2015年1月24日。
アドミッションという1頭の競走馬が、初の障害オープン戦に臨んだ。彼は、とても飛越の綺麗な障害馬だった。
飛越の際、他馬の蹄鉄が彼の左後脚に接触してしまうアクシデントがありながらも、結果は4着。一番人気のエーシンジーラインを退けての立派な成績であった。それもカリスマミッキー、ティリアンパープルといった骨のあるメンバー相手に、オープン初挑戦の馬が残した結果である。
しかし馬房に帰って来た彼に、調教助手が感じた異変は致命傷……アドミッションはその命を賭して最後のゴールを駈け抜け、今後の活躍への期待を残し、帰らぬ馬となった。
同日、彼の「僚馬」が、彼と同じ石神騎手を背に、障害未勝利戦で3着と勝ち上がりの兆しを見せていた。後のJ-G1馬・オジュウチョウサン、障害転向3戦目の事である。
3歳時に障害転向を果たしたオジュウチョウサン。
平地での勝ち星は上げられず、しかし飛越の才を見抜いた和田調教師は、彼を障害のプロフェッショナルとして作り上げる事を決意された。
その障害調教パートナーこそ、同い年のアドミッションである。「僚馬」といっても同厩ではない。縁で結ばれた2頭と表現しても過言ではないだろう。
2014年11月15日。同じ障害未勝利戦でデビューを迎える2頭の姿があった。結果はオジュウチョウサン14着、アドミッション3着。オジュウチョウサンはデビュー戦こそ大敗したものの、2戦目からは好走続きで才能の片鱗を見せていた。そして障害4戦目で未勝利を脱出し、続くオープン戦でも勝ち星を上げる事となる。
「やはり彼には障害馬としての素質がある」
その確信めいたものを証明するかのように、東京JS、イルミネーションJS、中山大障害で重賞馬に劣らぬ走りを見せた。しかし彼の才能を鑑みると、例え重賞やOP特別とて「好走」「健闘」で満足はできなかった。
そして遂に、遅咲きの桜が開花する時が訪れた。
2016年4月16日、J-G1中山グランドジャンプ。単勝6.5倍、2番人気に推されたオジュウチョウサン。単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されたのは、重賞2勝馬サナシオンだった。
「サナシオン一強」などと表現する記事も目にした。
しかしJ-G1の華舞台に上がった以上、メンバーはその舞台に相応しく、どの馬にもチャンスがある。そして言うまでもなく、競馬に絶対はない。
私達が直線で見たのは、最終障害を飛越した後にサナシオンを差し切り、突き放すオジュウチョウサンの姿である。アドミッションのあのレースのように、一番人気の実力馬を完封し、オジュウチョウサンは栄光のゴールへ飛び込んだ。
J-G1を勝ったディフェンディングチャンピオンとして堂々たる1番人気で迎えたJ-G3、東京JS。ここでもオジュウチョウサンは直線、鋭い末脚を見せ、先頭でゴールを駈け抜けた。
競馬に「もしも」は存在し得ないが、アドミッションが無事であったら、どのような活躍を見せていたのだろうか。ふと、大舞台で凌を削る僚馬2頭の姿が目に浮かんだ。
名実共に、国内トップジャンパーとなったオジュウチョウサン。その活躍は彼自身の才あっての事、そしてアドミッションと共に過ごした障害調教の日々があっての事だろう。また、人々が彼自身に、そして空へ駈けた僚馬にかけた期待が、その走りを後押ししているのかもしれない。
アドミッションが障害馬として駆け抜けた証は、障害レースの最高峰を極めた僚馬・オジュウチョウサンと共に生き続けている。
写真:がんぐろちゃん