ニシノデイジー〜セイウンスカイの血を持つ馬に惹かれて〜

2018年12月28日。

クリスマスも終わり、新年の足音が近づいてくるころ。雪が降りしきり冬の様相を漂わせる街の中、私は一人、足早に歩いていた。

この日は、第35回ホープフルSの開催日だった。

ニシノデイジーに流れる、名馬たちの血。

ニシノデイジーは、2016年4月18日北海道は浦河町の名門・谷川牧場にて生を受けた。

父はハービンジャー。日本でも騎乗経験のある名手O.ペリエ騎手の手綱で、 KGⅥ&QES(イギリス・アスコット競馬場)を大差で制した「アスコットの破壊王」だ。

母はダートと芝を転戦しながらも未勝利で繁殖入りしたニシノヒナギク。

母の父は3戦連勝で無敗のまま皐月賞を制し、後にリーディングサイアーのタイトルをも獲得したアグネスタキオンという血統だ。

父、母父ともに現役時代にG1を勝利した経験があり、種牡馬としてもG1や重賞の勝ち馬を輩出している名馬である。

しかし、ニシノデイジーが札幌2歳Sや東京スポーツ杯2歳Sを勝利した際──そしてG1・ホープフルSへの挑戦が決まった際、最も人目を引いたのは、父でも母父でもなく、母方の血統をたどると見つかる「ある馬」の名前だったのではないだろうか。

1998年の菊花賞を逃げ切りで勝利し、皐月賞と合わせてクラシック2冠を成し遂げた名馬、セイウンスカイである。

きっかけは「セイウンスカイのひ孫が今日走るんだって!」のひと言。

私がニシノデイジーのことを知ったのは、秋から冬にうつろう、ある土曜日のことだった。

当時、JRAが流していたCMやTVアニメの影響で、私は少しずつ競馬に興味を持ち始めていた。それを知った友人が東京スポーツ杯2歳Sの日に「セイウンスカイのひ孫が今日走るんだって!」の声をかけて来たのが、競馬を見始めるきっかけとなった。

興味を抱いていたのは事実とはいえ、色々な事情が重なり、それまで私は実際のレースを見たことが無かった。折角だし、見てみようかなと思った。

しかし、何も知らないまま見るのも少し失礼かなと思い、友人に教わった中継の時刻になるまで、ニシノデイジーとその曾おじいさんであるセイウンスカイについて調べることにした。

人間と馬の加齢速度が異なるとはいえ、1995年生まれのセイウンスカイに2016年には曾孫が生まれていたのか……等と衝撃を受けたりしながら検索を続けていくと、セイウンスカイの同期であり、共にクラシック戦線でしのぎを削ったスペシャルウィークやキングヘイローの名前を見つけた。そして彼らがブエナビスタやローレルゲレイロといったG1馬・重賞馬を輩出したのとは違い、セイウンスカイは──彼自身の血統背景もあってか──先述の2頭ほどの結果を残すことができなかったことを知った。

そんなセイウンスカイがニシノフラワーとの間に生した仔が、ニシノミライ。彼女がアグネスタキオンとの間に生した仔が、ニシノヒナギク。

そして、彼女がハービンジャーとの間に生したのが、ニシノデイジーである。

ニシノデイジーの名前の意味は「冠名+すてきなもの」だそうだ。彼自身の血統背景とこの名前にこたえるように、札幌の地で、セイウンスカイの血を引く馬としては初の中央重賞制覇を成し遂げたのだ。

この時に私を包み込んだ感情は、言葉を選ばないで表現するならば「エモさ」そのものだったと思う。

競馬は優秀なサラブレッドの血が受け継がれることで成立する側面から「ブラッド・スポーツ」と呼ばれる事もあるそうだ。確かにセイウンスカイは、重賞戦線で鎬を削った馬たちと比べれば、血統も主流ではなかったかも知れないし種牡馬成績も及ばないかもしれない。

しかし、それから何世代も大切に血がつながれてニシノデイジーという馬につながったのだ。

エモいとは、説明しがたい感慨・感情を述べる言葉であるが、その時私の胸に去来した想いも、競馬の持つ「エモさ」の一面なのではないだろうか。

ふと、友人に教わった時間が迫ってきていた。TVをつけるとすでに中継が始まっていて、東京スポーツ杯2歳Sのパドックが映し出されていた。

TV画面と必死に睨めっこしながら、それぞれの馬を見ていく。

出走16頭のパドックをすべて見終えたが、正直なところトモの張りや馬体重の増減や毛艶の良しあしとか、どの馬の調子がよくてどの馬の調子がよくないかとか、まったくと言っていいほど分からなかった。

だが、何となくではあったし、贔屓目もあったと思うが、ニシノデイジーはここにいるどの馬にも負けてはいないんじゃいか──という気がした。

そうこうしているうちに、映像は東京競馬場の本馬場に切り替わり、いざスタートが切られた。

東京スポーツ杯2歳Sが終わったあと、武者震いがとまらなかった。

ニシノデイジーはスタートを決め、向こう正面では馬群のインコース側中段付近に付けた。3.4コーナーでもインコースを維持して正面に入ったが、先に行こうとする馬が壁になってしまう。しかし、カテドラルが仕掛けた際に出来た隙間を、勝浦騎手は見逃さなかった。そこをついて抜き出ると、外から迫ってきたヴァンドギャルド、さらにその外から追い上げてきたアガラス、ヴェロックスとの叩き合いを制し、重賞2勝目を勝ち取った。

