自身が所有していた競走馬を、引退後は自らの手でリトレーニングし、乗馬の世界へと送り出している人物がいる。時には理想論と言われつつも、長年にわたり活動を続けてきた。今回は、そんな水戸乗馬クラブ・谷正之さんに話を伺ってきた。
「乗馬としてのスキルを身につければ、貰い手は見つかりますからね」
「40〜50年前ほど昔から、父親が馬主をやっていたんですよね。僕も子供の頃から競馬場に連れて行ってもらっていた。だから僕にとって、馬といえば競馬。妹なんか、幼稚園のお絵かきで馬の絵を描いたときにゼッケンを描いちゃったほど(笑)」
そんな谷さんだが、元々は馬に特別な興味があったわけではない。
その証拠に、馬術部が盛んな東京農大に進学しても、馬術部とは関わりを持たずにいたそうだ。「馬事公苑は大学から近いのでよく行っていたけど、昼寝しに行っていただけ」と笑う。転機となったのは、ひとつの出会いだあった。
「30代半ばで乗馬をしている人と知り合って『競馬の馬も乗馬になるのか』と知りました。知識がなかったので、競馬を辞めた翌日から乗馬で使えるものくらいに考えていましたけど……。引退した父の馬を連れて行って、いざ乗ろうとしたら、乗れないんです(笑) 今となっては当然だとわかりますが、当時はカルチャーショックを受けました。乗馬ってなかなかなれるもんじゃないんだな、と」
これまでも馬が引退するときに、調教師から「可愛がってくれるところに送りましたよ」という説明を受けることがあった。その際は「そういうものなんだな」と思っていたが、乗馬に関わるうちに、実は全ての馬が無事に引退後を過ごしているわけではないと知った。知っていくうちに「自分が関わった馬は乗馬にしたい」と思い始めたという。
「通っている乗馬クラブに自分の馬が増え始めた頃、たまたま水戸乗馬クラブのオーナーが乗馬クラブを手放そうとしていたんです。せっかくなので手を上げたことが、今に至るきっかけです。乗馬クラブという名前はついていますけど、あくまで自分や家族の馬を乗馬に転用するためのトレーニング施設だと考えていました。乗馬としてのスキルを身につければ、貰い手は見つかりますからね」
谷さんが乗馬クラブの運営を始めた約25年前は、年間生産頭数が1万頭を超えるような時代。そのため引退馬も今より多く、引き取り手を探すのにもひと苦労する時代だったという。それでも乗馬として十分な能力を持っている馬であれば、谷さんの考える『真の意味での引き取り手』がいた。
谷さんがリトレーニングを続けてきた根底には「抹消したから、あげるよ!」ではなく「抹消してから、ここまでやれるようにしたから可愛がってよ!」という意識があるのだという。
「この世界で長くやっていると、自分と同じベクトルの知り合いが増えてきます。その一人が、成蹊大学の乗馬部でコーチをなさっている方です。成蹊大学の馬術部は、競技会での勝利が第一というよりも、今後彼らが社会に出てから役立つのことを馬から学ぼう、という場所なのだと感じています。例えば責任感や連帯感などですね。そこのコーチが乗馬界の事情に詳しい方で『ここは可愛がっている』『ここはちょっと厳しい』といったことも教えてくれました。一時は成蹊大学の乗馬部の約半分が自分の馬だったこともあります(笑)」
「正解はない世界なので『僕はそうやってるよ』というスタンス」
谷さんが所有し成蹊大学へ送り出した馬のなかに、1頭のやんちゃな馬がいた。
2004年うまれ、父エアスマップ・母父ウインザーノットという血統のレイバジェという馬である。
「船橋に預けていた馬なんですけど、本当に性格に難のある馬でね……。人を、噛むし蹴るしで大変だったんです(笑) 船橋で4回走ったんですが、レース中も気性を抑えきれずお手上げ。結局、すぐに引退したんですが、水戸乗馬クラブにきてからも暴れん坊で、これがもう大変で……。正直『乗馬になれるのかな?』と思っていたほど。今では岩手競馬で活躍中の鈴木祐騎手も、乗馬へのトレーニング中に振り落とされて骨折してしまったんですよ(苦笑)」
岩手の鈴木祐騎手といえば、2017年には日本プロスポーツ大賞 新人賞を受賞し、2018年にはNAR グランプリ優秀新人騎手賞受賞も受賞した岩手のホープ。2021年にはヴィーナススプリントや岩鷲賞など、岩手の重賞を4勝した。
そんな鈴木祐騎手が騎手を志した際に訪れたのが水戸乗馬クラブであり、初めて落馬を経験したのがレイバジェだった。その際に骨折してしまった鈴木祐騎手にとっても、おそらく記憶に残る馬であろう。
「水戸乗馬クラブでの訓練を終えてからは、成蹊大学の乗馬部に譲りました。しばらくしてから乗馬クラブに譲渡されたというのは聞いていましたが、譲ったその先を追いかけることはあえてやめていますので、レイバジェのその後については知りませんでした。しかしつい先日、全日本ジュニア障害馬術大会に出場していることを知り、嬉しくなってしまいました。ヨーロッパから輸入されたバリバリの乗用馬に囲まれて、すごい頑張っていたんです!」
成蹊大学の乗馬部時代も、学生から愛されて過ごしていたというレイバジェ。
森泰斗騎手や今野忠成騎手が乗っていた馬に、大学生が乗るようになり、今では子供たちが騎乗している。
「全日本ジュニアに出る馬なんて、錚々たるメンバーですよ。そんな馬たちを相手に、あんな小さい子が頑張って……それも、中学生なんか乗せちゃって、あんな高い障害を……。感動しました。うちはいくらでも時間をかけられますから、ちゃんと育てていけば、あんな才能が出てくるんですね」
いま、水戸乗馬クラブには4頭の馬がいるという。
現役時代に自身がオーナーをしていた馬、同じような考え方の人が所有していた馬。
そして、中には現役馬もいる。
「最近、育成場や短期休養のための施設に空きがないことが多くて……。だから、自分でやろうかなって思い至りました。現役馬のためにウォーキングマシンも導入しています。最近は競走馬の購入は年間1〜2頭ずつ。5〜6頭に増やすと、一気に引退した場合に面倒が見れなくなる可能性がありますからね。いろんな考え方の人がいますから、私も人から『自己満足だよ』と笑われることがある。でも自己満足でもいいのかな、って思っています。様々な考え方があるのも良いだろうな、と……。正解はない世界なので『僕はそうやってるよ』というスタンスで、これからも競走馬の訓練に取り組んでいけたらと思います」
最後に、谷さんは「引退馬どうこうという大きなことは言えないですが……」と前置きした上で、「自分が購入した馬は自分で次の人が使えるようにしてバトンタッチしたい」と締め括った。