競走馬にはG1とって一人前、みたいな訳のわからないルールがある

天皇賞(秋)の一週間前登録が発表になり、ジャスタウェイの出走順位は20番目でした。天皇賞(秋)のフルゲートは18頭。

このままでは出走枠に入ることができません。しかし、競馬の神様はジャスタウェイを見捨てませんでした。

出走決定順位上位の馬が別のレースに向かうことを表明したため、最終的には16番目という順位で出走が確定したのです。

週半ばに日本列島を襲った季節外れの台風も無事に過ぎ去り、レース当日は台風一過。馬場状態もパンパンとはいえないまでも、無事に良馬場まで回復しました。錚々たるメンバーが揃うG1レースですが、2勝馬ながら脚質とコース適正、近走の安定感をかわれたジャスタウェイは、最終的に5番人気の支持をあつめました。

ファンファーレ、大観衆の声援、一瞬の静寂──そして、運命のゲートが開きました。

名手武豊騎手を背に重賞3連勝中の快速馬トウケイヘイローが先手を奪い、3冠牝馬のジェンティルドンナも素晴らしいスタートを切って好位につけます。1番人気に推された名牝をマークするよう先行集団が形成され、前半の1000mは58秒台と速いペースで流れていきました。ジャスタウェイは中団よりやや後方を追走し、抜群の手ごたえのまま最後の追い比べにかかります。

スムーズに馬郡の外へと誘導されたジャスタウェイは、その名に恥じない末脚の破壊力を見せつけました。早めの先頭から横綱相撲で押し切りをはかろうとしていた、現役最強牝馬のジェンティルドンナをあっという間に4馬身も突き放してゴールにとびこんだのです。

実に1年8か月ぶりの3勝目が歴史あるG1の天皇賞(秋)となり、さらにはハーツクライ産駒初のG1馬という肩書までついてくる……そんな圧勝劇でした。

その後は予定通り休養を挟み、陣営は翌年のドバイデューティーフリーを目標に据えます。

無事にドバイからの招待状が届き、ステップレースには中山記念が選ばれました。直前に騎乗予定だった福永騎手が騎乗停止となり、ピンチヒッターの横山典弘騎手を背にジャスタウェイはゲートへと向かいます。

充実期を迎えたジャスタウェイは、苦手とされていた渋った馬場・トップハンデなどもものともせず、先行して最内から鋭く抜け出すという勝ち方でドバイ遠征に弾みをつけました。

2011年に中山記念を経由してドバイワールドカップを制したヴィクトワールピサの実績にジャスタウェイの活躍が加わり、中山記念はドバイ遠征の重要なステップレースと認識され始めました。
実際にドゥラメンテ、リアルスティール、ヴィブロス等が中山記念をステップに、ドバイミーティングでの好成績を収めています。

さて、2014年のドバイミーティングには総勢8頭の日本馬が出走しました。
ドバイデューティーフリーにはジャスタウェイ、ロゴタイプ、トウケイヘイローの日本馬3頭が挑むことに。

海外勢は6戦無敗の南アフリカ最強馬ウェルキンゲトリクス、香港のG1馬ブレイジングスピード、愛チャンピオンステークスの勝ち馬ザフューグ、前哨戦マクトゥームチャレンジ勝ち馬のハンターズライト、ブリーダーズカップフィリー&メアターフ勝ち馬のダンクなど、豪華で強力な面子がそろいました。

ジャスタウェイは出遅れることなくスタートを切りましたが、行き脚がつかずに後方2番手でレースを進めます。
メイダン競馬場のコースは先行有利といわれているため、各馬が前目のポジションを取りに行き、レースはハイペースで展開します。

そして残り400m。逃げたトウケイヘイローにハンターズライトが並びかけていきます。競り合う形になった2頭を目がけ、満を持してウェルキンゲトリクスが交わしにかかりますが、そのさらに外をジャスタウェイが並ぶ間もなく駆け抜けていきました。

残り300mで先頭におどりでたジャスタウェイは後続を大きく突き放し、2着に6馬身4分の1差をつけてゴールイン。天高く掲げられた黄金のジャスタウェイが、ドバイの夜に輝きをはなちます。

従来のコースレコードを2秒41も更新する走りで、ジャスタウェイはその強さを世界に知らしめました。

国内と海外どっちで走るのが大事なのとかいう奴にはジャーマンスープレックス

ドバイでの圧勝劇が決め手になり、ロンジンワールドベストレースホースランキングで130ポンドという評価を獲得したジャスタウェイ。

日本調教馬として初の世界ランキング単独1位になりました。130という数字はディープインパクト(127)やオルフェーヴル(129)を超える数値で、この評価によりジャスタウェイを取り巻く環境は一変します。

