マチカネニホンバレ~天晴マチカネ軍団、日本晴れ~

マチカネ軍団──。

かつて競馬界をにぎわせたその軍団は、今も多くの人の記憶に残る。

G1を制したフクキタル、G1勝ちこそないものの蜘蛛を食べて蕁麻疹になった(らしい)など古馬戦線を色んな意味で賑わせたタンホイザ、ダートで活躍したワラウカド、超良血のアレグロに皐月賞馬ハードバージの半弟、ダビスタで多くのプレイヤーを虜にしたイワシミズ……。

有名な名前、そのひとつひとつをあげていくだけでも、彼ら1頭1頭に強烈な個性的を感じる。

そんな軍団の、最後の最後に輝いたとも言えるのが、マチカネニホンバレだった。

彼の勇姿はその名の通り、日本晴れの下に輝いた。

砂で輝く、日本晴れ

2005年4月26日。あのディープインパクトが無敗で皐月賞を制覇した翌週に、マチカネニホンバレはシンボリクリスエスの初年度産駒、そして近親にアメリカ殿堂馬アリシーバや、アメリカジョッキークラブカップでステイゴールドを下すなどG2を2勝したマチカネキンノホシを持つ良血馬として、この世に生を受けた。

それから2年。成長した彼はそのまま細川益男氏によって所有されると、母も所属した美浦の藤沢和雄厩舎へと入厩。母同様の体質の弱さが懸念されたため、入厩しては放牧を繰り返したが、なんとかデビューにこぎつける。しかしそのデビュー戦となった芝・未勝利戦では、既走馬を相手に14着と大敗。中1週で福島へ転戦した未勝利戦では前が塞がりながらも2着となるが、1か月後の函館では追い出してからの反応が鈍く6着と3連敗。

相次ぐ敗戦に師は次戦をダートに変え、心機一転を図る。

この選択が、ニホンバレにはピタリとハマった。

3角から動き先頭へ並ぶと、直線では後続をぐんぐん引き離し、とてもダート初出走とは思えない走りで適性を見せる5馬身差の完勝を収めたのだ。

連闘で臨んだ札幌の500万下こそ3着に敗れるものの、休養を挟んで迎えた11月の東京では再び直線で後続を突き放し5馬身差をつける勝ちっぷりを見せつけた。

さらに、昇級初戦の1000万下では2着に1秒9差をつける圧勝劇。横浜S、ブリリアントS、マリーンSとクラスが上がってからもその勢いはとどまることを知らず、5連勝を果たした。

特にマリーンSの1分41秒7という走破タイムは、時計の出やすい不良馬場とはいえ、非常に優秀なタイム。2017年にロンドンタウンが1分40秒9という驚異的なタイムを出すまで、8年間日本レコードの座に輝いていた。

当然次走のしらかばSではその走りに圧倒的な期待が集まり、単勝オッズも1.4倍と堂々たる鉄板クラスものの支持を集めたが──ここで、連勝は途切れる。

13頭立て10着。

レコード駆けの反動か、はたまた体調不良か。

その真意は分からぬまま、マチカネニホンバレは、予定通りエルムSへと駒を進める。

9月21日。この年は函館競馬改修の影響で長らく続いた札幌競馬開催に変わって、新潟での開催だった。

上越の空に輝く太陽

秋の3連休、最終日。

前日のセントライト記念でナカヤマフェスタが勝利をおさめ、いよいよ秋の大舞台への足音が聞こえてきたこの日、エルムSの1番人気となったのも、3歳馬だった。

8枠15番、大外のトランセンド。ここまで6戦4勝のうち、その勝ち鞍すべてがダート戦。

しかもその4勝はエルムSが行われるダートの1800m戦であげたものだった。前々走の麒麟山特別で古馬をまるで相手にしない走りを見せたかと思えば、続くレパードSでも圧逃劇で重賞初制覇。非の打ちどころなどないようなその強さと成績に加え、53キロという最軽量では無視できるはずもなく、多くの実績馬が顔をそろえたここでも1.6倍の断然人気の支持が集まっていた。

それに続く2番人気に、マチカネニホンバレ。

前走の敗戦で流石に人気は落ちたものの、それでも同じ左回りの東京競馬場で見せたパフォーマンスに加え、既に重賞戦線で好勝負を繰り広げていた馬達を下している事が評価されてか、ジャパンカップダート馬のアロンダイト、フェブラリーS馬のサンライズバッカスらを抑えて4.8倍という評価を受けた。

鞍上には1000万下からの3連勝の際に手綱を取り続けた北村宏司騎手が帰ってきていた。

9月の日本海での秋晴れ、まさに彼の名を表すかのような天候の下でゲートが開く。

逃げて連勝を重ねてきたトシナギサが先手を主張し、断然人気のトランセンドも勿論前へ。更にはナンヨーヒルトップもその争いに加わり、先行争いは激化。

そんな中、マチカネニホンバレは進んでいかなかった前走とは打って変わって、鞍上に促されるまま先頭争いに加わっていった。

一方G1馬2頭はいつも通り後方からレースを見る形で、各馬が1角の曲がり角に入っていく。

先頭争いは完全に落ち着き、トシナギサがそのままハナ。マチカネニホンバレが2番手につけ、前を行く2頭を見る形で外目からトランセンドがやや抑えきれない感じで3番手で構えていた。

落ち着いたペースは早まることを知らず、向こう正面に向く頃にはスタート直後一瞬激化した先頭争いは見る影もないほど馬群は一団となり、ゆったりとレースは流れていた。1000mは62秒6とかなりのスローペースとなっていた。

