[きさらぎ賞]スペシャルウィークにナリタトップロードにサトノダイヤモンド…。きさらぎ賞からクラシック競走を制した名馬たちを振り返る。

きさらぎ賞は1961年に中京競馬場の砂(現在のダートとは異なる)1200m戦で始まったレースである。今年で62回目を迎える歴史のあるレースなので、過去の勝ち馬からはダイコーター(1965年)が菊花賞を、タニノムーティエ(1970年)、ヒカルイマイ(1971年)が皐月賞、日本ダービーの牡馬二冠に輝くなど、出世レースの1つとしても有名である。

この時期の3歳重賞の特徴といえば、1勝クラスを勝ち上がった馬、または1勝クラスで健闘している素質馬が勝って、クラシック戦線に名乗りを上げる馬が多い。きさらぎ賞は関西の馬にとって、クラシック路線の主役になる馬を生み出したレースでもある。

今回は、1990年以降きさらぎ賞を制した馬で、牡馬クラシックレースを制した馬を5頭を挙げたい。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。

ハクタイセイ(1990年)

ゴールドシップやジャスタウェイ、最近ではソダシやステラヴェローチェなど多くの名馬を育成した須貝尚介調教師。騎手時代には重賞レースを4勝挙げていたが、騎手として初めての重賞レースを制したのが1990年のハクタイセイである。

昨今の2歳馬で皐月賞や日本ダービーを目指す馬であれば、短くとも芝1600m戦の新馬戦でデビューする馬が理想的といえる。ところが、2歳の7月小倉にて、ハクタイセイは芝1000m戦でデビューを迎えた。ここでは2着と健闘したハクタイセイだったが、初白星を挙げるのには時間が掛かり、秋10月の京都競馬のダート1400m戦で勝つまで5戦を要していた。

しかし一度勝ち味を知ったハクタイセイは、そこから一変する。続くダート1200mで行われた400万下(現在の1勝クラス)を制し、初めての芝2000m戦であったオープンのシクラメンステークスも快勝。3歳冬には関西の出世レースとして知られる若駒ステークスを制して4連勝となり、一躍、牡馬クラシック路線の有力候補の1頭として名乗りを上げたのだった。

そこで出走したのが、きさらぎ賞であった。

ここには阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ 当時は関西の2歳馬王座決定戦として位置づけられた)を制したコガネタイフウや、阪神3歳ステークス2着のダイタクヘリオスなど強豪が揃っていたが、その中で単勝1番人気に支持されたのはハクタイセイであった。

曇り空であったが、馬場コンディションは不良馬場で開催されたきさらぎ賞。ハクタイセイはレース前に落鉄というアクシデントに見舞われる。蹄鉄を履きなおすと素直にゲートイン。ゲートが開くと逃げ馬を先に行かせ、ダイタクヘリオスは3番手、ハクタイセイは5番手に付けた。有力馬の一角・コガネタイフウは、中団のインコースでレースを進めた。

阪神競馬場の芝2000m戦で行われた一戦。3コーナー付近でダイタクヘリオスが先団に取り付けると、ハクタイセイ、コガネタイフウが追走する。4コーナーに差し掛かり、須貝騎手がステッキを入れると加速したハクタイセイが、ダイタクヘリオスに馬体を併せる。コガネタイフウは前を行くダイタクヘリオスとハクタイセイをマークする様に3番手で最後の直線に入った。

直線で馬場の真ん中を突いてハクタイセイが先頭に立つ。大外の馬場の良い所からコガネタイフウが迫ってくる。不良馬場の中でハクタイセイが外のコガネタイフウに馬体を併せると、再び加速したハクタイセイ。最後はハクタイセイが、持ち前の根性でコガネタイフウを凌ぎ切り、須貝騎手と共に初重賞制覇を成し遂げた。須貝騎手が馬上でガッツポーズを決めた際、ハクタイセイが驚いて馬場の外側へ寄れたのはご愛嬌か。

ハクタイセイの父は1970年代に競馬ブームを牽引したハイセイコー。加えて芦毛の白さもあってか、ハクタイセイは「白いハイセイコー」とも呼ばれた。ハクタイセイのきさらぎ賞勝利から数週間後、同じハイセイコー産駒の芦毛の牝馬ケリーバックが鮮烈なデビュー勝ちを収め、続くチューリップ賞では2着に入り、牡馬はハクタイセイ、牝馬はケリーバックと「白いハイセイコー」の子供達がクラシック戦線を盛り上げたのだった。

