[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]娘を嫁に出す(シーズン1-22)

NO,9ホーストレーニングメソドの看板が見えてきました。入り口を通過すると、いくつかの厩舎が並立しています。そのうちのひとつが木村忠之さんのNO,9ホーストレーニングメソドです。青のジャンパーを着た木村さんらしい人を向こうに見つけ、車を止めて近寄っていくと、やはりそうでした。14年前と変わらない日焼けした精悍な姿です。このあと種付けに戻らなければならないため、僕たちはあまり時間がなかったのですが、せっかくここまで来たのでNO,9ホーストレーニングメソドの施設を案内してもらうことにしました。

1歳馬のコンサイニングに関しては、ウォーキングマシン2台とトレッドミルを使っているそうです。ウォーキングマシンを見たとき、14年前にここを案内してもらった記憶が蘇ってきました。「14年前はウォーキングマシンが1台しかなかったですよね?」と聞くと、「そのとおりです。ウォーキングマシンはもう1台買い足し、ウォータートレッドミルは借金して買いましたよ」と木村さんは返してくれました。

今やトレッドミルだけで馬を仕上げて、レースに出走する調教師もオーストリアにいますので、こうした機器を使わない手はありません。人が乗る必要がないので、馬の背中にも負担がかからず、広い場所も要りません。傾斜の角度も調整できるため、坂路を走らせているような効果も期待できます。

実際にトレッドミルを使っているところを見せてもらったところ、馬の息遣いや走りなどから、かなり激しい運動をしていることが伝わってきました。と同時に、馬によっては途中で走るのを辞めてしまって事故になるかもと感じましたが、慣れるのを見計らって進めるのと、人が横について見守っているので心配はないとのこと。

コンサイニングの流れとしては、まずはウォーキングマシンやトレッドミルに慣らすことからスタートし、その後、一旦放牧して馬を緩め、そこから2週間かけてセリに向けて仕上げていくそうです。ダートムーアの23がいきなり違った環境につれてこられて飼い葉を食べなくなったりしないか、ウォーキングマシンやトレッドミルに慣れることができるのか、最後の2週間の仕上げについて行けるのかなど、まるで小学校に子どもを送り出す親のような気持ちです。最後にもう一度、馬房に戻り、「頑張ってね。今度はセレクションセールで会おうね」と言い残して、僕は後ろ髪を引かれる思いでNO,9ホーストレーニングメソドをあとにしました。

コンサイニングは木村さんに任せ、僕はセレクションセールに向けて様々な事務をしなければいけません。僕はどちらかというと書類関係が苦手なタイプです。得意という方が稀なのかもしれませんが、事務処理全般が好きではないのです。文章を書くことをひとつの仕事にしているにもかかわらず、書類に目を通し、必要な箇所に記入したり、期限までに提出したりするのが面倒に感じてしまいます。かつて務めていた会社で、「事務処理ができないやつはダメだ」と言われて鍛えられたので少しはマシになりましたが、本質的な部分での書類に対する嫌悪感は変わってはいないのです。

馬関係の仕事も、意外にも事務処理とは無縁ではありません。血統登録から始まり、保険やセリへの参加申し込みまで、あの上司の言っていたように、事務処理ができないとダメなのです。そして今回は、セレクションセールに臨むにあたり、日高軽種馬農業協同組合にいくつかの書類を提出しなければいけません。碧雲牧場に書類一式を持参し、控えを参考にさせてもらいながら、必要箇所に記入していくことにしました。

ひとつ目は、飼養先の確認書です。飼養者というのは、読んで字のごとく、ダートムーアの23を飼い養っている者ということ。現在は碧雲牧場であることは間違いないのですが、変更があれば記入しなければいけません。ダートムーアの23はコンサイニングのためにNO,9ホーストレーニングメソドに移動しましたが、飼育者はどうなるのか慈さんに聞いたところ、飼育者は変更になるそうです。そこで、変更ありに〇をつけ、飼養者名にNO.9ホーストレーニングメソドと正式名称を記入しました。

