鮮やかで密やかな、もう一つの「ワープ」~2013年ラジオNIKKEI賞・ケイアイチョウサン~

突然ですが、皆さんは次の2つのキーワードから、どのレースを思い浮かべるだろうか。

1つ目は「ステイゴールド産駒」

2つ目は「ワープ」

この記事をお読みの方であれば、その場面が脳裏にス~っと浮かんでくることだろう。2012年、皐月賞。中山競馬場の4コーナーで無人の野と化した馬場の内側を実に分かりやすく、ズドドドドドと重戦車の如く駆け上がっていく、ゴールドシップの姿が。(ウマフリライター精鋭たちが筆を躍らせた星海社新書『ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児』絶賛発売中!)

しかし私は、JRAの重賞において、(いちライトファンの勝手な解釈ではあるが)ゴールドシップとは真逆の密やかな「ワープ」を演じたステイゴールド産駒がいたことも、ぜひ知っていただきたいのである。


種牡馬ステイゴールドとの仔で中央、海外で最も多くの勝ち星を挙げた繁殖牝馬はどの馬だろうか。

ゴールドシップらの母ポイントフラッグではない。ドリームジャーニー、オルフェーヴルらの母オリエンタルアートでもない。正解はシャドウシルエット。オジュウチョウサンの母親である。

勿論、障害の全てを塗り替えたオジュウチョウサンをして、唯1頭ではオリエンタルアートを上回ることは叶わない。彼自身の20勝に加え、弟で現在は大学の馬術部で活躍しているコウキチョウサンが7勝。そして今回取り上げる、シャドウシルエットの長男ケイアイチョウサンの3勝が積み重なって、初めてオリエンタルアートを上回る勝ち星、合計30勝となるのだ。

母シャドウシルエットの3頭には共通点が多い。出資馬パーフェクトジョイ(ステイゴールド産駒)の半妹に当たる同馬の母としての可能性にかけて購入し、ステイゴールドを交配させ続けた長山尚義氏(名義は「チョウサン」)の所有馬であること、3頭ともに平地、障害双方に蹄跡を記したこと。

そしてもう一つ、夏の福島競馬場で勝ち星(それも記憶に強く残る)を挙げたことも挙げられよう。

記憶に新しい順から触れると、まずは2020年7月18日。3頭の中では末弟に当たるコウキチョウサンが出走した障害オープン戦。

後続を大きく引き離して最後の直線に入ったコウキチョウサンだったが、最後のハードル障害着地の際に大きくバランスを崩した。おとがいも両前膝も芝に突っ込まんばかりに前のめりになった彼は、しかしそれでも闘争心を失わずに体勢を立て直すと、2番手から迫る同じステイゴールド産駒マイネルヴァッサー(いまだ中央で現役)に前を譲ることなく先頭でゴール板に飛び込んだ。すわ落馬かと肝が冷え、その後の奮起に鳥肌が立ったのを覚えている。

更にはその2年前、オジュウチョウサンの数ある伝説の大きな節目となった芝2600m。オーナーの夢にレジェンド武豊騎手が馳せ参じ、福島競馬場を歓声と興奮のるつぼに変えた、あの開成山特別については言わずもがなである。

そしてそこから5年前。今からちょうど10年前の夏に、長兄ケイアイチョウサンと横山典弘騎手が魅せたパフォーマンス、いや「芸術」ともいえるレース運びも、決して忘れることができない。

第62回ラジオNIKKEI賞である。

ラジオNIKKEI賞。

中央競馬の場内実況を担当する放送局の名を冠した重賞レースは当初「中山4歳ステークス」としてその歴史を刻み始めた。

1954年、第3回優勝馬はゴールデンウエーブ。今年(2023年)ダービーを59年ぶりにタスティエーラがテン乗りで制した際に、その名が取り上げられたダービー馬である。彼以降ダービーと(現)ラジオNIKKEI賞の双方を制した馬は無く(おそらく今後もないだろう)、その翌年から1968年までは出走資格に「除く東京優駿優勝馬」という1項が書き加えられていたこともあり、現在でも、春のクラシックで苦杯を舐めた、あるいは出走が叶わなかった馬の仕切り直しの一戦という意味がこもった「残念ダービー」という別名がピンとくるファンもいらっしゃることだろう。

