ。競馬場の馬場内で装蹄師による蹄鉄の打ち直しを試みたが、結局は蹄鉄を装着せずにレースが行われることになった。
デビュー戦以外は逃げ切って結果を残したイソノルーブルだったが、落鉄の影響からか前へ進まず、3番手からレースを進める。ノーザンドライバーが4番手グループの一角、スカーレットブーケは中団より前目、シスタートウショウはスカーレットブーケを見るようなポジションを確保。
前半800mが45秒8。前年と同様ハイペースで進むと、坂の下りでシスタートウショウがスパートした。4コーナーでノーザンドライバーと共に先頭に立ったシスタートウショウ。イソノルーブルが伸び悩む中、シスタートウショウが引き離しにかかる。最後は13番人気の伏兵・ヤマノカサブランカが迫ってきたが、シスタートウショウは2馬身差を付けて先頭でゴールした。
そして杉本アナウンサーが、冒頭にも書いた「4戦4勝 今年も汚れなき桜の女王の誕生です!」と実況。タイムは1分33秒8、これは当時の桜花賞のレースレコードタイムである。
ダンスインザムード(2004年)
シスタートウショウの桜花賞以来、地方競馬の笠松競馬から参戦したライデンリーダー(1995年)や無敗で阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)を制したスティンガー(1999年)が"汚れなき桜の女王"を目指していたが、いずれも敗れた。
そしてシスタートウショウから13年が経過した2004年。満開の桜の下で汚れなき桜の女王が誕生した。
2004年の桜花賞はハイレベルなメンバーが揃った。阪神ジュベナイルフィリーズを制したヤマニンシュクル、チューリップ賞でヤマニンシュクルを破ったスイープトウショウなどが桜の女王を目指したが、桜花賞まで無敗で進んだ馬がいた。
1頭目はフィリーズレビューを制したムーヴオブサンデー。冬の小倉競馬でデビューしたムーヴオブサンデーはフィリーズレビューまで3連勝で勝ち進み、桜花賞の有力馬になった。
もう1頭が名門・藤沢和雄厩舎が送り出すダンスインザムード。父サンデーサイレンス、姉はオークス馬ダンスパートナー、兄は菊花賞馬ダンスインザダークという良血馬である。2歳冬の中山競馬でデビューするとフラワーカップまで無傷の3連勝で勝ち進んだ。
迎えた桜花賞。1番人気に支持されたのはダンスインザムードだった。さらにそこからスイープトウショウ、ムーヴオブサンデー 、ヤマニンシュクルの順で続いた。
レースはヤマニンアルシオンが逃げ、ムーヴオブサンデーが2番手に付ける展開に。武豊騎手とダンスインザムードは6番手につけた。さらにヤマニンシュクルは中団に待機し、スイープトウショウは後方からの末脚に賭ける。
前半の800mを46秒8で通過。3コーナーから4コーナーに掛けてダンスインザムードが動く。この時、武豊騎手はムーヴオブサンデーと安藤勝己騎手の動きを確認した。そして直線で早めに先頭に立ったダンスインザムード。最後は尾を振る余裕を見せ、2着のアズマサンダースに2馬身の差を付けて先頭でゴールした。タイムは1分33秒6はシスタートウショウの桜花賞レコードを0.2秒更新した。
藤沢和雄調教師にとってはG1レース17勝目であると同時に、初のクラシックレース制覇であった。はらはらと散りゆく桜の下、18年ぶりに関東馬が桜花賞を制覇した瞬間であった。
デアリングタクト(2020年)
2004年以降、シーザリオ(2005年)やレッドリヴェール(2014年)など無敗で桜花賞に進んだ馬達がいたが、いずれもあと一歩の所で涙を飲んだ。
ダンスインザムードの桜花賞から16年が経過した2020年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で無観客の中で競馬が進む中、無敗の桜花賞馬が誕生した。
