穴馬激走の歴史がある、有馬記念。
平成初期には、多くの名勝負が繰り広げられた。そのなかでも記憶・記録に残ったであろう一戦が、1991年の有馬記念ではないだろうか。大本命メジロマックイーンに対抗したのが、14番人気のダイユウサク。珍しい道のりを歩んできた伏兵が、世紀の大波乱を巻き起こす。
競馬を愛する執筆者たちが、90年代前半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負1990-1994』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。その執筆陣の一人、齋藤翔人氏が歴史的大波乱の有馬記念を振り返る。
穴馬が激走するレースだった、有馬記念。
2019年の有馬記念は、断然の1番人気に推されたアーモンドアイが直線で失速。生涯唯一となる9着に大敗したが、近年の同レースは、1番人気馬が安定して好走している。
しかし、昭和の終わりから平成初期にかけて、単勝20倍以上の馬や二桁人気の超大穴馬が、たびたび激走する時期があった。それも、2、3着に好走どころか、時に本命馬を差し置いて先頭でゴールを駆け抜け、悲鳴にも似た歓声が中山競馬場にこだました歴史がある。
そんな穴馬激走の有馬記念を象徴するのが、1991年のレースではないだろうか。
このとき、単勝1.7倍の圧倒的な1番人気に推されていたのはメジロマックイーン。前年の菊花賞とこの年の天皇賞春を制した、現役の古馬最強馬である。
しかし、この秋は消化不良のレースが続いていた。まず、2走前の天皇賞秋では、後続に6馬身差をつけ1位入線したものの、スタート直後に他馬の進路を妨害しており18着に降着。続くジャパンCでは瞬発力勝負に泣き、降着を除けば、生涯最低となる4着に敗れてしまう。
また、主戦の武豊騎手も降着処分が尾を引いたか、騎乗停止が明けた11月下旬に3勝をあげたものの、12月は未勝利。人馬とも良いリズムとはいえない中、この大一番を迎えていた。以下、上位人気に推されたのは、夏場からの4連勝で頭角を現し、菊花賞4着を挟んで重賞を3勝したナイスネイチャ。そして、天皇賞秋で繰り上がりの1着となり、4連勝でGⅠ初制覇を飾ったプレクラスニーまでの3頭が単勝10倍を切り、レースはスタートの時を迎えた──。
大歓声と悲鳴が入り交じる中、熊沢騎手のガッツポーズが炸裂。
ゲートが開き、積極果敢に先行したのは、逃げ宣言をしたツインターボとダイタクヘリオス、そしてプレクラスニーの3頭。中でもツインターボの勢いが良く、後続を3馬身ほど離す、けれんみのない逃げ。1000m通過は、59秒0のハイペースだった。
そのペースを踏まえてか、メジロマックイーンは珍しく中団よりも後方での競馬。ナイスネイチャも後ろから4番手を進んでいた。
向正面に入ったところで再びペースが上がり、2周目の3コーナーを回って、残り600mの標識を前にツインターボは失速。代わって、プレクラスニーとダイタクヘリオスが先頭に立ち、満を持してメジロマックイーンが4番手へと進出。この日一番の歓声が上がる中、15頭は再び4コーナーを回り、レースは最後の直線へと入った。
迎えた直線。プレクラスニーが、後続に2馬身のリードを取って逃げ込みを図る。鋭い末脚ではないものの、確実に差を詰め迫って来るのはメジロマックイーン。しかし、それをはるかに上回る勢いで、先団各馬をまとめて捉えようとする馬がいた。勝負服を見ただけでは、それがどの馬か、多くのファンは瞬時に判別できなかっただろう。神懸った末脚で、内からあっという間に先団を捉えた馬の正体──それは、14番人気のダイユウサクだった。残り100mで先頭に躍り出ると、メジロマックイーンの追撃も許さない。坂上で1馬身のリードを取り、最後は熊沢騎手のガッツポーズとともに1着でゴールイン。
大歓声と悲鳴が入り交じる中、再び熊沢騎手がガッツポーズを見せる。見事グランプリ史に残る世紀の下剋上が完遂されたのである。
この年から発売開始した馬連の配当は7,600円。これだけでも十分に高配当といえるが、その単勝配当は、なんと13,790円。これは、30年が経過した2021年現在でも、レース史上唯一の単勝万馬券となっている。
また、勝ちタイムの2分30秒6は、コースレコードを1秒1も更新する日本レコード。コースレコードとしては、10年以上破られなかった出色の好タイムだった。
馬名は登録ミス、デビュー2戦はタイムオーバー。
ところで、このダイユウサク。6月生まれの遅生まれで、当初は体質も丈夫ではなかった。成長も遅れ、トレセンにやってきたのは3歳12月のこと。さらに馬名登録の際、オーナーがダイコウサクと命名したかったところ、管理する内藤調教師が『コ』を『ユ』と見間違えた結果、馬名がダイユウサクになってしまったという、珍しいエピソードの持ち主でもある。
そんな同馬がデビューしたのは、4歳の10月。同日の天皇賞秋では、同期のオグリキャップがタマモクロスと叩き合いを演じていた頃の話だ。そのデビュー戦で勝ち馬から13秒0、続く2戦目も7秒3と大きく離された最下位で入線。熱発を発症していたとはいえ、後のグランプリホースのデビュー2戦が、ともにタイムオーバーだったから競馬は分からない。
しかし、翌4月に初勝利を手にすると、以後は、先行抜け出しというソツのないレース運びで堅実に走り、1年半をかけてオープンへと出世。天皇賞秋で7着に善戦すると、そこから3連勝で金杯を制し、重賞初制覇を飾ったのだ。
そこから、重賞を5戦して勝てなかったものの、12月上旬のオープン特別を勝利し、中1週で出走したのが有馬記念。ただ、4走前に2400mの京都大賞典で5着の実績があるとはいえ、それまでは2000mが上限の中距離馬。14番人気の低評価も当然のことだった。
そこまでに有馬記念の出走馬で通算10勝を挙げていたのは、ダイユウサクとカリブソングの2頭のみ。神懸かった末脚で現役最強馬を下し、11勝目が歴史に残る大金星となった彼の姿は、出世が遅れてもコツコツと頑張っていれば、必ず大舞台で活躍できる日がやって来ることを、我々に教えてくれたのかもしれない。
(文・齋藤翔人)
(編集, 著),小川隆行+ウマフリ
(著)浅羽 晃,緒方 きしん,勝木 淳,久保木 正則,齊藤 翔人,榊 俊介,並木 ポラオ,秀間 翔哉,和田 章郎(星海社 2021年8月27日 発売)
星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/2021-08_keibameishoubu1990-1994.html
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