[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]お金が目の前を通り過ぎる(シーズン1-36)

川崎競馬のパドック解説の休憩時間に、ディレクターさんが「株価が大暴落している」という話をしていました。僕は株に全く興味がなく、新NISAを使って積み立てを始めたばかりなので、暴落してもそれほど大きな損失はないだろうと気楽に考えていますが、世の中は「ブラックマンデー以来、過去最大の下げ幅」と大騒ぎになっているようです。

株価の暴落を受けて僕が思うのは、やはりサラブレッドのセリ市場への影響です。アベノミクスの影響で2013年頃から株価は上昇を続け、それと相関する形でサラブレッド市場も活況になりました。売却率も売却額も上昇を続けてきたのです。ということは、株価が下がるとサラブレッド市場も冷え込むのでは、と考えるのは当然です。

前兆はありました。今年のセレクションセールは3日間開催となり、上場馬も約500頭と増えました(これまでは300頭前後)。サマーセールも今年から6日間開催となったように、日高地方全体としてもサラブレッドの生産頭数が年々増えている現状があります。歴史を振り返ると、サラブレッドの生産頭数は1992年の12874頭をピークに、バブルがはじけてからは年々減少しましたが、2012年の6837頭を底に、アベノミクスが始まったことでV字回復を果たし、2024年は7925頭まで上昇。ピーク時と比べるとまだまだ少ないと見えるかもしれませんが、その当時とは競馬場の数も違いますし、各競馬場の馬房が一杯になり、出走したくてもできない状況が生まれている今、そろそろ生産過剰の水域に達しつつあるのではないでしょうか。

より多くの頭数を売るためには、セリの日程を増やすしかないのですが、今年のセレクションセールに限っては、初日のプレミアムセッションから2日目、3日目にかけて、まるで急な階段を駆け下りるように、活気が失われていったように感じられました。売却率を見ても、初日は94.8%、2日目は88.7%、3日目は73.0%と分かりやすいほど下落しています。

プレミアムセッションはより良い馬を選別しているということで売却率の高さは当然としても、2日目と3日目はランダムに割り振られているとされている以上、15%以上の売却率の差は異常です。現場にいた身としては、初日と2日目で早めに買い物を済ませてしまい、3日目は(特に遅い時間になればなるほど)引き上げてしまう、もしくは見ているだけの方々が多かった印象を受けました。ダートムーアの23は明確な理由があって売れなかったので仕方ないとしても、そうではなくただ単に出場の日程が遅かっただけで関心を持ってもらえず、主取りになってしまった馬もいたはずです。この日に向けて長い歳月をかけて馬を育ててきた生産者が不憫でなりません。

何が言いたいかというと、サラブレッドの需要と供給のバランスが少しずつ崩れてきているのです。これは結果論ではなく、初日のプレミアムセッションのときから「あまり値がついていない」という声が生産者から挙がっていました。たしかに1億円超えの馬が出たように、高く買われた馬はいるにはいますが、他の馬たちは思っていたよりも高く売れないというのが生産者たちの実感だったと思います。数字を見ても、前年度に比べて、平均価格は300万円、中間価格も400万円も下がっています。

これまで10年間にわたって上がり続けてきた平均価格や中間価格が、昨年をピークに、ガクンと急落したのです。上場頭数が増えたことで薄まったという考え方もありますが、初日のプレミアムセッションに出るような日高のトップクラスの馬たちでさえ、去年に比べると値がつかないと感じられたのです。生産者たちの実感と最終的な結果の数字を見合わせてみると、サラブレッド市場の終わりが始まったような気がしてならないのです。

僕がようやく生産馬を売れるときが来た途端、サラブレッド市場が冷え込み始める。素人が参入したときには既にピークが去っているのはあるあるですし、ある程度は予測していたことですが、ほんとうにドンピシャで合わせてくるのですから笑ってしまいます。僕にしては早めに参入したつもりでした。多くの人たちが馬主業に熱心になっているときに、生産に舵を切って、ひと足先に始めて先行者利益を狙ったつもりですが、それでもわずかに遅かったのです。