須貝騎手とハクタイセイのコンビはきさらぎ賞までとなり、続く皐月賞では南井克己騎手とのコンビが結成される。そしてハクタイセイは、未勝利戦から6連勝で一気に皐月賞馬となるのであった。管理する布施正調教師は日本ダービーをバンブーアトラス(1982年)で、菊花賞をバンブービギン(1989年)で制したが、この皐月賞の勝利で史上7人目(当時)の三冠トレーナーとなった。また、小倉競馬場でデビューした馬のクラシック競走制覇は史上初の記録となった。

その後、ハクタイセイは武豊騎手とのコンビで日本ダービーに出走。父ハイセイコーが果たせなかった日本ダービー制覇に挑んだが、アイネスフウジンの5着に敗北。さらに当時のサラブレッドにとっては致命的な屈腱炎を患った。復帰の目途が立ち1年後の安田記念に出走する予定だったが、今度は繋靱帯炎を発症し、レース直前で出走取消となり引退となったのであった。

スペシャルウィーク(1998年)

日本ダービーを過去5回制し、歴代の騎手の中でも最多勝を誇る武豊騎手。しかし、上述のハクタイセイに加えて、ナリタタイシン(1993年)、ダンスインザダーク(1996年)で挑んだものの、惜しくもダービージョッキーになれなかった時期があった。そんな武豊騎手を、10度目の挑戦で栄光の日本ダービージョッキーに導いたのが、1998年のきさらぎ賞を勝ったスペシャルウィークであった。

2歳(1997年)の阪神競馬場で行われた新馬戦でデビューしたスペシャルウィーク。直前の追い切りの良さから単勝オッズは1.4倍の1番人気に支持された。レースは大外14番枠からスタート。道中は4~5番手を追走し、上がり3ハロンのタイムが34.8秒とメンバー中最速のタイムをマークして快勝した。

稍重馬場で行われた本レース。走破タイムは1分36秒9(芝1600m)だったが、次のレースから馬場状態が不良馬場になるほどの雨が降る中での1分36秒9は、好タイムと言って良いだろう。

スペシャルウィークの3歳初戦は500万下(現在の1勝クラス)特別の白梅賞であった。デビュー戦で強いレースを見せたこともあって単勝オッズは1.3倍に支持されたが、武豊騎手の弟である武幸四郎騎手が騎乗する地方馬アサヒクリークにハナ(0.0秒)差敗れ、賞金加算ができなかった。

続いて1月下旬の500万下特別に出走を予定していたが、今度は抽選で落選してしまったスペシャルウィーク。そこで、翌週に行われるきさらぎ賞へ駒を進めた。

ここには阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)で女王に輝いたアインブライドをはじめとした素質馬・有力馬が出走してきたが、単勝オッズはスペシャルウィークが1.7倍と、圧倒的な支持を得た。

良馬場で行われたものの、時計が掛かる中でスタートが切られた。中団の馬群でレースを進めたスペシャルウィーク。前半1000mの通過タイムが62.8秒のスローペースの中、京都競馬場名物の坂の下りでじっと待機していた。最後の直線に入りスペースが空くと、武豊騎手がゴーサインを出す。瞬く間に加速したスペシャルウィークが直線で差を広げると、2着のボールドエンペラーに3馬身1/2(0.6秒)差を付けてゴールイン。上がり3ハロンのタイム35.7秒はメンバー中最速のタイムであり、唯一の35秒台であった。

きさらぎ賞で賞金を加算したスペシャルウィークは弥生賞に出走。そこで東京スポーツ杯3歳ステークス(現在の東京スポーツ杯2歳ステークス)を制した良血馬キングヘイローやデビューから2戦2勝のセイウンスカイらを撃破し、いよいよクラシック戦線の主役に躍り出た。

単勝オッズが1.8倍の圧倒的な支持を得て出走した皐月賞はセイウンスカイの3着に終わったが、日本ダービーでは2着のボールドエンペラーに5馬身(0.9秒)差を付けての圧勝で、武豊騎手に悲願のダービー制覇をもたらした。ゴール後、武豊騎手は気持ちを抑えきれないかのように、何度もガッツポーズをしたのであった。

