![[インタビュー]名手・吉原騎手が振り返る宝物ハクサンアマゾネスとの年月](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/05/PXL_20240504_082355265-scaled.jpg)
通算44戦30勝2着7回。馬券圏外に敗れたのは4度のみ(うち3回は交流重賞)という絶対的な安定感を誇った金沢の名牝ハクサンアマゾネス。ほとんどのレースで鞍上をつとめた吉原騎手とのコンビ愛で印象に残るファンも多いだろう。
2024年12月の中日杯を最後に引退したハクサンアマゾネス。
彼女の現役生活は調教から乗っていた吉原騎手が「宝物」と言う程の年月となった。彼女が現役を引退し、無事に繁殖牝馬として北海道に戻った今、吉原騎手に、その「宝物」を少しだけ振り返ってもらった。
「そんなに馬体が立派な馬ではありませんでした。最初は、小さくまとまっていて小気味よく動いてくれるなあ…くらいの印象です」
吉原騎手にとって、ハクサンアマゾネスの第一印象はそこまで特別なものではなかったという。
「女王」「女傑」「金沢最強馬」と言う異名に加えて名前も「アマゾネス」と、どうしても『いかつい』イメージが付きがちな彼女。しかし、その素顔はそうではなかった。
「厩ではムチャクチャかわいい。甘えてくるような感じ」
いかにも普通の女の子というタイプというハクサンアマゾネス。しかし、厩を出ると一変する。
「攻め馬は、元気な所があって怖いなという事は何度かあった」
名手をして『怖い』と言わしめるほどの動き。その怖さは速さだけではなかった。
「(他馬と)キャンターで向かい合うと、怖がって『くるん』と動く。落馬するのが怖いなとも思った」と、予期せぬ動きをする事もあったようだ。厩の内と外とでは、印象が随分と変わるように思える。

「オンとオフがしっかりできた。本当に賢い感じ」
余計な体力を消耗させない、最強馬となった理由の一端が見えるようだった。
そんな性格の彼女だが「もしも人間の女性だったらお近づきになりたい?」と訊かれると、「う~ん……」と苦笑いをしながら腕組みをして、はいともいいえともなく。常にそばにいる者のみが味わう苦労も数多あったようだ。
その苦労の中でも特に調整、調教には相当苦心した様子。
「かなり気を使った5年間。大変だった。オープンなりの調教をしたが、普通のオープン馬とは違った」
と、しみじみ振り返る。それは他のオープン馬とは違う彼女の特徴にあった。
「これは絶好調だというデキが3歳~5歳まではなかった。体が弱くて追い切りがそこまで強くできなかったりと、いつもギリギリのところで競馬をやってて」
デビューが3歳4月と遅れた要因にもなった彼女の体質の弱さ。それによって強い調整ができなかった。
しかし、そんな状態でもキャリア4戦、無敗でダービーを制する程の能力。ともすれば容易く崩れそうな体質と能力とのバランスの中での調整が必要だった。
「攻めたいけど、攻めすぎると疲れがたまっちゃうのでその辺は加減していきました。時計も出そうと思えばどれだけでも出せるので、真剣にしっかり追った事は最後までしなかった」
細心の注意の中での調教を重ねてハクサンアマゾネスは最強ロードを進み続けた。
そんな彼女が完成したのは、6歳の頃と言う。
「6歳が完成形。遠征に行き出したからね」
6歳になって初の園田へ遠征。ここで兵庫サマークイーン賞を制し、以降、園田遠征では無敗と結果を残した。しかし、それら遠征は結果も残せたが吉原騎手にとって苦い糧にもなった。
「夏得意ではないのにグランダムを意識してムリして使って、結果が出なかった。僕的には反省している」
吉原騎手がそう語るように、ハクサンアマゾネスは園田以外ではあまり良い結果が出なかった。真夏に行われるグランダム・ジャパン対象レースの地元の読売レディス杯も、距離が短い事もあって勝つ事はできずに終わった。今でも振り返ってあの時は反省するばかりのようだった。
体質が弱いといわれながらも大きな怪我もせずに古馬となってから完成を迎えた彼女。無事是名馬を体現していたように見えるが、それは彼女の体に秘密があった。
「馬体重が小さくまとまっていたので脚への負担が小さかった」
デビューしてから引退までハクサンアマゾネスの体重は大体450~460kg台。大型とは言えないその馬体が彼女から怪我を遠ざけていた。
しかしこれは言い方を変えることもできる。
「言ってみれば馬体の成長がなかった。馬体そのものは、最初から完成していた感じ。かわりに精神面や内臓面など他の部分が成長していった」
4歳のデビュー戦の体重が465kg、7歳の引退レースの体重が457kg。
デビュー時の方が引退時よりも馬体が立派だったのを見ても、若い頃は本当に能力だけで走って結果を残していたのがわかる。そして、6歳で内面が伴って完成したという流れだった。
古馬になって完成したハクサンアマゾネス。もし、もう1年現役を続けようとなったらどうだったか──。
「全然イケた。ただ、色んなプレッシャーの中で、故障などトラブルが起きないままで引退させたいとは思った」
これほどの馬。無事に引退をしてその血を継がせるのも、厩舎の役割だ。
余力を残しての引退で将来への楽しみが膨らむ。
細心の注意を払って重ねられていった、ハクサンアマゾネスの調整や調教。いざ、レースに出走となるが、当日のパドックを見て不安や心配に駆られる事があった。パドックでの覇気のない歩き、他馬に比べて元気のない様子──。

