スズカマンボの特性を見抜き、コース形態と馬場状態を読む。「アンカツマジック」が光った、2005年の天皇賞(春)。

 日々の生活の中には「季節の移ろい」というものがあり、毎日少しずつ変化して行く「時間」を、私たちは楽しんでいる。年間を52週に区切り、週ごとの歳時記、社会行事、パーソナル行事などを組み込んで1年間を過ごすのが「生活サイクル」だろう。

 競馬の世界でも、春夏秋冬1年間の流れが完成している。東西の金杯で1年の幕を開け、季節を巡りながら、有馬記念を頂点とする師走の中山開催で1年が終わっていく。生活サイクルと同じように52週で区切って行けば、その時期にふさわしいレースの配置が見えてくる。     

 季節の変化を巻き込みながらレースが進行する、冬から春への競馬番組の流れが大好きだ。

メインレースを迎えても太陽が西に傾いていないのを実感できるフェブラリーステークスを起点として、弥生賞が春の始まり。週ごとに膨らむ桜の蕾と共に、開催されて行くクラッシックトライアルを経て、満開の桜の下でゲートが開く桜花賞で「春の頂点」を満喫する。向正面が葉桜になる皐月賞が行く春を惜しむ風情なら、京都の天皇賞が春の終焉。そして初夏の府中へと舞台を移す。

関西圏の競馬を観て育った私としては、京都競馬場で開催される3200mの天皇賞が、GWより楽しみにしていた春の最大イベント。首都圏在住となった今でも、好きなG1レースのひとつとして、春の天皇賞を挙げておきたい。

年ごとに「顔」が変わる、春の天皇賞の面白さ。

春の天皇賞は、年ごとに「顔」が変わる。長距離界の絶対王者やスーパースターが参戦した年と、群雄割拠して覇権を争う年では、楽しみ方も馬券の買い方も、直線の攻防を撮影する時のカメラの構え方さえも変わって来る。

1990年代は「荒れない天皇賞」の名の通り、スーパースター対決の様相で、95年ライスシャワー(4番人気)、96年サクラローレル(3番人気)以外は全て1,2番人気馬の勝利で収まっていた。

2000年以降も、昨年までの23回中14回の6割は1,2番人気馬が優勝している。ただ、90年代には無かった2桁人気馬が優勝するケースも2000年以降で4回あった。単勝1.3倍のオルフェーヴルが後方で全く動けず11着。オルフェーヴルをマークしていた上位人気馬を尻目に、ビートブラック(14番人気)がまんまと逃げきった2012年。それ以外は、誰が勝つかわからないメンバー構成のレースで、長距離馬としての資質を大舞台で開花させた馬が人気薄でも栄冠を勝ち得たケースと言えるだろう。

2000年以降で最も印象に残っているのが、2005年に13番人気で優勝したスズカマンボの天皇賞だ。多彩なメンバー構成で、まさに群雄割拠。その中で安藤勝己騎手を擁し、人気薄ながら最内から差し切って見せたスズカマンボのゴールシーンは、今でも鮮烈に覚えている。

キングカメハメハやハーツクライと同期のスズカマンボ。

スズカマンボはキングカメハメハ、ハーツクライらと同年齢の栗毛馬。デビューから決して注目された存在ではなく、お盆明けの8月17日に札幌で新馬戦に登場。武豊騎乗も4番人気で0.6秒差の4着。2戦目の未勝利で勝ち上がり、4戦目の萩特別(オープン)を制して、朝日杯フューチュリティステークスに進むことが出来た(結果は13着)。

年が明け、3歳になったスズカマンボは京成杯4着後、関西圏で唯一の皐月賞トライアル若葉ステークスを選択。レースはハーツクライとケージーフジキセキが人気を二分し、この2頭が2着までに与えられる皐月賞の優先出走権を取るものと思われていた。福永騎手を鞍上に離れた3番人気のスズカマンボは、直線でハーツクライと並び差し脚を伸ばし、ケージーフジキセキとの三つ巴のゴール前でハーツクライに次いで2着でゴールイン。皐月賞の出走権を1/2馬身差でもぎ取った。

本番の皐月賞は良いところ無しの17着と敗れ、ダービーへの出走は潰えたかに見えた。しかし、最後の望みをかけて出走した京都新聞杯で、ハーツクライの2着。賞金積み上げに成功し、日本ダービーの18頭枠に幸運にも滑り込む。

日本ダービーは大本命キングカメハメハの独壇場。直線半ばで差を広げていく中、ハーツクライが食らいつく。2度のトライアルワンツーのハーツクライに刺激を受けたのか、スズカマンボも一緒に脚を伸ばす。結局15番人気ながらスズカマンボは追い込んでの5着、2着のハーツクライと共に京都新聞杯組が共に入着を果たした。