「どうなったの……?」

思わずそんな言葉が出たのを、今でも覚えている。このときの2着アガラス・3位ヴァンドギャルド・4着ヴェロックスは、それぞれハナ差・アタマ差・ハナ差という壮絶な大接戦だったからだ。

その大接戦を、ニシノデイジーと勝浦騎手は制してみせた。

レースが終わった後、私の背を駆け巡ったのは武者震いだった。人生で初めて見た競馬。興味はあったが、ギャンブルが持つイメージもあり、若干の恐怖を抱えていたのも事実だ。

だが、そういう感情を吹き飛ばし、釘付けにしてしまうほど、そのレースは私にとって鮮烈なものだったのだ。

そして、いざG1へ。

それから少しして、ニシノデイジーの次走がホープフルSに決まったことが発表された。ホープフルSは2017年よりG1へ昇格された新しい年末の名物だ。この前身とされるラジオたんぱ杯3歳Sでは、彼の母父であるアグネスタキオンが勝利している。

レース名の「ホープフル」は英語で「希望に満ちた」・「有望な」・「見込みのある」といった意味を持つ言葉らしい。

このレースには、ニシノデイジーだけでなく、様々な有力馬が出走を表明した。

ラジオNIKKEI杯京都2歳Sで2着に入ったブレイキングドーン。東スポ杯2歳Sでニシノデイジーらと接戦を繰り広げたヴァンドギャルド。ジャスタウェイ初年度産駒で2連勝し勢いに乗りたいアドマイジヤジャスタ。そしてこちらも2連勝でG1にコマを進めてきた、シーザリオの息子サートゥルナーリア。

ニシノデイジーの相手にとって不足は無い……と思っていたが、G1の舞台で初の中山競馬場。前週の有馬記念で同父のブラストワンピースが有馬記念を制覇していたように、血統的な面で不安があるとは思わなかったが、展開次第では……と、色々なことを考えてしまった。

そうこう悩んでいるうちにレース当日がやってきた。用事を終え天気を確認すると中山競馬場の天気は晴れ。芝は良馬場であった。

ダントツの1番人気はサートゥルナーリア。2番人気にアドマイヤジャスタで、ニシノデイジーは3番人気だった。

東スポ杯2歳Sとの人気の差に少し驚きながら、友人に教わりウインズで馬券を購入。買ったのは、ニシノデイジーの応援馬券だった。

それから急いで自宅に戻り、あの時と同じようにテレビで観戦をすることにした。

年の暮れの中山競馬場にに響き渡る、G1のファンファーレ。これがG1なのかと、人の勢いに圧倒された。

「デイジー、がんばって」と思わず声に出たとき、ゲートが開き、各馬一斉にスタートを切った。

1コーナーから向こう正面にかけてハナを主張したのは、戸崎騎手を背にしたコスモカレンドゥラ。好発進を決めて続いたのは上位人気勢のサートゥルナーリアとアドマイヤジャスタだった。ニシノデイジーも枠の利を生かし、最内から四番手につける。

向こう正面を過ぎ、3.4コーナーでジャストアジゴロやヒルノダカールが先行勢をとらえんばかりの勢いで仕掛けにかかる。

そのまま正面に馬群がなだれ込むと、アドマイヤジャスタがルメール騎手に答えて足をのばすが、コスモカレンドゥラやブレイキングドーンも懸命に追いすがる。

一方で、ニシノデイジーは仕掛けどころで位置を下げざるを得なくなっていた。先行勢が蓋になってしまっていたのだ。

──このまま抜け出せずに凡走で終わってしまうのか。
──だけど、東スポ杯2歳Sでも同じような局面から勝っているから、今回もきっと大丈夫。

不安と期待で、胸が張り裂けそうになったその時だった。

サートゥルナーリアが、抜け出したのだ。それにより、デイジーの目の前に、道が開いた。

ちょうど目の前に開いた道を、ニシノデイジーと勝浦騎手が見逃すはずはなかった。

先ほどまで去来していた不安を吹き飛ばし、期待に応えてくれるような末脚だった。

思わず、観戦していたTVの前で「頑張れ!行け!!!」と叫んでしまったほどに。

そしてそのレースを優勝したのは、5番のサートゥルナーリア。単勝1.8倍の圧倒的1番人気に応える、見事な勝利だった。

対してニシノデイジーは3着。しかし、彼がたたき出した上がり3ハロン35.3秒は、彼自身が十分に魅力ある末脚を持っていることを、改めて予感させるものであった。

少なくとも、彼の未来に大輪の花が咲くことを、私は確信したのである。

しかし翌年は残念ながら、成績は思うようにはならなかった。

けれども、掲示板を外したのは皐月賞と菊花賞の2回。

奇しくも曾祖父セイウンスカイが制した二つのG1だが、展開が向かなかったり、折合いがつかなかったりなど、地力負けではないと思っている。

新しいパートナーと条件を模索し、まだまだやれるところをみせてくれるはずだ。

彼がいつか大舞台で大輪の花を咲かせることを、楽しみにしたい。

写真:かぼす

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