実際にハクサンアマゾネスのパドックを見ていた人ならば『こんな感じで大丈夫なのか? 』と思ったのは一度や二度やないはず。
ファンだけではなく吉原騎手も同じ気持ちでいたというのだ。パドックの話をすると、吉原騎手が前のめりになって笑った。
「そうそうそう! 若い時はまだ元気があったけど、年を取るごとにどんどん大人しくなっていった。本当にやる気のない感じで、面白かった」
あの時の様子を思い出して大きく頷いて笑うほどに、パドックではよく見せなかった。
パドックの様子を見てこれはちょっとな、と軽視して本番であっさりと勝たれたファンも少なくはないだろう。
「身体もそんなに大きくないからよく見せない。いつもあんな感じだけどレースでは強い。そのギャップがよかった。無駄な力を出さないで温存して、発揮してくれるのはありがたい」
ファンの目を欺きながらパドックを周回。吉原騎手が跨ってもまだテンションは上がらない。もちろん、そのままレースを迎えるはずはなく、レース前には様変わりする。
「馬場の出る瞬間からスイッチが入る。逆に落とされないように気を付けるくらいテンションが上がったね」
コースに出るとパドックとは打って変わって元気になる彼女。ただ、元気すぎるのも困った物だったのだとか。
「出遅れが大変だった。元気すぎてゲートの中で変な事になって、出遅れる」
スイッチが入りすぎてしまうことで副産物のようにゲートの出が悪かったり、出遅れたりする事が度々見られた。そのハクサンアマゾネスの出遅れには少し不思議な傾向があった。
「なぜか1400mと1500m(のレース)で出遅れる。特に1500mで出遅れる。他は出てくれるのに」
ハクサンアマゾネスの適距離は1800m~2000m辺りで、1500mでも短いと吉原騎手が言う。
得意とは言えない距離で出遅れを多発させていた。その原因について、吉原騎手は「もしかしたらスタート地点のせいかも。(ゲートからの)見え方が違うから。ポケットからのスタートだとボケちゃう。馬場に出てるとうまくいく。走路に出ないからスイッチが入り切れないのかな」と分析する。
金沢競馬場の1500mのスタート位置は、正面スタンドの直線から伸びる引き込み線。馬場に出るとスイッチが入り、待機所で輪乗りをしている間にまたスイッチが切れてしまうのかもしれない。
コースに出てスイッチが入り、オンオフがはっきりしていたからこその出遅れ癖だったのだろう。
調教からパドック、レースと調教師、厩務員、騎手のチーム加藤和義厩舎で駆け抜けたハクサンアマゾネスの現役時代。

「貴重な経験をさせてもらったし、アマゾネスと共に成長した年だったな、この5年は。ありがたかった。アマゾネスがいなかったら、今みたいにはなっていない。経験は生きていますね」
実績十分な名手をさらなる高みへと誘う、まさに宝物のような時間を与えたハクサンアマゾネス。
それほどまでに大きな存在の引退でアマゾネスロスを起こしてはいないだろうか。
「ロスはないかな。無事に北海道に帰せたのが大きいし、楽にはなった。追い込まれる事がなくなったから。1年間ずっと追われる立場だったのから、肩から荷が下りて気楽に乗れるようになった気がする」
追われる者のプレッシャーから解放されてほっとし、引退式をして北海道へ帰らせることができた事に安堵したとしみじみ思う。
そして期待するのはやはり、その仔だ。
騎乗していた馬の仔に騎乗をした経験から、その仔はやはり母をよく引き継いでいる事は感じると言う。
「重賞を勝たせてもらったナターレ(2012、13年OROカップ)の仔に乗せてもらって連勝したけど、母と似てるなと思う事はあった」
そのナターレの仔、インナースティールは吉原騎手に手綱が移ってから3連勝。この馬のようにアマゾネスの仔にも母の能力のいい部分を引き継いで欲しいところだ。
もちろん、引き継いでほしくない部分もあるようで「ゲート、スタートの悪さだけは引き継いでほしくないですねえ」と苦笑する。
宝物の時の中で得た苦労。
出遅れには本当に苦労させられたのだろう。
苦笑いしながらの、即答だった。