知り合いの小さいお子さんが、転んで本の角に顔をぶつけてしまい、目と目の間のところを縫う怪我をしてしまったそうです。「女の子なのに、大変なことをしてしまった」とお母さんは嘆いていました。その娘さんとは何度も遊んだことがあり、道端に落ちている石や草など、何でも口に入れて食べようとしてしまうほど食欲が旺盛で、可愛らしい丸顔の活発な女の子です。
女の子の顔に跡が残ってしまうなんてと悲しむお母さんの気持ちはよく分かります。僕も自分の娘がそうなったら、将来のあらゆることを心配してしまうでしょう。ただ起きてしまったことは仕方なく、よく見なければ分からないほどの見た目の問題です。本の角がぶつかって失明してしまったわけではないのです。そして、僕はいつかその跡が彼女のチャームポイントになると思いました。なぐさめで言っているわけではなく、何でもかんでもポジティブに捉え直そうと無理をしているわけでもありません。なぜチャームポイントとなるかというと、僕たちは欠損を愛するからです。
そう思うようになったのは、僕も歳を重ねたからでしょうか。平均的なものに魅力を感じなくなり、平均から外れたものに美しさを感じるようになりました。世間的にいわれる美人顔やイケメン顔はあらゆる要素の平均を集めたそれであると言われますが、僕はそのような整ったものに魅力を感じなくなってしまったのです。これまで愛した人やものを思い出してみても、平均から逸脱した部分をこそ愛おしいと思えました。人とは違うこと、できることよりもできないことに心を動かされるのです。そもそも美やアートとは本来そのようなものなのではないでしょうか。平均的でないから美しいのですし、逸脱しているから愛することができるのです。
福ちゃんの左目が小さいところも、左右の顔がアンバランスなところも、今では愛おしいと思えます。最初に見たときは目を背けそうになりましたが、すぐにその姿かたちに慣れてきて、いつの間にか美しいと思えるから不思議です。人と違っていることに怖れを抱きすぎる必要はないのです。むしろ人と違っているところこそが、僕たちの魅力なのではないでしょうか。そんな世の中の真理が分かると、この世界がますます美しく輝いて見えてくるはずです。
知り合いのあらいちゅーさんが、繁殖牝馬(シトリン)がお産の事故で死んでしまったとXにて報告されていました。しかもお腹の仔も一緒に亡くなってしまったと。昨年、川崎の山﨑裕也厩舎のバーベキューパーティーに参加した際、ちゅーさんが「何人かで繁殖牝馬を持つ形でやっています。今年はスマートファルコンを配合しました」と嬉しそうにおっしゃっていたのが思い出されます。受胎してから1年間待ったのに、しかもシトリンにとっては初仔であり、このようなことになってしまってさぞかしショックだろうと思います。こればかりは生産をやって見ないと分からない、時間的、経済的、精神的なトリプルパンチです。井上尚弥のワンツースリーを食らったぐらいにグラつきます。
シトリンはちゅーさんが1歳時にセリで購入し、育成をして競馬場で走らせてから繁殖に上げた馬ですから、思い入れが深いはずです。僕もシトリンに思い入れがあるのは、実はちゅうさんが「ROUNDERS」vol.1を読んでくださり、そこでインタビューをしていたNO.9ホーストレーニングメソドの木村忠之さんにシトリンの育成を頼んだという経緯があるからです。シトリンがデビュー戦を勝利したときは嬉しかったですし、1冊の本が人と人をつないだことには感慨深いものがありました。
比べてしまうのは人間の悪い癖ですが、母子死産という最悪の状況ではなく、福ちゃんはまだ良かったのかもしれません。無事に産まれてきて、たまたま左目が見えなかっただけで、これまで普通に育っています。母ダートムーアも元気で、すぐに次の発情が来たほどです。母子死産は決して稀なことではなく、サラブレッドの生産現場ではよくあることなのです。明日は我が身であり、僕たちはそうした結構高い確率で起こる悪いできごとをギリギリのところで回避しながら、ようやく五体満足な健康な馬を取り出せて、繁殖牝馬も無事に次の種付けに向かえるのです。あのとき福ちゃんを生かす選択をして良かったと改めて思えました。
ただ今になって思えば、あのとき迷いなく福ちゃんを育てると決められたのは、僕が素人だからです。この先、片目の馬を育てることがどれだけの経済的損失や負担になるのか、見えていなかったからだと思います。見えていると判断できないことってありますよね。逆に見えていないから思い切って決断できることもあります。あのときは地方競馬で走れるということも知らず、こんなにも多くの人たちに応援してもらえるとも考えていませんでした。片目が見えなくても、繁殖牝馬にはなれるのではという一縷の望みしかなかったのです。
それでは牡馬だったらどうしたのか?と頭の片隅でずっと考えてきました。おそらく福ちゃんと同じく生かすという判断をしていたと思います。綺麗ごとを言っているわけではなく、ただ単純に僕は目以外が健康で生まれてきて、自分の足で立ち上がって生きようとしている仔馬をその場で殺すことができないだけです。そして今ならば、片目が見えなくても競走馬になれると知っていますので、自信を持って育てることができます。見えていない素人だからこそできた決断によって、福ちゃんのことを多くの競馬関係者が知ってくれたら、同じように判断してくれる人も増えるのではないでしょうか。
(次回へ続く→)