 夏を休養に充て、秋は朝日チャレンジカップで古馬との初対戦。武豊騎手を確保して1番人気で臨み、重賞2勝馬ヴィータローザにハナ差で勝利。菊花賞に希望を繋げる、初重賞制覇となった。

菊花賞は秋晴れの良馬場。安藤勝己騎手を背にスズカマンボは5番人気。この春、常に一緒に走ったハーツクライが1番人気、ホッカイドウ競馬のコスモバルクが2番人気でレースを迎えた。コスモバルクがスタートから先頭に立ち、スズカマンボはハーツクライと並んで終始後方集団。直線に入って大外から猛然と追い上げ、外を回った分、勝ったデルタブルースとの差を詰められず6着。更に外を回ってきたハーツクライは7着となり、初めてハーツクライに先着した。

収得賞金ギリギリの状態を続けながら、土壇場の踏ん張りで三冠レース全てに出走したスズカマンボは、年末の鳴尾記念2着で3歳での蹄跡を終えた。

日本ダービーで見せた直線の末脚、菊花賞での大外からの追い込み。年間を通して2000mを中心に使われたスズカマンボの適性は合致していたのだろうか。安藤勝己騎手が示した平坦な淀の直線での差し脚は、長い距離でこそ活かされるような気もした。しかし、菊花賞で安藤勝己騎手と初めて組めた事が翌年の大舞台に繋がって行くとは、この時は知る由も無かった。

淀の歓喜、そして驚き。2005年の天皇賞(春)。

小雨に煙る春の淀。個性豊かな18頭が、春の終わりを告げる3200mの舞台に登場した。第131回天皇賞(春)。絶対的な本命馬が存在せず、誰が勝ってもおかしくない雰囲気だった。

1番人気は長距離戦で安定した成績を残すリンカーンの5.4倍。前走阪神大賞典3着から駒を進めてきた。2番人気にはオーストラリアから遠征してきた、メルボルンカップ2勝を含むG1戦5勝(当時)のマカイビーディーヴァ。

3番人気には京都記念3着で復活の気配を見せる菊花賞&天皇賞馬のヒシミラクル。その他、一昨年の菊花賞馬ザッツザプレンティ、エリザベス女王杯2勝のアドマイヤグルーヴなどの大物も虎視眈々。スズカマンボの盟友、ハーツクライも出走している。重賞1勝のみのスズカマンボは、さすがにこのメンバーに囲まれると肩身が狭くなり、更に前走のオープン特別で3着に敗れたこともあって13番人気まで人気を落としていた。

「アンカツ」と呼ばれていた名手安藤勝己騎手。スタート直後にレース展開を読み、即座に攻め方を決める「職人技」は凄かった。スズカマンボで天皇賞を制した2005年は、笠松から移籍後の3シーズン目。勝ち星量産の中、人気薄の馬に騎乗した時の一か八かの勝負に出るアンカツさんのファイティングスピリットに痺れた。「何故、この馬にアンカツ?」と思った馬の単勝馬券は当時良く買っていた。奇襲戦法が嵌って、ゴール板通過後に見せるアンカツさんの「してやったり顔」がターフビジョンに映ると、いつも拍手を贈っていた事を思い出す。

──スズカマンボに騎乗した天皇賞も、アンカツさんは作戦を決めていたのだろうか?

今までのスズカマンボのレーススタイルは、ゲートをゆっくり出て後方集団から追い上げていくパターンが多かった。「鞍上・安藤勝己」のスズカマンボのレースは、これが3戦目。初めて騎乗した菊花賞は最後方から直線大外の追い込みパターンだったが、2戦目の鳴尾記念では、スタート直後から中段に付け、そこから脚を伸ばしてのハナ差2着。この時に、スズカマンボの適性を見極めていたのかもしれない。

ゲートが開き、逃げ馬ビッグゴールドが外から飛び出す。内のザッツザプレンティ、シルクフェイマスと共に上がって行ったのはスズカマンボ。暫くは上位集団に付いていたが、ペースが速くなったのか、ターフビジョンに映った先頭集団から左へフェードアウトしていった。

次にスズカマンボが映し出されたのは、1周目の3コーナーの坂の上。手綱をしっかりと引いた安藤勝己騎手とスズカマンボは、先頭集団のすぐ後ろ、7~8番手の最内でじっとしている。外側にサンライズペガサス、直後に武豊騎乗のアドマイヤグルーヴが取り囲む。スズカマンボは行きたがる素振りも見せずリズムよく背中の10番ゼッケンが揺れている。坂を下り、1周目のホームストレッチに入っても、スズカマンボは最内でじっとしたまま。馬なりで進む安藤勝己騎手が、周りの様子を伺っているようにも見える。

