通算19593戦2028勝。
所属する大井競馬場で、2019年11月15日のレースを最後に、ムチを置いた騎手がいる。
第二の人生として、その騎手が選択したのは調教師の道。
坂井英光「元」騎手。
ロジータ賞や東京スプリング盃、サンタアニタトロフィーなどを制覇した大井の名手である。
私は3年間、彼を応援していた。
横断幕を作成したり、好きな馬とのコンビで出走とあらば休みを取り競馬場へ向かうなど、気がつけば随分と熱心なファンになっていたと思う。
その坂井騎手が引退すると聞いた時に、正直なところ「あとせめてもう1年……」と思った。
JBCの有力馬として上がっていたキャプテンキングというお手馬がいる状態で、かつそのキャプテンキングがJBCを断念したという状況。翌年こそ、地方競馬の中での大舞台であるJBCに出てほしかった。
しかしそんな私の想いとは裏腹に、坂井騎手引退の日は近づいてきていた。
どうして私が、彼を応援することになったのか。
そもそも私が南関競馬を知ったのは2007年のことで、その時はフリオーソとフリオーソの調教師だった川島先生を知るのみだった。
当時まだ学生だった私は、知らない競馬場に行くのが少し怖く、フリオーソの応援はしたくとも、なかなか競馬場に行けないでいた。しかし月日を重ね、徐々にではあるが南関競馬に足を運べるようになっていく。
そして、時はすぎて2016年9月。
すっかり南関競馬場に慣れた私は、競馬場に到着するとカメラを引っさげ、ひたすらパドックと馬場を往復するような過ごし方をするようになっていた。
そんな「パドック・馬場間」の競馬場ライフの中で、いつでもニコニコ楽しそうにパドックにいる一人の騎手に気がついた。そしてその騎手を、いつしか目で追うようになっていく。
それが、坂井英光騎手だった。
どんな人なのか、と聞かれるといつもニコニコしてる人だよと答えられるくらい、本当に笑顔で溢れているような人である。
競馬場に通っている者同士の間でよくある「誰(馬でも騎手でも)のファンなの?」という問に、名前を出すと必ず言われるのが「本当にその人はいい人だよね」の一言。
顔より騎乗スタイルより、勝利数よりなによりも人柄重視の私の「良い人センサー」に引っかかるくらいだから、きっと相当な「良い人」なのだろうと思う。
笑顔の坂井騎手を見て、勝手に癒される日々だった。
そんな風に坂井騎手を認識し、応援し始めてからちょうど3年ほどが経った。
南関東競馬は平日行われるため、多い時は週5日も騎乗を見ることが出来る。
そのため、騎手としての坂井英光さんを応援したのは3年なのにも関わらず、撮った写真は多い。彼の写った画像を見ていると、応援してからもっと長い年月がたっているのではという錯覚に陥るほどだ。
私にとっての「南関東競馬」といえば、いつしか坂井英光騎手が中心になっていたとといっても、過言ではない。
──その騎手が、引退を迎える。
ラストライドとなった2019年11月15日。
最後の騎乗を見に行かなければ、と仕事をソワソワしながら終わらせ、大井へと向かった。残り6鞍を、しっかりと見届けよう。
「よし、全力で応援だ!」と思い意気込んで競馬場に到着したものの、出鼻をくじかれることになる。メンバーを見て勝機ありと踏んでいた2頭のうち、1頭が除外になってしまったのだ。
第1R、ブリリアントタイム、6着。
第2R、タカラシップ、12着。
レースが終わる度にあと何鞍と自分の中でカウントダウンし始めていったが、全く実感も湧かず、とにかく騎乗姿をカメラ越しに見つめるしかなかった。
2レースのパドックで、見たことのある顔に気がついた。
息子の坂井瑠星ジョッキーが、父親である坂井英光騎手のラストライドを見守っていたのだ。
何か声をかけるわけでもなく、本当に見守るようにパドック、馬場で姿を見かけた。
土曜に京都での騎乗があるため、最期のレースまで見ることは叶わなかったようだが、心揺さぶられる横顔だった。