レース名が「日本短波賞」であった1977年には、クラシック出走権のなかったマルゼンスキーが後の菊花賞馬プレストウコウ以下を子ども扱いして完勝。

レース名が「ラジオたんぱ賞」に変わり、福島競馬場での施行となって以降も、まだ常識の範囲での逃げ切りに見えた1991年ツインターボ。ビワハヤヒデ、ナリタブライアンに続く3兄弟重賞制覇を成し遂げた1998年ビワタケヒデ、地元民放の実況に「なんということだぁ!」と言わしめた直線一気カッツミー(2002年)等の個性派が勝ち馬に名を連ねる。

2006年には社名変更に伴いレース名が「ラジオNIKKEI賞」になり、同時にJRA世代限定重賞として唯一のハンデ戦に衣替え。七夕賞と並ぶ夏の福島を彩る名物重賞としておなじみである。

2013年のラジオNIKKEI賞に集った3歳馬は16頭だった。春のGⅠに敗れてからの転戦組が7頭。そのGⅠに出走が叶わなかったトライアルや前哨戦からの転戦組が3頭。一方で秋こそは檜舞台に立たんと条件戦からここに挑んできたのが6頭。ケイアイチョウサンはこのうちの1頭だった。

前年11月の東京開催、内をスゥっと抜けきってデビュー5戦目にして初勝利を挙げたケイアイチョウサン。次走年明け中山のGⅢ京成杯であわやの3着となったがクラシック出走は一歩二歩叶わず、初勝利と同じ府中で外から切れ味スパッと差し切って2勝目を挙げたのは皐月賞が過ぎた後であった。その後府中で古馬に挑んで(稲村ヶ崎特別7着)からのラジオNIKKEI賞参戦。出走馬中3番目に多い、キャリア11戦目での出走だった。

レースはスタートこそややばらけたものの、1コーナー過ぎには早くも隊列が固まり、3コーナー入り口までは淡々と進んだ。

桜花賞追い込んで8着に食い込んだナンシーシャインが作るペースは1000m60秒5とややスロー。ダービー10着のフラムドグロワールが単独2番手、NHKマイルカップ6着のシャイニープリンスが追い、内アドマイヤドバイ、中ダイワストリーム、外ダイワブレイディと前走条件戦組3頭が続く。

そのあとにはNHKマイル2番人気5着からの転戦で1番人気に推されたガイヤースヴェルトが外、間に柴田善臣騎手とカフェリュウジン、内には西田雄一郎騎手とカシノピカチュウが中段を形成、外からインプロヴァイズが辛抱たまらんと上がっていき、連れてプリンシパルS2着のミエノワンダー、青葉賞12着ダービーフィズ、やや離れて京都新聞杯4着馬シンネンと、「残念ダービー」組が中段後方を形成。

桜花賞6着サンブルエミューズ、オークス10着ブリリアントアスクが後方でせわしない動きを見せるのを横目に、ケイアイチョウサンは最後方集団の内内を泰然と進んでいた。鞍上は今回が初コンビ、横山典弘騎手だった。

3コーナー、一気にペースが上がる。内から、外から、各馬がR(曲線半径)の大きなスパイラルカーブにに突っ込んでいく。

馬群がぎゅっと固まる。各馬の鞍上が動き始める。内から4,5頭分は後ろから突く隙間はほとんど見当たらない。差し、追込み勢が続々と、3コーナーより格段にきつい4コーナーを遠心力に任せるかのように外へ外へと広がってゆく。サンブルエミューズは一番外へ。ブリリアントアスクはその更に外へ。