淡々とした流れでホームストレッチを通過し、1コーナーのカーブに入ると、先頭集団がばらけ、後続がかたまり始める。人気のリンカーンは相変わらず後方待機、その前にハーツクライ、カラフルな勝負服のマカイビーディーヴァ。先導していたビッグゴールドに替わりシルクフェイマスが先頭、ヒシミラクルも外から一気に脚を伸ばす。

スタート地点を過ぎ2周目の第3コーナーに入っても、安藤勝己騎手の手綱は抑えたまま、スズカマンボも内で流れに任せている。中段より後方の各馬が動きはじめ、スズカマンボのすぐ後ろに迫ってきても、鞍上の手は動かない。

「もう少し我慢しよう」「……わかった」

そんな会話が聞こえてきそうな安藤勝己騎手とスズカマンボ。

坂を下り、4コーナーのカーブに向かう各馬。スズカマンボのすぐ前にいたアイポッパーが、外に進路を取り追い上げにかかる。安藤勝己騎手の目には後ろから追い上げてくる各馬が、外へ外へ、進路を求めて膨らんでいくのが見えたのだろうか。ハーツクライもハイアーゲームも馬体を斜めにして、大外から直線の進路確保に向かう。

 直線入口でシルクフェイマスを交わし、内からビッグゴールドが先頭に立つ。

「第4コーナーから直線入口に入る時、各馬が外に膨らみ内にスペースが空く」

外回りの第4コーナーでよく見かけるシーンが、天皇賞でも再現されていた──。

先頭のビッグゴールドの後ろは、一緒に走っていたザッツザプレンティが空いたスペースを占有。安藤勝己騎手はこの展開を想定していたかのように、スズカマンボに合図を送った。手綱を動かすと、瞬く間に空いたスペースへスズカマンボが潜り込む。鞍上はザッツザプレンティの更に内を目掛けて、手綱をしごく。ビッグゴールドとの差が一気に縮まり、スズカマンボの加速はマックスになった。失速するザッツザプレンティの外から、軌道修正してきたアイポッパーが馬体を合わせるようと向かってくる。大外からはマカイビーディーヴァ、ハーツクライの末脚。

スズカマンボは、ビッグゴールドをゴール手前で交わすと、外を回った追い込み勢の追撃を封じ込め、1馬身1/2の差をつけて天皇賞を制覇した。

13番人気のスズカマンボがゴールすると、馬券が舞い、場内にどよめきが起こった。馬連850倍、三連単1,934倍。ターフビジョンに例の「してやったり顔」が映し出された時、誰もが「アンカツマジック」に脱帽するしかなかった。

スズカマンボの特性を見抜き、コース形態と馬場状態を読み、最内でワンチャンスを待った安藤勝己騎手の「職人技」が光った天皇賞だった。

スズカマンボを待っていた、第2のステージ。

天皇賞馬となったスズカマンボ。4歳秋の3戦は、春の激走で燃え尽きたのか、安藤勝己騎手を擁しても全て着外で、2005年のレースを終えた。

冬場を休養に充てたスズカマンボは、天皇賞(春)の二連覇を目指して、5歳初戦に産經大阪杯(当時G2)を選択した。大外からスタートしたスズカマンボは好位追走。直線で逃げるシルクフェイマスを交わしたところへ、追い込んだカンパニー、マッキーマックスに差されての3着。天皇賞(春)二連覇に向けて幸先良いスタートを切ったと思われた。

ところが、天皇賞(春)二連覇への野望は突如潰えることとなる。

レース後に発表された悲報、「左後繋靭帯不全断裂、競走能力喪失」の診断。

志半ばで、スズカマンボはターフを去った。


──引退後は、静内のアロースタッドで種牡馬としての新しいステージがスタート。

決して産駒数も多いとは言えない中で、スズカマンボは頑張った。

2年目の産駒からサンビスタ(チャンピオンズカップ、JBCレディスクラシック)を輩出し、3年目の産駒からはメイショウマンボ(オークス、秋華賞、エリザベス女王杯)と、次々にG1馬を送り出した。更に6年目産駒のメイショウダッサイが障害G1、中山大障害、中山グランドジャンプを制覇。産駒がJRAの芝、ダート、障害の3カテゴリーG1を制覇するという快挙も成し遂げた。

2015年2月20日、心不全により14歳で亡くなるまで、少ないチャンスをサクセスに替えて、その名を後世に残したスズカマンボ。

真の「してやったり顔」ができるのは、アンカツさんではなく、スズカマンボだったのかも知れない。

Photo by I.Natsume

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