第5R、スマイルアウェイ、10着。
そして、8レース。ダンカーク産駒の3歳牝馬スターリットと、坂井英光騎手が登場した。
今日の騎乗の中で、勝機ありと思っていた馬の登場である。
スタートよく先頭を主張して、道中は2、3番手で控える形。4コーナーから徐々に進出し、最後はレジェンド的場文男騎手との追い比べを制し、見事1着となった。
正直、この時のレースは、覚えていない。
勝ってほしいその気持ちで見すぎたのだ。
「英光さん!頑張れ!いける!」そんなようなことを泣きながら叫んだと思う。
終わってから、VTRを何度も見返した。
帰ってきた坂井騎手にたくさんの声援がかかる。
まだもう1レースあるが、本当にたくさんのおめでとうの声がかかっていた。
そして、盟友ともいえる和田騎手と、拳をコツンとぶつける。
口取りをするために、ウィナーズサークルに来る坂井騎手。
この時もたくさんのファンからおめでとうという声がかかっていた。
私は、ふと不安を覚えた。
──騎手として最後の口取りになるかもしれない。
──色々言いたい事があるのに、泣いて言葉にならないかもしれない。
しかしそれは、杞憂だった。
口取りに出てきた坂井騎手は、笑顔だった。
御本人も泣いていたら、どんなに我慢しても泣くだろうと考えていた。しかし坂井騎手は、私が応援するキッカケになった「人柄の良さ」が溢れている笑顔で現れたのだ。
ファンひとりひとりの所を回ってくる坂井騎手に、祝福の言葉をかけることが出来た。
坂井騎手につられて、私も笑顔になっていた。
──そうだ、騎手としては引退だけど、これからは調教師として見られる。
坂井騎手自身が望んで頑張ってきた道へ、これから進んでいける。だから泣くことないんだと、思い直すことが出来たのだ。
そして、最後のレース。
第11R、アルジャントゥイユ。
パドックでも「頑張れ!」「最後だぞ!」という声が何度もかかる。本来であれば、パドックで大きな声を出すのはマナー違反となるだろう。だけど、ファンのみんなは声をかけていた。最後だから、特別である。
最後のパドックを回る坂井騎手は、かかる声援の一つ一つに会釈をしていた。
いつもカメラで撮影していた、何気なくみていた光景が、騎手としての最後の一コマとなっていく。
最後の輪乗り。
そこでも笑顔だった。
最後のレースのゲートに入り、発走を待つ。
レース後に坂井騎手も言っていたのだが、最後の騎乗となったこのレースで、いつもと違う緊張感からの出遅れ。後方からレースを進め、4コーナーから徐々に進出。8着だった。
最後のレースを終え、帰ってくる坂井騎手に、再度声援がかかる。
お疲れ様。
ありがとう。
調教師でも頑張れよ。
ウィナーズサークルに登場する坂井騎手。
歴代のバレットを勤めた方たちと、記念撮影を行ったあと、胴上げが行われた。
また集まったファンひとりひとりと話をしていく。
「最後じゃないから、また調教師として戻ってくるから!」
そう答えていたのが、印象的だった。
そして本当に、最後まで笑顔だった。
私自身、応援している騎手が引退を迎えるというのは競馬ファンになってから2度目の経験である。しかし──例えば騎手の騎乗を見るためだけに競馬場にいくようなことをするのは、坂井英光騎手だけだった。
すぐには、坂井さんが騎手を引退したことへの実感が、湧いてきていなかった。
しかし次開催の騎乗一覧が出る度に、坂井騎手がコンビを組んでいた馬の鞍上に「坂井英光」以外の名前が記載されているのを見る度に「そうだ引退したんだ……」と徐々に実感し始めた。
次は、調教師としての新たな生活が始まる。
何となくではあるけれど、きっと人も馬もたくさん集まるのだろうと思う。
騎手としてもう見られないのは残念ではあるが、坂井「調教師」の次のステージでの更なる成功を、一人のファンとして願うばかりである。
写真:s.taka、C/A