しかしそんな後方勢でただ1頭。手綱をほとんど動かさず、ハミをクイッと内に向け、内ラチにへばりつくように直線に向いてきた人馬があった。

ケイアイチョウサンと横山典弘騎手だった。

見ていた私の身体に、電流が走った。

最後の直線、あれほど固まっていた馬群は横に大きく広がり、ラストスパートに入っていた。しかし外に進路を求めた各馬はその距離ロスを末脚で挽回できず、前に届かない。先に結果を言ってしまうと、最後方から外に振ったブリリアントアスクは13着。そしてサンブルエミューズはシンガリ負けを喫する。

前はアドマイヤドバイ、フラムドグロワール、シャイニープリンスの3頭に、間を割ったカシノピカチュウが迫る。逃げたナンシーシャインが力尽きて後退する。

その後ろに、音もなく、いつの間にかケイアイチョウサンが上がってきていた。

「ヌルっ」私にはこう聞こえた。

「ヌルっ」という表現が公序良俗に反するのであれば、せめて「スルっ」にしてほしい。

内ラチとナンシーシャインの間をここぞとばかりにすり抜けて、人馬一体、ケイアイチョウサンは一気に先頭に立った。カシノピカチュウを抑えきったところがゴール板だった。

「ケイアイチョウサン、お見事!」

向こう正面で一度その名を呼んだ後、場内実況がケイアイチョウサンに触れたのはゴール直前のただ一度。

それほどまでに鮮やかな、それほどまでに密やかな立ち回りで、ケイアイチョウサンはラジオNIKKEI賞を勝ち切った。前週の宝塚記念、ゴールドシップの勝利に続き、ステイゴールド産駒は2週連続重賞制覇を飾った。

1歳下の全弟オジュウチョウサンが「ケイアイチョウサンの弟」としてデビューするのは、それから3か月後のことである。


ラジオNIKKEI賞から3年9か月たった2017年3月。「オジュウチョウサンの兄」ケイアイチョウサンは、中京競馬場の置き障害を懸命に飛越していた。飛越の都度スピードが緩み、前との差が広がってしまっているように見えた。鞍上は弟の主戦、石神深一騎手。兄はこれが初めての障害レースだった。

ラジオNIKKEI賞で重賞勝ち馬となったケイアイチョウサン。3歳秋もセントライト記念、菊花賞ともに5着と健闘を見せた。勝ち星こそ上げることはできなかったが、半年超の休養わずか1回という「無事是名馬」ぶりで、忘れたころに2着、3着に入っては私のステイゴールド一族応援馬券の赤字軽減に貢献してくれた。

そして弟オジュウチョウサンがJGⅠ連覇を果たして障害王に上り詰めた翌春に、兄ケイアイチョウサンも障害レースに矛先を向けたのである。

レースを見つめる視線の先に、千切れた後方で最後の直線に向かうケイアイチョウサンの姿が見えた。刹那、私はあのラジオNIKKEI賞が脳裏に浮かんだ。

目線の先に映るケイアイチョウサンは、左右は違えども内ラチ沿いを、あの時と同じようにピッタリと回ってきたのだ。

そして最後の直線、ハードルを2度飛び越えながら、内へ外へとよろけながら、ケイアイチョウサンは必死に足を伸ばし、前との差は一気に詰まっていった。

しかし時すでに遅し。

6着。

ケイアイチョウサンはこの1戦を最後に現役を引退。乗馬となった。翌2018年秋に大井競馬場で開催された「相馬野馬追」のイベントでその姿を見せたのが、ケイアイチョウサンが「ケイアイチョウサン」として公衆の面前に姿を見せた最後と思われる。

その姿を公に見ることはできなくても、その走りはファンの記憶に息づき続ける。

ケイアイチョウサンが第62回ラジオNIKKEI賞で見せた、あの「鮮やかで密やかなワープ」を、私は一生、忘れることはないだろう。

写真:Horse Memorys、かぼす、ナミノオト

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