「世界一の馬」という称号の価値はすさまじく、海外からレース出走のオファーがくるなどして次走のローテーションを決めることも今まで通りというわけにはいかなくなってしまいました。関係者は最善の選択をするために協議を重ねた結果、ジャスタウェイのローテーションは安田記念から宝塚記念へと向かうことに決まりました。
ところが凱旋レースとなった安田記念において、数々の試練がジャスタウェイを待ち受けていたのです。
まず、レース一週間前に騎乗予定であった福永騎手が騎乗停止になりました。突然の事態に関係者は乗り手の確保に奔走したところ、運良く他陣営の協力を得ることができ、柴田善臣騎手とのコンビが復活しました。

これで一安心……かと思いきや、今度は雨という敵が襲い掛かります。降りやまぬ雨により東京競馬場の馬場状態は不良にまで悪化。安田記念は泥田のような馬場を走る、タフなサバイバルレースの様相となりました。
初めての海外遠征帰り、直前の乗り替わり劇に不良馬場と逆境だらけの状況においても、ジャスタウェイは圧倒的な1番人気に支持されました。やはりドバイデューティーフリー圧勝のインパクトはすさまじかったようです。

ゲートが開き、好スタートを切ったジャスタウェイは中団に付けましたが、直線の入り口から激しくもまれる展開に。荒れたインコースを避けて他馬が外へと進路を取るなか、グランプリボスが広がった馬群の真ん中辺りから先頭に立ち、抜け出します。

万事休すかと思われた残り250mで前が開くと、ジャスタウェイはこれを猛然と追いかけ激しい叩きあいに持ち込みました。ゴールまで残りわずかというところで、苦しくなったグランプリボスが外へよれます。ジャスタウェイはそれを横目に善臣騎手の鼓舞に応えて真っ直ぐに伸び、わずかに前に出たところがゴールでした。

けっして得意とは言えない道悪でも、最後まであきらめない勝負根性が光ったレース結果となりました。

その後は激戦の疲労が著しかったため、宝塚記念を回避します。
『宝塚記念を勝てば凱旋門賞挑戦』というプランが公にされていただけに、ジャスタウェイの動向に世間の注目が集まります。

そして複数回に及ぶ関係者間協議の結果、凱旋門賞への挑戦が確定します。

「一番人気で大きなプレッシャーにさらされるよりも、挑戦者の立場でレースに挑みたい」というオーナーの心理もこの決定を後押ししました。このような挑戦はリスクもお金もかかります。それでも、なかなかない機会だからと果敢に挑戦していく姿勢は褒められこそすれ、批判されるものではありません。レースに出走しなければ勝利はありえないからです。

秋になり、ジャスタウェイは同じ厩舎のゴールドシップとともにフランスへ旅立ちます。エールフランスのストライキの影響で直行便が飛ばず、オランダから陸路輸送でフランス入りをするというルート変更はあったものの、無事に目的地へと到着しました。

その後は大きな問題もなく調整が進められ、レースの日を迎えました。
日本からは3頭が挑戦した凱旋門賞のゲートが開き、ジャスタウェイは好スタートから控えてインに潜り込みチャンスを狙います。脚をためながら馬群を追走し、直線はしぶとい末脚で伸びましたがいつものキレを発揮できず8着に終わりました。

ともにロンシャンのターフを駆け抜けた日本馬はハープスターが6着、ゴールドシップが14着という結果でした。

勝ったのはフランスの牝馬トレヴ。スローペースで流れたレースを好位追走し、直線で危なげなく抜け出して見事に連覇を成し遂げました。

見せ場なく終わったかに見えた凱旋門賞挑戦でしたが、収穫もありました。

2400mという距離でも勝負になりそう、という手ごたえを得られたことです。種牡馬入りした時の評価を考えると、幅広い距離適性があることは大きなセールスポイントとなります。当時のジャスタウェイは1600m〜2000mの馬だと思われていました。

その評価を変えるためにも、引退までの2戦にジャパンカップと有馬記念を使ったのは自然な流れだといえます。そしてジャパンカップは2着、有馬記念は4着と勝利はなりませんでしたが、長い距離でも十分に走れるということを証明しました。

3年と5か月で22戦を走り、ジャスタウェイの競走馬としての戦いは終わりました。

年が明けて2015年1月4日、京都競馬場にて引退式が行われました。

「競走馬」ジャスタウェイの最後の姿を目に焼き付けようと集まった人々の前を、ジャスタウェイは福永騎手を背にゆったりとしたキャンターで駆けていきます。

送別歌はミスターチルドレンの「終わりなき旅」……これから種牡馬として第二の馬生をスタートさせるジャスタウェイにふさわしい曲でした。

無事にラストランを終えた後は、引退式のためにあつらえた馬服に着替えて記念撮影。

名残を惜しむ人々に見送られ、暮れなずむ淀のターフを去っていきました。

写真:ラクト

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