3歳秋は京都新聞杯のみの勝ち鞍であったが、菊花賞2着、ジャパンカップ3着と善戦したスペシャルウィーク。4歳(1999年)になると実力が本格的に開花した。天皇賞・春と天皇賞・秋の春秋連覇、前年3着に終わったジャパンカップでは凱旋門賞を制したモンジューたちを相手に強い競馬を見せた。

ナリタトップロード(1999年)

2022年1月、ウマ娘の新キャラクターとして発表され話題となったのが、1999年の菊花賞を制したナリタトップロードである。ナリタトップロードは現役時代、2002年の有馬記念ファン投票でシンボリクリスエスやファインモーションらを抑えて1位に輝くなど人気のある馬だった。そんなナリタトップロードもきさらぎ賞を制し、クラシック路線に名乗りを上げた馬である。

2歳(1998年)の冬の新馬戦でデビューしたナリタトップロード。初戦は2着に敗れたが、2戦目に勝ち上がる。そして3歳(1999年)の正月の福寿草特別(500万下)3着の後、きさらぎ賞に出走する事になった。

迎えたきさらぎ賞当日。1番人気に支持された武豊騎手騎乗の外国産馬エイシンキャメロンは、デイリー杯3歳ステークス(現在のデイリー杯2歳ステークス)を制し、朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)でも僅差の2着に入った実力派。メンバー唯一の57Kgのハンデだが、単勝オッズは1.3倍と圧倒的な人気を得ていた。2番人気の4.6倍に支持されたのが、ナリタトップロード。単勝オッズが10倍以下だったのはエイシンキャメロンとナリタトップロードの2頭だけであった。

ゲートが開くと、エイシンキャメロンがスピードの違いを見せて飛び出すが、やや強引に先頭を主張する馬に先頭を譲り3,4番手に落ち着く。一方のナリタトップロードは、福寿草特別では追い込む競馬を披露していたが、今回はエイシンキャメロンの直後に付けるという先行策をとっていた。そして3コーナーの坂の下りに差し掛かる。気分よく折り合ってレースを進めるエイシンキャメロンを左前方に見ながら、ナリタトップロードは馬場の内側でじっと待機して、追い出しのタイミングを待っていた。

4コーナーを回って最後の直線に入る。馬場の良い所を通ってエイシンキャメロンが先頭に躍り出る──その時であった。前を行く馬が内に入った事で、エイシンキャメロンの内側に進路が開いた。すかさずナリタトップロードは内から進出を開始。内と外と開いての最後の攻防が繰り広げられる。エイシンキャメロンが馬場の外側を通っている内から、ナリタトップロード先頭に立った。最後は馬体を併せての追い比べとなったが、ナリタトップロードがクビ一つ抜け出して先頭でゴール。騎乗した渡辺薫彦騎手にとって、これが重賞初制覇となった。

きさらぎ賞の後は弥生賞に出走したナリタトップロード。人気こそアドマイヤベガに譲ったが、きさらぎ賞の勝利がフロックでないことを、勝利という結果で証明した。前年のスペシャルウィークと同じ「きさらぎ賞、弥生賞連覇」というローテーションで一躍クラシック主役になったナリタトップロードは、これまで3着以下に敗れたことがない安定感もあって、皐月賞では2番人気、日本ダービーでは1番人気に支持された。しかし皐月賞は3着、日本ダービーは2着に終わってしまう。

ナリタトップロードの秋初戦・京都新聞杯も2着に終わったが、菊花賞では早めに抜け出す競馬を見せ、ラスカルスズカやテイエムオペラオーの追撃を交わして遂に勝利を掴み取る。渡辺騎手の初のG1レース制覇がクラシック競走制覇というビッグなプレゼントだった。

4歳(2000年)以降のナリタトップロードは、皐月賞馬で同い年のライバルであるテイエムオペラオーが本格化した事もあって、G1レース制覇には手が届かなかった。しかし、テイエムオペラオーやメイショウドトウといった同期と共に、古馬G1路線の主役を担った。

ネオユニヴァース(2003年)

2022年2月現在において日本ダービー最多勝は武豊騎手の5勝である事は上述したが、武豊騎手に続くのが福永祐一騎手の3勝である。2018年のワグネリアン以降、2020年にはコントレイルで、昨年はシャフリヤールで連覇するなど、ここ10年では3勝2着1回と相性が良い。

