「北海道市場」から薄水色の封筒が届きました。セレクションセールの合否結果の通知書だとは思わず、気負うことなく封を開けました。もしかすると保険料の請求書かもと思っていたぐらいですから、ややテンション低め。中に入っている書類をざっと見ていくと、立ち写真やレポジトリ(レントゲン写真)などの説明書きが入っており、セリが初めての僕でも少しずつ状況を把握しました。もしかすると、これは合否の通知書かもしれないと思い直し、真剣なまなざしで書面に目を通しました。
はっきりと合格とは書いていないのですが、ダートムーアの23の文字が記載されており、この流れはおそらく受かったのだと喜びが湧き上がってきました。サクラサク。第一希望の大学の合格通知書を受け取ったときに次ぐ喜びです。ダートムーアを繁殖牝馬セールで購入してから3年の歳月を経て、ようやくセレクションセールの入り口までたどり着いたのです!
僕にできるのは待つことだけでした。生まれてくるのを待ち、育つのを待ち、受胎するのを待ち、3年間、ひたすら待ち続けました。待たざるを得なかったのが正直なところですが、待ってしまうと長く焦がれてしまうので、あまり考えないようにして、待たないように待つという心境に辿り着きました。セレクションセールの合否通知書が届いたときの気持ちがまさにそれ。気がつくと通知を手にしていたのでした。
ところが、よく見てみると、スパツィアーレの23の文字がありません。2枚目にあるのかと思い、ページをめくってみましたがなしです。さらに1枚ずつ書類をめくっていくと、4枚目ぐらいにありました。就活におけるお祈りメールといわれるあれです。スパツィアーレの23に関して、ご期待に沿う結果にはなりませんでしたが、ますますのご活躍をお祈り申し上げますという主旨が記載されています。
牝馬であるダートムーアの23よりも、ルーラーシップを父に持ち、馬格のある牡馬であるスパツィアーレの23の方が受かりやすいのではと予測していたので、逆の結果だったのは意外でした。スパツィアーレの23が落選した落胆とダートムーアの23が合格した喜びが交互に僕の胸に去来します。
あとから聞くと、碧雲牧場も2頭中1頭、シモジュウの大狩部牧場も3頭中1頭しか合格しなかったとのことですから、ダートムーアの23だけでも出場できたことを素直に喜ぶべきです。ここ10年ほど、サラブレッドの生産市場は右肩上がりで、馬が高く売れていますので、他の生産者たちは潤い、高額な良血繁殖牝馬に投資したり、種付け料が高額でも人気の種牡馬を配合したりしてきていますので、日高の牧場の生産馬もレベルが格段に上がっているのです。
今年からセレクションセールは3日間になるとはいえ、上場されるおよそ450頭の中に選ばれるのは簡単ではありません。社台グループを除いても、毎年およそ5000頭以上が生産されている中、そのうちの450頭に選ばれなければならないのです。およそ10頭に1頭ということです。
ダートムーアの23が合格して、スパツィアーレの23が落選した事実を考えると、やはり血統と実績(ブラックタイプ)が重く見られているということでしょう。ダートムーアはダイナカール牝系であり、兄にはUAEダービー2着馬フラムドパシオンがいて、自身はJRAで4勝、エンプレス杯で3着の実績があります。産駒が期待ほど走っておらず、大物が出ていないことを除けば、血統と実績(ブラックタイプ)は完璧です。
一方のスパツィアーレの23は、血統こそステラマドリッドを祖母に持ち、父はルーラーシップという良血ですが、母はJRA1勝のみ、母の兄弟姉妹も走っておらず、産駒もまだ2頭ですが勝利を挙げられていません。
牡馬で馬格のあるスパツィアーレの23の方が通りやすいかと思っていたので意外でした。やっぱり福ちゃんのお母さん(ダートムーア)は凄いなという思いと、スパツィアーレの23は見栄えがするのでサマーセールでも大丈夫という楽観的な気持ちが湧いてきました。セレクションセールはどちらかというと芝馬が求められるのに対し、サマーセールはダート馬を探しにくるお客さんが多く、ダート馬が評価されるので、いかにもパワーがありそうなスパツィアーレの23はお客さんのニーズに合う気がします。
できればどちらも当選してくれるのが最高でしたが、もし振り分けなければならないとすればダートムーアの23がセレクションセールで、スパツィアーレの23はサマーセールにしますので、なるようになったと考えるようにしましょう。
目標が決まった以上、次のステップに進みます。今は放牧地で昼夜のんびりと過ごしている2頭をコンサイナーの元に預けなければいけません。特にダートムーアの23は7月に行われるセレクションセールに向けて、今すぐにでも馬体をつくっていく必要があります。いくつか候補のコンサイナーはいましたが、預託費や成功報酬率等が分からないため、動かないままでいましたが、合格通知が来て、お尻に火がつきました。
慈さんに確認すると、「1日5000円(月15万円)ぐらい、その他、餌代等を入れて20万円以内がコンサイニング料の相場です。成功報酬率は3%が普通です」と教えてくれました。成功報酬率とは、馬が売れた金額に応じて支払う報酬のことです。たとえば、1000万円で売れた場合、3%ですと30万円をコンサイナーに支払います。僕の知り合いの馬主さんから聞いたところによると、預託料が30~40万円で成功報酬率が10%のコンサイナーもいるそうです。預託料は17万円~40万円、成功報酬率は1%~10%の幅があるということになります。
