前回から間が空いてしまい申し訳ない。地方競馬振興策を書きたいとずっと思っているが、今一つパズルのピースが揃わないなか、クワイトファインプロジェクトの今後に…というより私の人生そのものに大きな影響を与えている、とてつもないビッグニュースが飛び込んできた。よって地方競馬のことはまた後日書きたい。
言わずもがな、大狩部牧場による、種牡馬パールシークレット輸入決定である。
獣医師でもあり、39歳とまだ若くこの先30年~40年は馬産に関わるであろう、大狩部牧場下村社長の、大きなチャレンジ。
いろいろな意見があるのは承知している。ファンの方はファンの立場で自由闊達に議論していい。しかし、獣医師にして生産者である下村社長が、今後のサラブレッド血統の「遺伝子プール」の行き詰まりを憂慮した上での大英断なのだ。これ以上血が濃くなることへの危機感を、生産者も有していたということである。現場では、馬主も含めた外部の人間以上に、近親交配のリスク(特に健康面の)を感じているのだろう。『近交退化』は牛だけの課題ではない。それは専門家であるが故の憂慮である。儲かるか儲からないか、ビジネスになるかならないか、という次元で論じるべき世界ではない。
しかし、一方で、馬産はれっきとしたビジネスである。ビジネスだからこそ「クワイトファインを種付けするのは抵抗があるが、現状の血統の偏りを是とは思っていない」という多くの心ある生産者が関心を寄せているのだ。何度も書いているが「国際血統書委員会」はすでに警鐘をならしているのである。
──で、私はこのテーマについて緊急動画を生配信した。会議室でインカメで撮った動画で、三脚も忘れたので画角も不安定だし、生配信だから字幕もない。動画としてのクオリティは最低レベルだし、私のチャンネルはこの1年ほとんど視聴回数3桁台と低迷していたにも関わらず、配信後1日もたたず3,000人以上の方に見ていただいた。そして下村社長にも見ていただいている。
私は動画の中で、「これで死んでも人生悔いはない。」とまで言った。もちろんまだ死ぬ気はないし、今後も全力で活動に取り組んでいく覚悟だが…考えてみてほしい。11年間いくら訴えても、零細馬主ゆえに競馬サークルに全く相手にされず、とある動画のコメントでは「厄病神」とまで言われた。それを、獣医師として医学的知見を有し、かつ生産者として若駒と日々接している方が同じ懸念を抱き、同じベクトルでより成功率の高い選択肢を選んで実行に移したのだ。私の11年の闘いに、強力なエールを送っていただいたのだ。正直に言って嬉しい。この11年間で、クワイトファインの南関移籍、クラウドファンディングの成立、先般のサマーセールでの取引成立とエポックメーキングな出来事はいくつかあったが、それらの集大成が今回のパールシークレット輸入だと思うのだ。
もちろん、ファンの方からも様々な反応があり、日本に連れて来ても大していい牝馬も集まらず結局途絶えるだけ、という手厳しいご意見もあった。とは言えアイルランドに残っても結果は同じだったろう。どれだけの繁殖牝馬が集まるかはこれからの下村社長の腕の見せ所だし、各牧場さんのご英断にも大いに期待したい。
そして、どのクラブ法人もクワイトファインに対しては極めて冷淡であったが、パールシークレット産駒を募集馬に組み込むかどうかも注目している。競馬ファンの方にも様々な価値観の人がいるのは当然のことだし、血統なんかどうであれ結果が最優先という人ももちろんいるだろう。しかし、パールシークレットへの関心がこれだけ高いのもまた日本ならではと思う。そこを汲み取るかどうかも「先見の明」が問われるし、企業としての存在価値の証明にもなると思うのだ。
一方で「クワイトファインやギンザグリングラスでよかったのでは」というご意見も散見された。個人的にはそういうご意見は嬉しいが、動画でも言ったように、ほとんどの大手オーナーや大手生産者はクワイトファインのことを(知ってはいても)現実の選択肢だと思っていないのがリアルである。これはひとえに産駒の活躍で跳ねのけていくしかない。
その意味では、明け2歳は楽しみが多い。林田オーナーにサマーセールで落札していただいた「バトルクウ2023」が、ダート適性も含め実力を示すことが出来るか、また良血馬「ガレットデロワ2023」が中央でどんな走りを見せるか。他にも、華麗なる一族「イットールビー2023」や初の牡馬産駒である「ママテイオーノユメ2023」など多士済々である。
日本生まれのパールシークレット産駒がデビューするのは早くて2028年である。それまでにクワイトファイン産駒たちが実績を挙げることで、後に続くパールシークレット産駒たちへのエールにもなる。私もまだまだ死ねないのだ。
とは言え、震災や物価高等暗いニュースが多かった2024年の師走に、私より16歳も年下の志高いホースマンを知ることが出来たのは、本当にうれしい出来事である。年明けにはご挨拶に行きたいと思う。2025年が、日本のサラブレッド生産にとってターニングポイントの年になるよう、微力ながら私も協力していきたい。