この年の桜花賞は、混戦ムードが漂っていた。阪神ジュベナイルフィリーズまで無傷の3連勝を飾ったレシステンシアがチューリップ賞で3着に敗退。トライアルレースなども1番人気の馬が敗れた。
そんななかで、桜花賞で1番人気に支持されたのはレスシテンシア、2番人気に支持されたのは無傷の2連勝でエルフィンステークスを制して直行してきたデアリングタクトであった。
エルフィンステークスで見せたデアリングタクトの走りは、強烈なインパクトを残した。スタートで出遅れるも、直線を向くと外から一気に差し切り、後続に4馬身差をつける圧勝劇。しかも勝ちタイムの1分33秒6は2020年の1月から2月の京都競馬場で行われた芝・外回り1600mの全競走のなかで最も速いものだった。
桜花賞当日の阪神競馬場は雨が降った。朝は良馬場だったが桜花賞レース前には重馬場まで悪化。直線で一気に差し切る競馬で連勝したデアリングタクトにとっては雨で柔らかくなった馬場は懸念されていた。
レースはスマイルカナが先頭に立ち、レスシテンシアが2~3番手に付ける展開。デアリングタクトは道中12~13番手でレースが進む。前半の800m通過が46秒5と重馬場の中では激しいペースと言えた。
レスシテンシアがスマイクカナを交わし引き離しにかかったその時、大外からデアリングタクトが伸びて、レスシテンシアを交わして先頭でゴール。ダンスインザムード以来16年ぶりに無敗の桜花賞馬が誕生した。
デビューから3戦目での桜花賞制覇は1946年に2歳戦が始まって以降ではキャリア最少タイ記録で、1980年のハギノトップレディ以来40年ぶり史上3頭目の快挙となった。
その後オークスではミスオンワード以来63年ぶり史上2頭目の無敗での牝馬二冠を達成。秋華賞では史上初となる、無敗での牝馬三冠達成をした。
前述した『無敗で桜花賞を制した三冠牝馬』というのは2023年現在はデアリングタクトだけである。
ソダシ(2021年)
過去、スティンガーが阪神3歳牝馬ステークスを制覇した後、桜花賞トライアルを使わずに桜花賞直行したが、スタートで出遅れ12着と敗れた。これまで無敗で桜花賞を制した7頭のうち、2歳戦が組まれなかった1941年のブランドソール以外は、全て3歳時には1戦以上レースを使っている。
しかし調教技術の進化に伴い、2歳のレースに出走した後に桜花賞直行を決め、無敗で桜花賞を制した馬が2021年に現れた。
それが"白毛のアイドル"ソダシである。
阪神ジュベナイルフィリーズを制したソダシは桜花賞トライアルを使わずに桜花賞へ直行。リフレッシュの意味を込めて放牧に出た。
ここでリフレッシュをしたことには、大きな背景があった。ソダシの母ブチコは競走馬時代にはゲート内でおとなしくすることができずに出走停止処分・発走調教再審査の処分を何度も受けていた。最後は再審査による馬のストレスを考慮して引退。ソダシも阪神ジュベナイルフィリーズでゲート入りに時間が掛かったため、そうしたストレスなどを避けることにしたのだ。
桜花賞当日から逆算し、2月には栗東トレーニングセンターに帰厩したソダシ。管理する須貝尚介調教師は、ゲート入りの練習をソダシに課した。
4番枠からのスタートとなったソダシ。通常であれば奇数枠の馬からゲート入りをするが、阪神ジュベナイルフィリーズでゲート入りに手間取った事があったので、ソダシからゲート入り→奇数枠の馬からゲート入りをする事となった。
出遅れる事無く好スタート決めたソダシ。サトノレイナスの猛追をクビ差凌ぎ切ったソダシは桜花賞レコードどころか阪神芝1600mのレコードタイムを更新する1分31秒1をマークした。
阪神ジュベナイルフィリーズから中118日での勝利は2019年のグランアレグリアの中111日を上回る新記録となった。須貝調教師や吉田隼人騎手、それに今浪隆利厩務員などの『チームソダシ』は白毛馬のクラシック制覇という、世界初の歴史的快挙を達成。ソダシはその後も、ヴィクトリアマイル制覇など多くの活躍を果たした。
写真:Horse Memorys、