[神戸新聞杯]オルフェーヴルにゴールドシップ……神戸新聞杯を駆け抜けたステイゴールド産駒たち。

神戸新聞杯が、現在の芝2400mに距離が変更されたのは2007年。
2007年以降の神戸新聞杯を制した馬の父親を調べていくと、1つの傾向が見えてくる。勝利数ではディープインパクトが1位だが、同一でステイゴールドが入っているのが大きな特徴だ。

しかも、ディープインパクト産駒は26頭出走し、3勝2着2回3着5回で連対率は11.5%、複勝率が19.2%だったのに対し、ステイゴールド産駒は僅か10頭のみの出走で3勝2着1回と連対率、複勝率が共に40%と高いアベレージを示している。ステイゴールド産駒の神戸新聞杯出走は2018年を最後となったが、勝った3頭は記憶に残る名馬として語り継がれている。

今回は、ステイゴールド産駒で神戸新聞杯を制した3頭のレースぶりを振り返ってみたい。

ドリームジャーニー(2007年)

神戸新聞杯がそれまでの芝2000mから芝2400mの条件に替わった2007年。この年の日本ダービーは牝馬のウオッカが制し、皐月賞では単勝7番人気のヴィクトリーが優勝、2着には15番人気のサンツェッペリンが入るなど、人気馬が勝てないレースが続いていた。

その中で皐月賞、日本ダービー、そして神戸新聞杯で1番人気になったのはフサイチホウオー。2~3歳時には重賞を3連勝した実績を持っていた。皐月賞ではスタートで大きく出遅れながらも、最後の直線では猛追し、ヴィクトリーとはタイム差なしの3着に入線。皐月賞の激走の反動もあったのか、続く日本ダービーでは7着に敗れたが、重賞3連勝の勢いを買われたのか秋初戦の神戸新聞杯では1番人気になった。2番人気は皐月賞馬ヴィクトリー。日本ダービーでは9着に終わったが、それまでは4戦3勝2着1回と安定した実績を残していた。

そして3番人気になったのが、前年の朝日杯フューチュリティステークスを制したドリームジャーニーだった。
3歳春はm弥生賞の3着以外は馬券に絡めていなかった。しかし、5着に敗れた日本ダービーのレースぶりを見ると、先行したアサクサキングス、サンツェッペリンが5着以内に入る中、ラスト600m(以下上がり3ハロンと略)のタイムが勝ったウオッカに次ぐ33.1秒の脚を披露するなど、展開次第では十分勝ち負けできる能力を見せていた。そして、騎手がこのレースより武豊騎手が手綱を取ることもファンの期待度を高めた。そんな「武豊人気」も相まっての3番人気だった。

ゲートが開いた。ホクトスルタン(4番人気)、アサクサキングス(5番人気)と逃げて結果を残した馬がいる中、ゴールドキリシマが主導権を握り、ホクトスルタンが2番手、そこからは大きく離れてマイネルキーロフ、アサクサキングス、ヴィクトリーが先団を形成。フサイチホウオーは9番手でレースを運び、ドリームジャーニーは離れた最後方でレースを進める。前半の1000mの通過タイムは58.8秒。ハイペースの中でレースは進む。

4コーナー。満を持してホクトスルタンが先頭に立つ。続いてアサクサキングスが続く。ヴィクトリーは5番手、フサイチホウオーは1頭交わして8番手。一方のドリームジャーニーは12番手。しかし、ここからドリームジャーニーの逆襲が始まった。ドリームジャーニーがフサイチホウオーを楽々と交わすと、前を走るヴィクトリー、ホクトスルタンに狙いを定める。そして、最後の最後で粘るアサクサキングスを交わしてのゴールイン。上がり3ハロンのタイムは34.5秒。2番目に速かったアサクサキングス(2着)とヴィクトリー(3着)が35.4秒と0.9秒の差を付ける桁違いの瞬発力を見せた。朝日杯以来の重賞制覇となった。

続く菊花賞では2番人気に支持されたもののアサクサキングスの5着に敗退。その後はドリームジャーニーと武豊騎手とのコンビは結果が出なかった。安田記念はピンチヒッターの池添謙一騎手が跨るが10着に終わった。その後は小倉記念で武豊騎手とのタッグが復活する予定だったが、武豊騎手が騎乗停止のため再び池添騎手が騎乗。その後、池添騎手とのコンビは2011年の引退まで続き、その間に宝塚記念、有馬記念連勝という結果を残した。

オルフェーヴル(2011年)