僕がコンサイニングをお願いしたいと思っていたのはNO,9ホーストレーニングメソドの木村忠之さんです。以前にも書きましたが、「ROUNDERS」vol.1では木村さん自身にインタビューをさせていただき、vol.2では息子の拓巳くん、和士くんに密着した記事を書かせてもらったことがあります。まだ無名だった「ROUNDERS」という競馬の雑誌や僕に、分け隔てなく誠実に向き合ってくださった恩は忘れません。
家族で浦河の木村さんの牧場に遊びに行ったことがあります。当時まだ小さかったうちの息子が馬の背中に乗せて走らせてもらい、顔が引きつっていたのを思い出してしまいます。お父さんは息子さんたちには厳しかったようですが、だからこそ息子さんたちは素晴らしい馬乗りに育ったのだと思いますし、とても暖かい家族でした。あのときの恩を返すためにも、木村さんにコンサイニングをやってもらいたいと昔から薄々考えていたのです。
NO,9ホーストレーニングメソドはコンサイニングや育成として名が通っていますから、僕のような新参者の生産者の馬を預かってくれるか分かりません。ちょうど息子さんの和士くんが、ケンタッキーダービーでテーオーパスワードに騎乗して5着になった直後でもあり、よりいっそうの依頼が来ているかも知れません。そもそも預かってもらう余地がないかもしれない、と心配しました。何よりも、どれだけコンサイニング費用が掛かるか分かりませんので、僕自身に経済的な支払い能力がないかもしれません。さすがに恩のある木村さんでも、高すぎると厳しいということです(笑)。
思い悩んでいても仕方ないと思い、木村さんに思い切って電話をしてみました。僕の生産馬がセレクションセールに選ばれたので、木村さんにコンサイニングをお願いしたい旨を伝え、まず預かってもらえるかどうか、そして預かってもらえるとすればどれぐらいの費用がかかるのか?を矢継ぎ早に質問しました。
「うちは預託料プラスその他諸々で大体5000~6000円/日、成功報酬は5%」と木村さんは教えてくれました。木村さんは余計なことは喋らず、端的に答えてくれます。成功報酬は相場よりもやや高めですが、そこはプロフェッショナルとしてコンサイニングをされているのですから当然の報酬でしょうし、より高く売れるように馬をつくってくれたら良い話です。「治郎丸さんが最低このぐらいでは売りたいという希望があると思いますので、それ以下になってしまった場合、成功報酬はいただきません」ともおっしゃってもらいました。木村さんの自信から来る言葉だと思います。とはいえ、これぐらいで売りたいという具体的な価格があるわけではなく、綺麗ごとを言うわけではなく、適切な価格で買ってもらえるのが一番だと思います。
以前は高ければ高い方が良いと考えていましたが、最近は考えが少し変わってきました。馬は人間によって運命が変わります。生産者はセリで買ってくださった人に手塩にかけて育ててきた馬を渡さなければいけません。売るということはそういうことなのかもしれませんが、相手がどのような人物かを見て、売るかどうかを決めることはできないのです。安く買い叩かれるよりも、高く買ってもらった方が大切にしてもらえる可能性は高いと思っていましたが、そうでもないと最近思うのです。
どのようなお金で自分の馬を買ってもらったのか、僕たちは少しだけ気にかけた方が良いと思います。そんなこと生産者が考えても仕方ない、金に色はついていないと言われるかもしれませんが、きちんと商売をした感謝の対価としてコツコツと稼いだお金で買っていただいた方が良いと思うのです。高ければ良いのではなく、大切なお金で買ってもらいたいのです。そうすれば大切にしてもらえるのではないかと思うのです。馬は大切にしてもらえると走ります。恩返しではありませんが、全力で走ってくれると僕は信じています。馬は人間の気を背負って走る。それは木村さんに教えてもらったことでもあるのです。
馬は第6感の優れた動物です。ほ乳類のなかではトップクラスではないでしょうか。僕たち人間には見えていない何かを感じているのだと思います。僕が預かったライジングウェーブなんて、パドックで僕に気づいて立ち止まったことがあるんですよ。あれだけたくさんの人々がいるなかで、かつて自分の背にいた人間を一瞬で見分けるのです。スピリチュアルな話だと思われるかもしれないけれど、僕たちにはない特別な感覚を持っていることは、馬を扱っていてつくづく感じますよ。
馬は人間の気を背負って走るんです。人間の気持ちは馬に伝わる。ダメだと思ってレースに送り込めば、絶対にダメな結果が出ます。誰の気を最も背負うかというと、その馬がボスと認めた人じゃないでしょうか。運勢的には馬主さんの運を背負って走ると僕は思っていますけど、自分の世話を全てしてくれる、いちばんのパートナーである厩務員さんや、実際のレースで騎乗するジョッキーがボスになりやすいと思います。
だからこそ、パートナーがころころ変わるのは、馬にとっては迷惑な話なんじゃないかと思います。ビジネスとしては仕方のない部分もありますが、馬が誰を頼って良いか分からなくなってしまうのではないでしょうか。今の競走馬は少し可哀想だなと思います。昔であれば、同じ厩務員さんと一緒にレースに行って、同じ場所に帰ってきて、少しリフレッシュするために、生まれ故郷の北海道へ放牧に出て、再び馴染みの厩舎に帰ってきて、というふうに、人があまり変わらなかったんですよ。でも今は調教師も牧場も育成場もビジネス優先になっている気がするんですよね。もちろんビジネスも大事ですけど、僕は馬が好きでやっているから、馬の気持ちも大切にしてほしいなと思います。
──「ROUNDERS」vol.1 特集「調教」 馬と話す男たち 「馬を再生させ、成長させる」より引用