競馬に『たられば』は禁物だが、「もし、福永騎手が2003年にネオユニヴァースに騎乗する」という選択肢を取っていれば、大きく歴史が変わっていたかもしれない。

2歳(2002年)の11月に行われた芝1400mの新馬戦でデビューしたネオユニヴァース。2番手追走から抜け出し、2着の馬に1馬身1/2(0.2秒)差を付けて先頭でゴールインした。着差は僅かであったが、騎乗した福永騎手は「今までにこんな牡馬に乗ったことがない」と瀬戸口勉調教師に伝えたとされるほどの手応えだった。続く中京2歳ステークスは池添謙一騎手とのコンビで3着に終わったが、3歳(2003年)の1月に行われた白梅賞では再び福永騎手が騎乗し2勝目を挙げた。

勝ち星を積み、いよいよ軌道に乗ったネオユニヴァースは続けてきさらぎ賞に出走。人気はシンザン記念2着馬のマッキーマックスが単勝オッズ2.2倍の1番人気、続いてそのシンザン記念を制したサイレントディールが2.8倍と、2頭がやや抜けた人気となり、ネオユニヴァースは離れた3番人気の8.0倍であった。

馬場状態が重馬場の中で、きさらぎ賞のゲートが開いた。長い京都競馬場のバックストレッチを活かして先行争いを見ながら、福永騎手騎乗のネオユニヴァースは5,6番手を追走。ネオユニヴァースを、ルメール騎手騎乗のマッキーマックスがマークする。少し離れた馬群の後方から武豊騎手騎乗のサイレントディールが続いた。出走した14頭は一団となって、京都競馬場名物の3コーナーの坂を駆け上がる。

3コーナーの坂の下りで、ネオユニヴァースが加速。マッキーマックスは7,8番手を追走し、サイレントディールは10番手付近にいた。

併せた馬が外に回され、馬群の大外に回ったネオユニヴァース。福永騎手はインコースへ誘導させようと手綱を寄せる。交差するかのようにマッキーマックスは外へ。サイレントディールの武豊騎手はインコースを突こうと馬を寄せる。

残り200mの標識を過ぎるとネオユニヴァースが先頭に立った。大外からマッキーマックスがやってきて、インコースからはサイレントディールが脚を伸ばしていたものの、真ん中を突いて伸びたネオユニヴァースがそのまま押し切って先頭でゴールイン。2着にはサイレントディール、3着にはマッキーマックスが入った。サイレントディールに付けた着差は1/2馬身(0.1秒)差であったが、中団・後方に待機した馬が優位な中で先行した馬で残ったのはネオユニヴァースだけであった。

ネオユニヴァースがきさらぎ賞を制した事で、福永騎手は1つの選択をすることになった。福永騎手が騎乗し、同じ瀬戸口厩舎の馬で、朝日杯フューチュリティステークスを制したエイシンチャンプが皐月賞に出走する事が決まっていたのである。ネオユニヴァースも皐月賞の出走を考えていたため、福永騎手がエイシンチャンプとネオユニヴァースのどちらに騎乗するかが注目を浴びた。福永騎手は瀬戸口調教師相談の上、エイシンチャンプに騎乗する選択をした。

皐月賞のステップレースとして、スプリングステークスに進んだネオユニヴァース。新コンビとして、短期免許で来日中のミルコ・デムーロ騎手が騎乗した。大外15番枠からのスタートとなったスプリングステークスを制し、皐月賞では福永騎手騎乗のエイシンチャンプとの対決になったが、サクラプレジデントとの叩きあいの末やなネオユニヴァースが皐月賞を制した(エイシンチャンプは3着)。さらにネオユニヴァースは引き続きデムーロ騎手とのコンビで日本ダービーを制し、外国人騎手初となる日本ダービー制覇となった(エイシンチャンプは10着)。

一般的にダービー好走馬はダービー後に休養に入ることが多いが、ネオユニヴァースは宝塚記念にも出走する。同年のクラシック競走優勝馬が宝塚記念に出走するのは史上初の事で注目を浴びたが、そこではヒシミラクルの5着に終わった。デムーロ騎手の短期免許が春で満了を迎えたので、秋初戦の神戸新聞杯は再び福永騎手・ネオユニヴァースのコンビが結成されるが、ゼンノロブロイの3着に敗れた。

