栗毛の怪物と呼ばれた父の背中を追って - 2008年新潟2歳ステークス・セイウンワンダー

夏競馬の名物の一つに、ローカルの4つの競馬場で行われる2歳重賞があげられる。
近年は、7月の函館2歳ステークスに始まり9月の小倉2歳ステークスで閉幕するスケジュールとなっているが、その中でも新潟2歳ステークスは日本一長い直線を有する新潟の外回り1600mで行われ、なおかつ施工時期も開催後半に行われているため、しばしば派手な追込みが決まることがある。それも、15頭以上の馬を直線だけで一気に差し切ってしまうような派手な追込みだ。2008年の新潟2歳ステークスも、そんなスリリングな展開から新たなスターが誕生したレースだった。


この年の新潟2歳ステークスは15頭立てで行われたが、1番人気の支持を集めたのはセイウンワンダー。
4月のJRAブリーズアップセールに上場され、この年の最高価格となる税込2730万円で落札された馬である。ブリーズアップセールの出身だけに、即戦力と期待されたこの馬のデビュー戦に選ばれたのは6月阪神のマイル戦。そこを2着と好走すると、中2週で挑んだ同条件の未勝利戦では2着に6馬身差をつけて圧勝し、このレースには中7週と少し間隔を開けて臨んできていた。

父のグラスワンダーは、その見た目と戦績から「栗毛の怪物」と呼ばれ、デビューから無敗の4連勝で朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)を制し、翌年の有馬記念、翌々年の宝塚記念・有馬記念とグランプリ3連勝を達成した名馬中の名馬である。

対して、2番人気に推されたのはガンズオブナバロンだった。
名門ノーザンファームの生産馬で、父はグラスワンダーのライバルでもあったスペシャルウィーク、母はヴェイルオブアヴァロンという血統の持ち主。さらに、そのヴェイルオブアヴァロンの母はウインドインハーヘアで、つまりは叔父にディープインパクトがいるという超のつく良血馬だった。この馬も、セイウンワンダー同様デビュー戦を2着とした後の未勝利戦を6馬身差で圧勝し、ここに臨んできていた。

単勝オッズではこの2頭がやや抜け出していたが、単勝オッズ一桁台の馬は他にも3頭おり、3番人気ダイワバーガンディから7番人気カヴァリエまでのオッズは8.7~14.8倍と、中・上位人気はやや混戦と目されていた。

レースが当日は、8週間開催が続いた後の最終日ということに加え、朝から昼過ぎまで降った雨の影響で不良馬場となっていた。このレースでも、ゲートが開くと全馬はすぐに極端に悪い内側3~4頭分を避け、馬場の真ん中まで誘導されていった。その中で、最内のドリームゼニスとセイウンワンダーが少し出負けした以外はほぼ揃ったスタートとなり、まずカヴァリエとバンガロールに加えてマッハヴェロシティが先行。ガンズオブナバロンは真ん中より少し前につけたのに対して、セイウンワンダーは出負けを無理に挽回しようとはせず、道中2番手につけていた前2走とはうってかわってそのまま最後方待機を選択した。

前半の3ハロンこそ、不良馬場にしては平均ペースで流れたが、3コーナーのカーブに差し掛かる4ハロン目からは12秒5、4コーナーを回る次の1ハロンは12秒9と連続して一気にペースダウン。新潟外回りのレースらしく、全馬が体力を温存した状態での直線の差し比べ・決め手勝負の様相を呈してきた。

4コーナーを回るところでは後ろの4頭以外はほぼ一団。ガンズオブナバロンは前との差を詰め先頭に並びかけるほどの手応えだったが、セイウンワンダーは依然として前の集団からさらに5馬身ほど差が開いた最後方に構えていた。スローで流れた道中と不良まで悪化したこの日の馬場状態からして、いくら新潟の長い直線と最終日の外差し馬場だったとはいえ「この位置ではさすがに届かないのでは……」と、レースを見ていた人々の大半はそう思っていたに違いない。

直線に入ると、全馬さらに内を開けて馬群は横に大きく広がり、今度は一転して直千競馬を見ているような展開となった。その中から、道中は中団につけていた9番人気のストロングガルーダが中央から抜け出そうとし、外からは14番人気のエイシンタイガーが、内からは最低人気のツクバホクトオーの伏兵2頭がこれに襲いかかってきた。ガンズオブナバロンは、どうも手応えが怪しく伸びそうな気配がない。

──これは、このまま大波乱の結末になってしまうのか。

と同時に、このとき多くのファンはひとつの疑問が浮かんだことだろう。

……セイウンワンダーはどこだ!?

その瞬間だった。

直線の半ば、カメラが写し出したのは、馬群の外を伸びるエイシンタイガーのさらに外、なんと外ラチぴったりをグングン伸びてくるセイウンワンダーの姿だった。「イン突き」が得意な岩田騎手とは真逆のスタイルだったが、この日の不良馬場を考慮に入れ、まるで最初からその進路を選択していたかのような迷う事なき進路取りに見えた。道中も、この馬のことを信頼し十分に実力を把握していたからこそ無理せず最後方にドンと構えていたのだろう。その信頼と激しいアクションに応えるように、セイウンワンダーの勢いは止まらず、前を行く各馬をまとめて差しきっていく。

結局、最後まで食い下がったツクバホクトオーをゴールまで30mほどの地点で交わしさったセイウンワンダーは、直線だけで他の全ての馬をゴボウ抜きするド派手な追込みを決め、重賞初制覇を達成したのであった。


これで賞金を加算したセイウンワンダーは、年末の大一番・GⅠ朝日杯フューチュリティステークスの前に東京スポーツ杯2歳ステークスを使う予定だったが、左前脚に蹄球炎を発生してしまい同レースを回避。約3ヶ月ぶりのぶっつけで本番に挑まざるを得なくなってしまった。しかし、そのアクシデントにもかかわらず今度はスタートを決めたセイウンワンダーは、道中中団に待機し、直線では岩田騎手得意の「イン突き」が決まって先行各馬を差しきり、フィフスペトルの追撃も凌ぎきって見事グラスワンダーとの父子制覇を達成。また、この勝利によりJRA賞最優秀2歳牡馬のタイトルも父子で受賞することになったのである。

3歳シーズンとなった翌年には、勝利こそあげられなかったものの牡馬クラシック全てに出走。

特に皐月賞と菊花賞では、全く異なる距離にもかかわらず共に3着と善戦する。他にも神戸新聞杯3着、有馬記念6着など、年間を通じて世代有数の存在感を示した。

さらに4歳時には、安田記念こそ賞金不足で除外となってしまうも、翌週のエプソムカップで一年半ぶりの勝利。次走の宝塚記念こそ16着と大敗を喫してしまうが、秋には再度古馬のGⅠ戦線へ──。

そんな期待をかけられ調整されている中、10月に右前浅屈腱炎を発症し長期の休養に入ると、その2年後、復帰を目指していた調整過程で再度右前浅屈腱炎を発症し、残念ながら引退となってしまった。

ケガにより、実働ではちょうど2年間しか現役生活を送れなかったセイウンワンダー。
3歳以降の実績では、ついぞ栗毛の怪物と呼ばれた偉大な父に並ぶことはできなかった。

しかしあの日、新潟の直線の外ラチ沿いを真一文字に伸び全馬を差しきった末脚は、怪物級といっても決して過言ではなかった。

写真:Hiroya Kaneko

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