次の書類は、販売代金の振込先です。これは普通に振込先の銀行口座を記入するのみ。次はインボイス制度の確認書、さらにオンラインレポジトリーの確認書です。オンラインレポジトリーは四肢のレントゲンと上部気道内視鏡動画を提出するかしないか、またレントゲンを何枚提出するかを記入して提出します。提出するのは当然として、四肢レントゲンは28枚と36枚と選択することができます。

慈さんに聞いてみると、「今は36枚が当たり前です」とのこと。まあ、僕が購買者の立場でも、レントゲンが28枚よりも36枚あった方が安心だと思います。36枚ということは、36カ所の肢の写真を見ることができるということですからね。これら4枚が提出書類です。思っていたより大したことありませんね(笑)。取り組む前は面倒くさいので後回しにしてしまいますが、手を付けてみると意外と簡単に終わったりするものです。

その他、セレクションセールの写真集やオンラインカタログに掲載するための立ち写真を提出しなければいけません。6月12日が締め切りですから、ギリギリまで待って、最高の状態の立ち写真を撮ることになるはずです。写真はデータで送ることができるそうです。さらにウォーキング動画などを撮影して送信すれば、セレクションセールのHPに掲載してもらうことが可能です。立ち写真は仕方ないとして、動画はもっと魅力的なものをつくれないものかと以前から思っていただけに、今回は自分で工夫してみようと思います。見た人がこの馬がほしいと思ってもらえるような動画にしたいですね。

僕がオーストラリアのセリで落札したとき、あまりに事前情報が少なく(僕がオーストラリアの血統に疎いからもありますが)、参考にしたのはセリのHPに掲載してある写真のみでした。そもそも写真すら掲載していない馬は論外として、立ち写真もクオリティにかなりバラつきがあり、牧場のその辺で適当に撮ったというような馬は馬体うんぬんの前にリストから外しました。馬を手入れして、綺麗に写真を撮ってあげられないような生産者の馬は走らないだろうから買いたくないという理屈です。手間がどうこうではなく、愛情が感じられないからです。少なくとも商品としてセリに出す以上、できるだけ良く見せようとする工夫もせず、おそらく適当に育てた馬たちの1頭ぐらいにしか思っていないことが、そうした細部から伝わってくるのです。見た目だけ良くすれば良いということでもありませんが、自分が生産した馬に興味が薄いことが分かってしまうのです。愛情を注がれなければ走らないということではないにしても、愛情を注がれて育てられた馬を馬主は買いたいはずです。

幸いなことに、ダートムーアの23は生まれた直後に立ち上がって、歩き出した動画や初乳を飲んだ可愛い動画、まだ小さかった当歳の頃の動画が残っています。僕が馬主として生まれた頃からの動画を見たら、その馬に愛着が湧いてしまいますし、思い入れも強まる気がします。もちろん馬体やウォーキング、血統など、競走馬として注目すべきポイントはクリアしつつ、同じレベルの馬であれば、せっかくの大金を使って購入する以上、愛着や思い入れを持って手を挙げたいと思うはずです。それが人間の常ですし、馬主になるような人たちは実はそうした心の部分を大切にしているはず。生産者のひとりである僕が、生まれる前から待ち望んでいて、生まれてからも愛情を持って見守ってきたダートムーアの23を泣く泣く手放す気持ちを感じてもらえれば幸いです。そうした気持ちを感じた馬主さんが買ってくれたなら、大切に育ててもらえると思うのです。

動画の長さは30秒から1分ぐらいとされていますので、誕生時の動画から始まり、当歳から1歳に成長するまでの動画、そして今現在の馬体を映し、横からと正面、後ろからのウォーキング動画を加えて最長1分に仕上げたいと考えました。まるで結婚式で披露する新郎新婦の小さい頃からの紹介動画みたいですね(笑)。僕にとってダートムーアの23をセリに出すということは、娘を嫁に出すようなものです。

Photo by S.Degoshi

(次回へ続く→)

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