そんなスローペースで流れれば、コーナーのきつい新潟競馬場で前が有利なのは明白。

800の標識を過ぎたあたりで、前を行く人気2頭は一気に先頭のトシナギサへと並びかけた。

手応えの怪しくなったナンヨーヒルトップに変わって外からアロンダイト、クリールパッションが中団から上がってきたが、更に後方に位置していたサンライズバッカス、トーセンブライトら後方待機勢には既に厳しい展開。この時点で馬券圏内は前を行く馬達に絞られた。

4角先頭。マチカネニホンバレはトシナギサを捉え新潟の直線に向く。

内で抵抗するトシナギサをあっさり競り落とし、外から迫ってくる若きダート界のホープとの叩き合いに持ち込む。

ところが満を持して追い出したトランセンドは道中の引っ掛かりが影響したか案外伸びない。ニホンバレに迫ることも厳しく、それどころか3着すら厳しそうだ。

捲ってきたアロンダイト、ナムラハンターも先頭に迫れるまでの末脚はない。

外の馬に敵はいない。敵は内だ。

同じ前田氏の一族、前走しらかばSで11番人気ながら3着と激走したネイキッドが、再度の大駆けを見せんと最内から強襲。

その間、狭い所から割ってこようと猛追するクリールパッション。

残り200mを切った時点で、先頭争いはこの3頭に絞られた。

先に遅れたのはクリールパッション。だがネイキッドは赤木高太郎騎手の激励に応えるように内からその末脚を遺憾なく発揮すると、残り100mでマチカネニホンバレを交わして抜け出した。

──残り50m。

半馬身程抜け出したネイキッドに、もう一度マチカネニホンバレが襲い掛かる。

その差が半馬身、アタマ、クビと確かに詰まる。

そして、ゴールの瞬間、その差は覆った。

僅かハナ差、ネイキッドを差し返してのゴールイン。

管理する藤沢和雄調教師にとって2年ぶり、細川益男氏にとってもマチカネオーラ以来3年ぶりとなる重賞制覇。そのレースぶりはまさに当日の上越の日本晴れのような熱き戦いであり、マチカネニホンバレは前走大敗の汚名を返上した。

しかし、この勝利でダート界の主役が見えた、とまではならなかったのが当時のダート界。

何しろ雷神カネヒキリ、砂王ヴァーミリアンに同厩の素質馬カジノドライヴ、かしわ記念で初G1勝ちを挙げ徐々にその頭角を現し始めていたエスポワールシチーや新星サクセスブロッケンなど、スターホースがずらりと顔を並べていた。さらにはその脇を固める個性派達も豪脚メイショウトウコンやワイルドワンダーなど一筋縄ではいかない馬達。地方に目を移せば並み居る強豪を打ち倒すフリオーソや南関の雄ルースリンドなど、とにかくタレント揃いのダート路線だった。

しかしそれでも、ダート転向後の安定した走りに、マチカネニホンバレのG1勝ちを夢見た人も少なくなかった。

次走以降の走りでは、本気でG1戦線の常連に割って入るのではないか、と。

待ち兼ねた日本晴れは、息長く。

次走、ジャパンカップダートを見据えての武蔵野S。

やや忙しそうに追走し直線半ばで抜け出そうかという場面まであったが、エルムSのようなしぶとさは見せることなく4着。

エルムSで下したトランセンド、更に一線級で戦ってきたサクセスブロッケンには先着したものの、この結果に藤沢師はジャパンカップダートを回避し、長期休養の選択を取った。

半年後に帰ってきたブリリアントS、そこから転戦した大沼Sで連続2着と惜敗すると、中1週で遠征した盛岡のマーキュリーCは8着。

更に休養し、12月のベテルギウスSで2着復帰後、平安S5着、遂にこぎつけたG1フェブラリーSではピークを迎えたトランセンドの前に5着、そのトランセンドがヴィクトワールピサと共にドバイでワンツーフィニッシュを飾った翌々週、マーチSは4着……。

快進撃を見せていた時が嘘のように惜敗を繰り返したマチカネニホンバレは、結局中央でその後勝ち星を挙げることがないまま2012年に中央の競走馬登録を抹消し、川崎の山崎尋美厩舎に移籍した。

そして勝島王冠、報知オールスターCと掲示板を外すと、今度は高知の松木啓助厩舎へ移籍。

移籍直後の胸キュン・縁距離特別で圧勝し、実に2年半ぶりの勝利を挙げると、福山の大高坂賞でグランシュヴァリエを下して重賞制覇を成し遂げ、続く高知の御厨人窟賞も全盛期の中央時代を思わせるような差で連勝した。しかし続く福永洋一記念でエプソムアーロンの前に2着に終わると、糸が切れてしまったかのように再び勝ちきれなくなったのだった。

その後はB級に在籍するも、19戦を走り抜き挙げた勝ち数は1勝。

2014年7月21日の7着を最後に、その現役生活を終えた。

現在は晩年を過ごした高知県の土佐黒潮牧場にて、乗馬として繋養されているという。

武蔵野SからブリリアントSまでの間に、当馬を、いやマチカネ軍団にとって話さずにはいられない出来事がある。

2010年3月31日、数々の個性的な馬達を生み出した細川益男氏が肺炎のため85歳でこの世を去っていた。

死後、その権利の多くは吉田千津氏に渡るとマチカネの冠名を持つ現役馬は次第に減り、マチカネ軍団を象徴する赤と青の三本線は、今ではすっかり懐かしの勝負服となってしまう。

そんなマチカネ軍団の晩年の1頭であるニホンバレは、細川氏の生前最後の重賞制覇を飾った競走馬なのである。

それこそ、G1を夢見るほどの──。

赤と青の三本線の勝負服が、最後に重賞を勝った、そして並み居る強豪たちを打ち負かし、執念の差し返しを見せたあの日の日本晴れの空を、私はきっと忘れないだろう。

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