およそ5年に渡り障害界の第一線で活躍した元競走馬が、第二の馬生を歩んでいる。障害競走の魅力を伝えるべくその道を照らし続け、障害25戦全てを完走・重賞6勝という輝かしい成績を残した名馬だ。
その競走馬は、オースミムーン。
オースミムーンは平地競走を11戦したものの、勝利を収める事は叶わなかった。しかし障害転向という道を経て、その『月』は輝きを放つ事となる。
障害初戦こそ2着に破れたものの、2戦目で5馬身差の圧勝を遂げ、障害オープン馬の仲間入りを果たす。
その後オープン戦での2度の2着を経て、オースミムーンは2013小倉サマージャンプ (J-G3) にて初重賞参戦を表明。それまでの安定した結果、飛越、先行力……障害ファンたちはその能力に期待を込め、彼を一番人気に推した。
そしてオースミムーンは、初重賞での重賞初勝利という結果でファンの期待に応えたのだ。
この一戦を皮切りに、彼は阪神ジャンプS (J-G3) 、東京ハイジャンプ (J-G2) と重賞3連勝の快挙を達成した。
しかしその後、状況は一変。もどかしい戦績が続くようになる。一・二番人気に推されながらも、勝つ事ができない。掲示板を外す事もあった。それはまるで、月明かりが見えない曇った夜のように、彼の現役障害馬としての日々に影を落とした。
それでもオースミムーンは諦めず駈け、跳び続けた。
そのような中で迎えた2014京都ジャンプS (J-G3) 。鞍上は障害初戦、そして初勝利を共にした中村騎手。スピードを落とさない巧みな飛越に定評があり、牝馬イコールパートナーを東京ハイジャンプ (J-G2) 優勝へ導いた騎手としても知られている。
オースミムーンは、果敢にハナを切った。
難関のバンケット障害も器用にこなし、後続との差を広げながら京都の大障害コースを悠々一人旅。2周目の向こう正面では10馬身以上の大逃げとなった。
最終コーナーを前にして後続が仕掛けるも、直線を駈けるオースミムーンの脚色は衰えない。
彼は9馬身差の圧勝をもって、自らを覆う雲を晴らしてみせたのだった。
J-G1には手が届かなかったものの、2015年も東京ジャンプS (J-G3) ・阪神ジャンプS (J-G3) と重賞を2勝したオースミムーン。レース運びへの順応性にも磨きがかかり、充実期を迎えた。先行押し切りに加え、中団からの競馬でも結果を残す事ができるようになったのもその一因だろう。
今後への期待が高まる内容のレースが続く。ウィナーズサークルに立つオースミムーンの姿は、より一層、頼もしく思えた。
翌年迎えた2016年・春麗ジャンプS (OP特別) は、初めての中山大障害で2着となった天才障害馬・エイコーンパスとの対戦となった。
結果は、オースミムーンが重賞6勝馬の意地を見せる、貫禄勝ちであった。
しかしそれが、オースミムーンにとって最後の勝利となった。1ヶ月後に行われた阪神スプリングジャンプの後に報じられたのは、
「オースミムーン、右前浅屈腱炎。復帰までおよそ1年」
という暗雲立ち込めるニュースであった。
オースミムーンが闘病・リハビリを経てファンの前に帰ってきたのは、当初報じられていた通り、約1年後のことだった。舞台は東京競馬場、春麗ジャンプS。
『とにかく無事に』
勝利を求められ生を受けた競走馬とはいえ、そう願わずにはいられない復帰戦だった。彼は自らの素質に加え、陣営に恵まれたことで障害転向という活躍の場を手にしていた。
そこで襲った屈腱炎は、ライバルとの戦いのほかに自分との大いなる闘いも繰り広げなければならないことを意味していた。
結局、屈腱炎から復帰を遂げたものの、競走馬として目指していた勝利は叶わなかった。
それでもオースミムーンは、精一杯闘った。
季節は巡り、夏。
初重賞を勝利で飾った2013小倉サマージャンプの記憶が蘇る。あの日から4年……2017年の同レースで、オースミムーンは競走生活に別れを告げた。全身全霊をもって戦い抜いた彼を見たオーナーの決断は、
「これ以上ムーンにダメージを負わせる訳にはいかない」
という、愛馬を称え、敬意を表すものだった。
オースミムーンがターフを去る時、鋭い勝負勘と騎乗技術をもって障害ファンからの絶大な支持を集める高田騎手は「ジャンプホースのお手本」と、その飛越や気性を喩えた。そして、「僕が出るレースを誘導して欲しい」と餞の言葉を贈った。
オースミムーンの障害25戦中、13戦で鞍上を務め、さらには重賞勝利の喜びをもわかち合った高田騎手。信頼関係を改めて感じさせる台詞であるように感じる。
長きに渡り、障害界の道標となった月明かり。
競走馬を引退したオースミムーンには、戦いに挑む現役競走馬の行く先を照らす役目が与えられる事となった。
彼は馬事公苑で乗馬としての調教を積み、新潟競馬場で誘導馬デビュー。2019年新潟ジャンプSや関屋記念では後方誘導も成し遂げた。「オースミムーン」の文字が入ったゼッケンが眩しく私たちの目に映る。
第二の馬生でも努力を惜しまない彼の姿には、私たちも見習うべき所があるだろう。
オースミムーンが障害を跳んだ先に待っていたのは、他でもない彼自身が掴んだ第二の舞台、そして輝かしい未来であった。自身が出場するレースでの誘導を、という高田騎手の夢をも叶えたオースミムーン。誘導馬として実績を積んでいき、彼が先頭誘導を務める新潟ジャンプSで高田騎手や中村騎手が勝利を収める日が訪れるのが、今から待ち遠しい。
月明かりが導く未来は人々の──そして新潟競馬場を駈ける馬たちの夢を乗せ、今後の競馬界を照らし続けている。
写真:ゆーすけ、奈村舞花