[メイショウ馬たちの追憶]ダービー馬 メイショウサムソン

「青地に桃襷、桃袖」の勝負服、「メイショウ」の冠名を持つ馬たちが、週末の中央競馬でいつも多く駆けている。レース中の馬群の中、勝負服を見るだけで一目でメイショウの馬とわかるほど印象的で、長年にわたって親しまれている。

冠名の創始者、松本好雄オーナーが、2025年8月29日にご逝去された。個人馬主として史上初となるJRA通算2000勝を達成されてからわずか6日後のこと。「メイショウ」の冠号は、松本オーナーのご出身地「明石(メイ)」と「松本(ショウ)」から命名され、明石の地とオーナーの思いが融合したものだということを新聞記事で読んだ。その冠名を背負って駆けているメイショウの馬たちは、オーナーの夢と情熱が体現された馬たちである。

「歴代のメイショウの馬たちの中で、印象に残っている馬は?」

多くのメイショウの馬たちが記憶の中から蘇るが、私が最初に思い浮かべるのはメイショウサムソンだ。

   

2006年5月28日、東京競馬場。第73回日本ダービーのゴール板を駆け抜けたのは、白の帽子をかぶった鹿毛の馬、メイショウサムソンだった。鞍上は石橋守騎手、騎手生活22年目にして、ついにダービージョッキーとなる。

日本ダービー当日、メイショウサムソンは1番人気。レースでは先行集団につけ、直線でアドマイヤメインを差し切ると、石橋騎手は残り100メートルで手綱を緩める余裕すら見せた。松本オーナーにとって長年の夢が叶った瞬間。瀬戸口勉調教師にとっても、勇退を控えた最後のクラシック勝利。関わったすべての人にとって、忘れられない一日となった。

日本ダービー馬となったメイショウサムソンは、父オペラハウス、母未勝利馬マイヴィヴィアン。血統的には地味で、デビュー前から注目されるような存在では無かった。ただ、幼駒時代から健康で力強く、まるで野武士のような気迫を持っていたという。

2005年7月に小倉でデビューすると、3戦目の未勝利戦で初勝利。続く野路菊賞を連勝しオープンに昇格する。暮れの中京2歳ステークスにも勝利し3勝目となったメイショウサムソンは、来春のクラッシック戦線に向けて臨戦体制が整った。

3歳になると、きさらぎ賞で1番人気に支持されたものの、直線で外から抜け出したもののドリームパスポートの強襲に遭い2着。スプリングステークスでは朝日杯フューチュリティステークス優勝馬フサイチリシャールをクビ差抑えて重賞初制覇を飾る。

そして迎えた皐月賞、共同通信杯、弥生賞を連勝したアドマイヤムーンが、無傷の4連勝で挑んできたフサイチジャンク、GⅠ馬フサイチリシャールについでの4番人気がメイショウサムソンだった。レースは4コーナーを回ると、内ラチ沿いをフサイチリシャール先頭に立つところ、外からサムソンの脚が伸びる。先頭に立ったメイショウサムソンの内からドリームパスポートが急追するが耐えてゴール板を駆け抜けた。「メイショウサムソンが勝った!」の実況が響いたとき、石橋騎手は天を仰いだ。初のG1制覇を掴んだ彼の姿は、馬と共に駆け抜けた長い下積みの結晶だった。

メイショウサムソンは、皐月賞、日本ダービーの二冠馬となりターフにその名を刻んだ。だが、彼の物語はそこで終わらなかった。むしろ、そこからが本当の旅の始まりだった。

三冠を目指した秋。菊花賞では大逃げを打ったアドマイヤメインを直線で捕まえにかかる。一旦は二番手に上がるも、外から伸びたソングオブウインドとドリームパスポートに差されて4着、三冠を逃す。

しかし、彼の本当の強さは古馬になってから、その底力が発揮される。

古馬になって、メイショウサムソンは逞しさを増し、4歳の天皇賞(春)で再び輝きを取り戻した。3200mメートルの長丁場を力強く駆け抜け、ゴール手前で先頭に立つトウカイトリックを交わし、外から迫るエリモエクスパイアをハナ差抑えて3つ目のGⅠを制覇する。続く秋の天皇賞でも勝利し、天皇賞春秋連覇という偉業を成し遂げた。日本ダービー馬でありながら、古馬王道路線で真価を発揮した点は、歴代の名馬の中でも際立っている。

5歳になったメイショウサムソンは、天皇賞(春)、宝塚記念を2着にまとめ、その勢いで秋は凱旋門賞に挑戦する。武豊騎手を背に欧州の名馬たちに挑んだが、世界の壁に跳ね返され10着に敗退する。帰国後はジャパンカップ、有馬記念に出走するが、全盛期の力は影を潜め、着外に終わった。それでも最後まで走り抜き、27戦9勝という堂々たる戦績を残して2008年暮れにターフを去った。

                  

メイショウサムソンはGⅠを4勝し、名馬としての地位を確立した。だが、彼の物語は、勝利の数では語り尽くせない。松本好雄オーナーの誠意と、石橋守という職人騎手の信頼、そしてサムソン自身の野武士のような闘志が織りなした、絆の物語だった。メイショウサムソンは決して“超良血”ではなかった。だがその走りには、血統を超えた意志と、育てられた者たちの思いが宿っていた。

「どの馬もそんなに一流ではないし、普通の馬です。やっぱり人のおかげでしょうね」。

松本オーナーの言葉には、馬を信じ、人を信じ、縁を信じる彼の哲学が滲んでいる。競馬は孤独な勝負ではない。生産者、育成者、厩舎スタッフ、騎手──すべての人が織りなす共同体の結晶であるということを、メイショウサムソンを通して証明してみせた。

メイショウサムソンは今も記憶の中で走り続ける。そして松本好雄オーナーの夢は、冠名「メイショウ」とともに、未来のターフに受け継がれていくはずだ。

Photo by I.Natsume

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