![[連載・クワイトファインプロジェクト]第51回 クワイトファイン号の急逝と、今後のこと](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2021/10/line_207599964038877.jpg)
読者の皆様も報道等でご存知の通り、種牡馬クワイトファイン号が9月19日に死亡した旨をご報告いたしました。
このことについては、本来このコラムで思い出を語るべきなのかもしれません。私も2013年から足掛け12年、私の人生の5分の1を伴にした馬ですからいろいろ思うことはありますが、ただ現在の偽らざる心境としては、彼が死して残したもの、というか「露わにしたもの」の大きさに当事者の私ですらいささかの驚きを隠せない状況にあります。
まずは簡潔に、プロジェクトの今後の方向性をお伝えします。
すでにいろいろな媒体で申し上げておりますが、幸いにして、プロジェクトの管理馬(プロジェクト自体に法人格があるわけではないので、実質的に私の管理馬となります)としてバトルクウの2025は牡馬です。今のところ極めて順調に育っており、プロジェクトとしては兎にも角にも、この仔の競走馬デビューのために最大限の環境を提供したいと思っております。もはや、やるべきことはその1点に集中しているといっても過言ではない。
そして姉2頭も現役で頑張っております。ベラジオノユメ号は先日の笠松競馬で初めての入着を達成しました。苦手な800m戦、隣枠の馬がゲート内で暴れた影響でのスタート出遅れと悪条件が重なりましたが、なんとか1頭を交わしてくれました。オーナー様によると次走は距離を延ばすとのことです。もともと移籍前に管理していた門別の田中淳司調教師も「短距離の馬ではない」と明言されていましたし、距離が伸びて、馬体重も増えた秋からの巻き返しを楽しみに応援したいと思います。
クワイエットエニフは名古屋競馬への移籍が決まりました。当初の移籍予定と変わってしまい、一部の関係者の方々には多大なるご迷惑をおかけしたこと深くお詫び申し上げます。とは言え、名古屋で3歳のうちに勝利すればまだ選択肢は広がります。クワイトファイン自身も出世の足掛かりをつかんだのは名古屋競馬ですので、自慢の先行力を活かして結果を出して欲しいです。

そして、この2頭の姉がどんな成長曲線を描くのかが、「バトルクウの2025」にとって重要な検討材料になります。「クワイトファイン産駒の適性」はサンプル数が少なすぎてなんとも分析のしようがありませんが、「クワイトファイン✕バトルクウ」の適性は姉2頭によってある程度掴むことはできます。長女は短距離馬、次女は中距離馬とタイプが違いますが、裏を返せば弟がどちらのタイプになってもおかしくないわけですから、先入観をもたずに来年の夏の状況でその先の選択肢を決めていきたいと思います。
ただ、共通して言えるのは、この血統は健康面にさほど不安がない(長姉クワイエットエニフの脚部不安は原因がはっきりしていた)こと、成長はものすごく早いわけではないが3歳になってからも馬体は確実に成長すること、よって3歳年明けデビューあたりを目標にじっくり体を造りながらしっかりと乗り込んでいける環境が大事なのかと思います。
そのためには、もうしばらく皆様からのご支援を続けていただければ幸いです。
1頭のサラブレッドをファンの皆様とともに最高の環境で育てていき、ゆくゆくは種牡馬として次代にその血を残していく、まさに競馬ゲームをリアルでやるような感覚です。そして、それは充分にビジネスになります。そうでなければ、いくらプロジェクト公式とは言え世間的に全く無名ないち個人である私のポストが、インプレッション160万超、いいね15,500超などという訳のわからない数値をたたき出すはずがない。そして、2社がネットニュースにしていただき、東京スポーツさんは田原成貴元騎手(トウカイテイオーの1993年・有馬記念の勝利騎手)のコメントまで添えていただきました。正直なところ、クワイトファインが生きているうちにこのくらい注目していただきたかったのは偽らざる本音ですが、それは私自身の力不足もあったのでそこは真摯に受けとめ、早ければ2年後の「バトルクウの2025」の競走馬デビュー戦では今回以上の注目を集められるよう、これからのプロジェクトを進めていきたいと思います。
それにしても、大狩部牧場の下村社長も動画で語っておられましたが、サラブレッドの遺伝的な要素を語るうえで、「健康であること」は本当に大きなファクターです。クワイエットエニフは初仔による成長の遅さ等からデビューが遅れましたが、ベラジオノユメやイットールビーが順調に2歳でデビュー出来たことは、それだけ順調に調教を重ねられた成果であり、いかにサラブレッドによって「健康面」が大事かということです。そしてそれは内容によっては遺伝することもあります。
昔、サッカーボーイという歴史的名馬がいました。当時の芝2,000mの日本レコードを誇る快速馬でしたが、種牡馬となってからはその類い希な能力だけでなく、気性の激しさと蹄の弱さを産駒に受け継ぐケースも多かった。種牡馬としても2頭の菊花賞馬を輩出して充分成功したと言えますが、気性難と蹄の弱さがなければさらに活躍馬を出して、貴重なハンプトン系のサイヤーラインを今も繋いでくれていたかも知れません。前者の例がブルーイレブン、後者の例がアイポッパーでしょうか。アイポッパーはサッカーボーイ晩年の活躍馬で種牡馬入りの期待もあっただけに、蹄葉炎の悪化で現役中に他界したことが本当に惜しまれます。
よって、まずは「バトルクウの2025」も、とにかく健康に、かつ成長曲線をみながら着実に育成していきたいと思います。いや、皆様とともに育成していきましょう!