ドリームジャーニーが神戸新聞杯を制した4年後の2011年。
全弟(父も母も同じ馬)のオルフェーヴルが神戸新聞杯に出走した。

この年の3月11日、東日本大震災が発生。中山競馬場は4月17日まで使えず、関東で行われるはずだった重賞レースも阪神競馬場で実施された。阪神競馬場で行われたスプリングステークスを制したオルフェーヴル。震災に伴う影響で中山競馬場が使えなくなり、開催地を東京競馬場に変更して行った皐月賞に出走。単勝10.8倍の4番人気の伏兵的存在だったが、1番人気のサダムパテックに3馬身(0.5秒)差を付ける圧勝を演じた。

続く日本ダービーは台風の影響により2009年以来の不良馬場での開催となった。最後の直線で外から被せてきた馬と接触し、騎乗した池添謙一騎手がバランスを崩すシーンもあった。が、2着のウインバリアシオンに1馬身4分の3(0.3秒)差、3着のベルシャザールとは1.4秒の差を付ける圧勝を演じた。

日本ダービーを制し、次はディープインパクト(2005年)以来の牡馬三冠への挑戦を手にしたオルフェーヴル。通常なら北海道で英気を養うが、オルフェーヴルは栗東トレーニングセンター近郊の牧場への放牧となった。菊花賞トライアルに出走するには8月に涼しい北海道から暑い滋賀・栗東へ馬を連れていくと、馬自身に負担が掛かるという池江泰寿調教師の判断で夏は滋賀で過ごすこととなった。

迎えた神戸新聞杯当日の9月25日。春時代は440Kg台だったオルフェーヴルは日本ダービーの時より16Kg馬体を増やした(460Kg)。これまでで最も重い馬体重である。それでも牡馬三冠制覇を目指すオルフェーヴルは単勝オッズ1.7倍と圧倒的な1番人気に支持された。2番人気は日本ダービー2着のウインバリアシオン(4.5倍)。3番人気はラジオNIKKEI賞を制した新鋭のフレールジャック(6.4倍)。4番人気は1600万下(現在の3勝クラス)のポプラステークスを制したショウナンマイティ(7.7倍)と続いた。

ゲートが開いた。大方の予想通り、スマートロビン(5番人気)が逃げる展開になった。1周目のゴール板を過ぎ、1コーナーへ回った馬群。オルフェーヴルは5番手を進んでいた。それまでは中団、または日本ダービーの様に後方で競馬を進めていたオルフェーヴルが先行馬群の中で競馬を進めてきた。オルフェーヴルの成長面が伺える前半となった。中団7番手にはウインバリアシオン、8番手にはフレールジャック、ショウナンマイティは9番手で競馬を進めていた。

逃げるスマートロビンと小牧太騎手の手綱さばきにどよめくスタンド。前半の1000mは63.5秒というタイムを刻む。あまりにも遅いペースでオルフェーヴルは我慢できているかが問題になったが、池添謙一騎手の手綱はガッシリと押さえたままで進める。先に動いたのがウインバリアシオンと安藤勝己騎手。4コーナー手前ではオルフェーヴルと馬体を併せに行った。

最後の直線。スマートロビンはしぶとく粘っている。ウインバリアシオンと共に上がって来たオルフェーヴル。しかし、池添騎手がステッキを使ってサインを出さなくてもオルフェーヴルが加速する。残り300m地点で粘るスマートロビンを交わす。池添騎手が追い出すタイミングを待つ余裕を見せるほどだ。最後は2着のウインバリアシオンに2番1/2(0.4秒)差を付けて快勝。上がり3ハロンのタイムが32.8秒。メンバー中、唯一32秒台のタイムで駆けていった。

幼い面があったオルフェーヴルはこのレースで先行できる競馬を披露。
それは最後の三冠目・菊花賞だけでなく、4歳以上の古馬の強豪と戦う上で武器となった。

その後のオルフェーヴルは菊花賞を制し、牡馬三冠馬に輝いた。その後も有馬記念や宝塚記念を制し、また、凱旋門賞で2年連続の2着と健闘した。菊花賞以後のオルフェーヴルが出走したレースの通過順位を見ると、前半が後方からの進め、4コーナーでは先団に取り付く競馬を見せた。近代競馬の王道である「先行抜け出し」の競馬を見せたのが神戸新聞杯だけだったが、産駒のエポカドーロが4番手から抜け出して皐月賞を制したように子供達は先行して結果を残している。ダート1200mで結果を残しているジャスティンや芝3600mのステイヤーズステークスを制したオセアグレイドなど距離不問のオルフェーヴル産駒。
次は父に迫るような馬が登場するのか。そもまたひとつの楽しみである。

ゴールドシップ(2012年)