その後、特例措置でデムーロ騎手とのコンビが復活し、牡馬三冠を賭けて出走した菊花賞は3着。ジャパンカップ4着後、休養に入ると、4歳(2004年)には産経大阪杯を制した。天皇賞・春に出走したものの10着に敗れた後に骨折と屈腱炎を発症し、引退となった。二冠馬とデビュー戦からコンビを組みながらも、クラシックでは別々の道を歩んだ福永騎手。だが、福永騎手は当時の判断を後悔していないという。そうした判断があったからこそ──その積み重ねの上に、今の福永騎手があるのだろう。

サトノダイヤモンド(2016年)

日本で有名な競走馬のセリ市といえば、7月に行われるセレクトセールであろう。その中でも1億円や2億円で落札された馬はマスコミからも注目される。2016年のきさらぎ賞を制したサトノダイヤモンドは2013年のセレクトセール当歳馬(0歳馬)部門で2億4150万円にて落札された。

父はディープインパクトであり、母のマルペンサはアルゼンチンのG1レースを3勝。しかも芝とダートのG1レースを勝った名牝である。

2歳(2015年)の11月にデビュー戦を迎えたサトノダイヤモンド。同じレースにはセレクトセールにて2億5200万円で落札したロイカバードもいたため、取引価格『5億円対決』として注目を浴びた。そこを快勝すると続く500万下も制し、2戦2勝で2歳のシーズンを終える。しかも、2戦とも騎乗したルメール騎手はステッキを入れずに快勝したのである。

3歳(2016年)の始動戦に選んだのはきさらぎ賞。ここでも、ロイカバードとの『5億円対決』が注目を浴びたが、単勝オッズはサトノダイヤモンドが1.2倍の1番人気だったのに対し2番人気のロイカバードは5.5倍と、サトノダイヤモンドが断然の人気を集めていた。サトノダイヤモンドのデビュー戦は重馬場で行われ、2戦目は稍重馬場で行われたが、きさらぎ賞は晴れの良馬場で行われる事となり、サトノダイヤモンドの真価が問われる一戦でもあった。

ゲートが開いた。サトノダイヤモンド・ロイカバードは共に好スタートを切る。先行したい馬を行かせると、サトノダイヤモンド・ロイカバードは中団に待機する。9頭立てであったが、しばらくすると1頭1頭がバラバラになり、ルメール騎手騎乗のサトノダイヤモンドは単独で6番手を追走。武豊騎手騎乗のロイカバードはサトノダイヤモンドをマークするかのように7番手でバックストレッチに差し掛かった。

逃げるオンザロックスの前半800m通過タイムが47.5秒と、平均的なペースでレースが流れる。坂の下りで1頭交わし5番手に躍り出たサトノダイヤモンドと、それをマークするかのように進むロイカバード。4コーナーを回り、最後の直線に入ると、前を行くオンザロックスらの騎手の手綱が動いているのに対し、ルメール騎手の手綱は動かなかった。

──しかし、サトノダイヤモンドは一気に加速した。後方にいるロイカバードの鞍上・武豊騎手が手綱を動かして馬を前に進めさせようとするのと、対極的な光景であった。

残り200m地点でサトノダイヤモンドが先頭に躍り出る。しかも、ルメール騎手はステッキを入れないままである。残り100mでようやくルメール騎手がステッキを1発入れると、サトノダイヤモンドの高性能エンジンに火が灯った。終わってみれば、2着のレプランシュに3馬身1/2(0.6秒)差を付けてのゴールイン。ロイカバードは3着に敗れたのだった。走破時計の1分46秒9はきさらぎ賞のレースレコードでもあった。

皐月賞は1番人気に支持されたサトノダイヤモンド だったが、不利などもあり3着に終わった。続く日本ダービーではラスト3ハロンのタイムが33.4秒をマークしたが、マカヒキには8cm差及ばず2着に敗れる。春のクラシックは獲得できなかったサトノダイヤモンドだが、秋に神戸新聞杯を制し、続く菊花賞を制覇。ルメール騎手にとって、初めてのクラシックタイトル獲得となった。

菊花賞に続き、有馬記念ではキタサンブラックを抑え、G1レース2勝目を挙げたサトノダイヤモンド。その後は4歳(2017年)で阪神大賞典を、5歳(2018年)で京都大賞典を制したものの、G1レース制覇は無かった。2019年に種牡馬入りしたサトノダイヤモンド。期待の産駒は、2022年にデビューを迎える。

写真:Horse Memorys、かず

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