思い返せば、1年目のダートムーアの流産さえなければ、サラブレッド市場がピークのときに1頭目を売りに出せたのですから、タイミングが遅すぎたということではなく、単に運がなかったとも言えるのではないでしょうか。結果として、僕はピークアウトしたタイミングから生産界に入ってしまったのです。

今回のセレクションセールで一発回収し、来年以降はプラスが出始めるという当初のプランは白紙に戻す必要が出てきました。弱気になって縮小していくのではなく、長い目で見ながら、少しずつ赤字を減らしていき、あわよくばプラスマイナスに持って行くぐらいの気持ちで良いのではないかと思い直しました。ただ、あまりにも赤字を掘りすぎると、手持ちの現金がなくなってしまうので、せめて2000万円ぐらいを底にしておきたいものです。ダートムーアの23が1000万円、スパツィアーレの23が800万円ぐらいで計算していたのですが、今までは欲をかきすぎていたのかもしれません。どちらも500万円ぐらいで売って、ひとまず赤字を減らすことから始めなければいけません。

つくづく僕はお金には縁のない男なのだと思います。10年かけてコツコツと貯めてきたお金を生産事業に自信満々にフルベットしたものの、儲かるどころか、回収できるかどうかすら雲行きが怪しいのです。悪銭身につかずと言いますが、生産事業に投資したお金はまっとうな商売をして稼いだものです。補助金や助成金などには一切関わらず、公金をチューチュートレインして得た利益でもありません。お客様と向き合って、感謝の気持ちと共に直接いただいたサービスの対価を投資したのです。投資が必ずしもプラスになるとは限らないことなど百も承知ですが、それにしても僕の目の前をお金が素通りしてしまったのを感じて切なくなります。

ふと、池田香代子さんのエッセイの一節を思い出しました。彼女は中村哲先生(アフガニスタンに水を引いた医師)に寄付しようと考えて翻訳「100人の村」を出版したところ大ヒット。100万円ぐらいと思っていた印税が、その100倍になってしまったことで、「100人村基金」を設立しました。それ以前に、「ソフィーの世界」を翻訳したときのエピソードは面白いです。

「母親が、バブル期に3億円ぐらい使ってしまったんです。にっちもさっちも行かなくなって、「助けて」って言ってきたときには、銀行の利息だけで相当な額になっていました。私だって、夫婦関係が破綻して家を出たり、いろいろと大変な時期だったのですが、『ソフィーの世界』が売れたおかげで、なんとかなって、すごい額のお金が私の前を、ただただ通り過ぎていきました。

今思えば、それでよかった。大金が「通り過ぎた」ゆえに、私の生活は変わらず、性格も変わらなかった。

『ソフィーの世界』の印税が、税金と借金の返済に消えていく間、いっとき夢を見たことがありました。私ねジャガーという車が好きなんです。お金持ちになったら、ジャガーを買いたいな、と思っていました。でも、現実になるかもしれないと思った途端、本当は欲しくないってことに気がついた。偽の欲望が暴かれた。そしてなんと、「雑誌が作りたい」と思ったんです。

優秀な編集長を迎え、季刊で、写真ではなく文字が主体で…。なんて、夜も寝ずに考えているうちに、元手の資金は税金になって私の目の前を通り過ぎましたから、夢は夢のまま。でも、自分の「本当の欲望」が何かわかって、それはそれで、人生の思い出です」

気持ちばかりの寄付をしようと思ったところ、思いの外お金が稼げて、多額の寄付をすることになって世界が広がった話や、実はその前にも翻訳「ソフィーの世界」が大ヒットしたのに母の借金で帳消しになってしまい、そのおかげで生活も性格も変わらなかった、そして自分が本当は「雑誌が作りたかった」のだと分かったという話は身につまされます。

池田香代子さんと同じく、僕もおそらくお金が目の前を通り過ぎるタイプの人間なのだと思います。車も家も買ったことがありませんし、無駄遣いも大盤振る舞いもすることはなく、贅沢にも縁がありません。そもそも自分のためにお金を使った記憶さえないのです。それでもお金は僕の手元には一切残らず、左から右へと消えて行ってしまうのです。おかげで僕の生活も性格も変わらないままでいられるのかもしれませんが、一生に一度ぐらいは良い目を見せて、調子に乗らせてくれてもいいじゃあないですか。

(次回へ続く→)

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