オルフェーヴルが勝った翌年の2012年。
皐月賞を制したステイゴールド産駒、ゴールドシップが神戸新聞杯に出走した。

2月の共同通信杯を制したゴールドシップ。
これが須貝尚介調教師にとって初の重賞タイトルとなった。
続く皐月賞。最後方でレースを進めたゴールドシップ。前日までの雨の影響で芝の内側が荒れ、他の馬が馬場の外側に進路を取った中、唯一内側を突く。同じ位置で外側からレースを進めたワールドエースに2馬身1/2(0.4秒)差を付ける快勝を演じた。
だが、日本ダービーではワールドエースへ意識が向きすぎたのか、上がり3ハロンのタイムはメンバー最速の33.8秒を披露するも、勝ったディープブリランテから0.2秒差の5着に敗れた。日本ダービーで先着を許した馬達が海外遠征や前週のセントライト記念に出走する中、神戸新聞杯は春のクラシックで唯一活躍したのがゴールドシップのみ。ゴールドシップにとっては負けられない戦いとなった。

しかし、神戸新聞杯に向けての最終追い切りは芳しいものでなかった。栗東トレーニングセンターの坂路コースで行われた最終追い切り。同厩舎のジャスタウェイとの追い切りであった。ラスト200m地点でムチを入れ、首ほど前に出たが、ゴール前ではモタモタしていたのである。結果的にはジャスタウェイに鼻差先着したが、手ごたえはジャスタウェイの方がはるかに良かった。その違和感は、関係者インタビューでも須貝調教師からは控えめなコメントが出るほどだった。

迎えた神戸新聞杯当日。中間の調教での動きの悪さが懸念されたのか、1番人気はゴールドシップだったが、単勝オッズは2.3倍。2番人気は3歳で宝塚記念に挑み、オルフェーヴルの5着と健闘したマウントシャスタがゴールドシップと僅差の2.8倍。毎日杯を制したヒストリカルは大きく離れた3番人気(7.0倍)だった。

ゲート内で若干落ち着かない素振りを見せたゴールドシップ。ゲートが開くと、まずまずのスタートを切った。が、内田博幸騎手は手綱をしごいて先団へ取り付こうとするが、馬自身が反応せず後方12番手で1コーナーを回った。フミノポールスター、メイショウカドマツが前を主張して隊列が形成。マウントシャスタは9番手、ヒストリカルはゴールドシップを見るような感じで後方13番手においてレースが進んだ。

前半1000mの通過タイムが60.7秒とまずまずのペースでレースは流れている。3コーナーに入ると、再び内田騎手が手綱をしごくと、今度はゴールドシップが加速した。ぐんぐん加速していくゴールドシップ。4コーナーでは6番手グループに位置づけていた。しかし、3コーナーからのロングスパートで「ゴールドシップがバテるのではないか?」と見ている側が心配になるようなものでもあった。

最後の直線に入る。前を行くメイショウカドマツを射程圏内に捉えたゴールドシップは外側に進路を取る。一方マウントシャスタの川田将雅騎手はインを突く。だが、最後の坂を上るときにはゴールドシップが抜け出す。残り200mで先頭に立つ。その後はロードアクレイムとマウントシャスタの2着争いを尻目にゴールドシップがゴールイン。2着のロードアクレイムに2馬身1/2(0.4秒)差を付けての勝利。上がり3ハロンのタイムは最速の34.5秒をマークした。

勝利騎手インタビューに登場した内田騎手は「フーッ」と大きく息をついた。後にゴールドシップの特徴となったロングスパート戦法。それがバッチリとハマったレースだった。内田騎手にとって、手ごたえを掴んだレースとなったことだろう。

ゴールドシップは、単勝オッズ1.4倍という圧倒的な支持を受けた菊花賞でも、京都競馬場名物の3コーナーの坂の手前からロングスパートを仕掛け、快勝。有馬記念では後方からの競馬で快勝したが、その後のレースでは、2015年の天皇賞(春)の様にロングスパートで底力勝負に持ち込んだり、2013年の宝塚記念の様に先行してレースを進めたりと、幅広い競馬を見せた。G1レース6勝の名馬に輝いたゴールドシップ。産駒にはオークスを制したユーバーレーベンや目黒記念を制したウインキートスらがいる。


2018年にはステイゴールド産駒エタリオウが2着、さらに2020年にはドリームジャーニー産駒ヴェルトライゼンデが2着に食い込むなど、今もなおステイゴールドの存在感が大きい神戸新聞杯。今後も多くのステイゴールド系の競走馬が、好走してくれるに違いない。

写真:Horse Memorys

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