16分の13、そして桃・柴山形一文字の勝負服 ~1998年秋華賞に寄せて

1998年9月27日。巨星、堕つ。

ナリタブライアンの訃報は、あまりにも突然だった。


そして、その年の真夏、フランス・ドーヴィル競馬場。G1・モーリスドギース賞、シーキングザパール・武豊騎手、1着。G1・ジャックルマロワ賞、タイキシャトル・岡部幸雄騎手、1着。
東西の名手に導かれた日本調教馬が、「世界」の舞台で輝いていた。
3歳時の圧倒的な強さから「世界」の二文字を想起させた平成最初の三冠馬は、わずか2世代の産駒を遺して鬼籍へと入った。

その命日となった日の、阪神競馬場メインレースは、G2・ローズステークス。
最後の直線、夏の上り馬・ビワグッドラックとの叩き合いをクビ差退けたのは、桜花賞馬・ファレノプシスだった。

ファレノプシスの血統は、父:ブライアンズタイム、母:キャットクイル。母のキャットクイルは、ナリタブライアンの母:パシフィカスの異父妹だ。

──そう。ファレノプシスは、ナリタブライアンの従妹だった。

ブライアンの4代血統表の右端に並ぶ16頭の名前の中のうち、13頭までが彼女と同じである。
16分の13兄妹。

「死んだ種牡馬の仔は走る」ではないが、何かが宿ったような勝ち馬の最後の一完歩の差し脚に、彼女の血統を知るファンはブライアンの命日の意味を重ねた。

ファレノプシス。

「胡蝶蘭」と名付けられた小柄な鹿毛の牝馬は、その可憐な花のように繊細だった。
一時は競走馬になることすら危ぶまれたほどの体質の弱さだったと伝えられるが、彼女の持つ血の力とも言うべきか、幸運にもデビューにこぎつけるまでに成長する。しかし彼女はひとたびレースで走ると、「幸運が飛んでくる」という「胡蝶蘭」の花言葉のとおり、強烈な末脚で観る者を魅了した。
3連勝で臨むも、馬体減・出遅れ・壁の三重苦に泣いたチューリップ賞。武豊騎手に導かれて「飛んできた」桜花賞。小柄な馬体に2,400mが堪えたのか、前2頭を交わせなかったオークス。
1998年春の牝馬クラシック戦線で、彼女は間違いなくその中心にいた。

そして迎えた実りの秋、10月25日。
前述のトライアル・ローズステークスを経て、ファレノプシスは三冠最終戦・秋華賞に臨んだ。

1番人気は、同じくトライアル・クイーンステークスを勝ってきた横山典弘騎手とエアデジャヴー。桜3着、樫2着、春の無念を晴らすのは三冠最終戦・秋華賞をおいて他ならなかった。ファレノプシスはほとんど差のない2番人気。3番人気にオークス馬・エリモエクセル、そしてクイーンステークス2着のナオミシャイン、春の実績馬・スギノキューティー、夏の上り馬・リワードニンファなどが顔をそろえた。

レースは揃ったスタートから、エリモピュア、ショウハンハピネス、エガオヲミセテ、といった面々が前を行く。赤い帽子のエアデジャヴーは中団前目の内ラチ沿い、ファレノプシスはその後方外目を追走して向こう正面を迎えていた。その2頭の間に入ったエリモエクセルは、前半1000m61秒9というスローペースから折り合いを欠いているように見える。一段となった馬群が3コーナーのカーブに差し掛かったところで、ファレノプシスがじりじりと外目からポジションを上げていく。

残り600mの標識を通過すると、ファレノプシスは手綱を抑えたまま先頭を窺っていた。4コーナーを回って直線を迎える瞬間、ファレノプシスはいつのまにか先頭のエガオヲミセテの真横に馬体を併せ、その後ろにいたエアデジャヴーの抜け出る隙間を消していた。

あまりにも自然で、それでいてあまりにも冷徹な、名手・武豊騎手のコース取り。

もう一度、2頭の外に進路を取り直すエアデジャヴー。その遅れた一呼吸の間に、ファレノプシスはその末脚をトップスピードに乗せて、決定的な2、3馬身の差をつけていた。スローペースを利して粘る2番手のエガオヲミセテを追い、必死に食い下がるエアデジャヴー。
しかしその2頭の真ん中を割って、グイグイと伸びてくるもう1頭がいた。ナリタルナパークだった。
桃・柴山形一文字の勝負服、北海道新冠町・早田牧場の生まれ、大久保正陽厩舎。奇しくもそのすべてがナリタブライアンと同じであった14番人気馬の激走。

ファレノプシス、1着。ナリタルナパーク、2着。

人が亡くなってから四十九日間を中陰と呼び、死者が次の世界に生まれ変わるまで現世にとどまる期間、とされることがある。
ナリタブライアンほどの優駿のこと、同じように四十九日前には現世に魂がとどまっていたとしてもおかしくはないように思う。2世代しか血を残せなかった彼の渇いた魂が、ファレノプシスの傍についていたと想像したくなる。

同じ勝負服を背負った同郷を2着に連れてきたのは彼の魂の戯れか、それとも縁のあった一族による彼への供養だったのか。
ナリタブライアンの偉大なる生の足跡に意味があるのならば、同時にその死にも意味を重ねたくなる、1998年の秋華賞。
偉大なる五冠馬を思い出すとき、また思い出される勝利が残った。16分の13兄妹と、桃・柴山形一文字によるワンツー。
追悼の、ワンツー。

秋華賞、京都・芝2,000m。
別離の涙は、きっと出会いの微笑みで拭うことができる。

当記事を寄稿するにあたり、こちらの記事を参考にさせて頂きました。この場を借りて、御礼申し上げます。

ファレノプシス〜可憐なる輝き〜

写真:がんぐろちゃん、seven、かず

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