栗色の馬体を煌めかせ、解き放たれたように先頭を走り続けたサイレンススズカ。1998年の天皇賞・秋、彼は私たちがもう二度と会えない場所へと旅立っていった。まだ5歳だった。
サイレンススズカとともに戦ってきた馬たちは、のちに父となり、母となり、今日の競馬へと血脈を繋いでいった。
彼にもそんなふうに生きていてほしかった。今もずっと叶わぬ願いに囚われ続けている。あの悲劇を食い止められたらと思うたび、幾度となく私は空想のタイムトラベルに出かけずにはいられなかった。
目覚めると、1998年11月1日の朝だとしたら。サイレンススズカを生かすために何ができるだろうか。
***
彼のことをはじめて知った日からずっと、私はどうすれば彼が生きて帰ってこられるかを考え続けてきた。しかしこのタイムトラベルに課されたミッションは一筋縄にはいかなかった。彼を生かすためには多少の無茶も起きてくる。
例えば白バイ警官に扮し、馬運車に近づく。
「この車に爆弾が積まれています」運転手はあわてて飛び降りるだろう。発煙筒に火をつけ馬運車の下に放り込む。そのまま運転席に飛び乗りアクセルを目一杯踏む。急加速に鋭く響くエンジン音がサイレンススズカの嘶きにかぶさり、バックミラーの中の運転手がどんどん小さくなる。何もいらない、きみが生きていてくれればそれでいい。これが世に言う、サイレンススズカ誘拐事件。
──こんなことして何になる。きっとどこかで、誰かが悲しい思いをする。サイレンススズカだけじゃない。勝者・オフサイドトラップだって、屈腱炎を乗り越えての戴冠だった。そしてあの日出走したすべての馬を送り出すために必死にやってきた多くの人がいる。それを思うと、レースの邪魔をする道など選べるはずがなかった。
考えが行き詰まるたび、あの日逃げなかったら、が浮かびそうになったが、これだけは考えちゃいけないと首をふった。それじゃあまるで逃げたことが悪いみたいじゃないか。だれも悪くない。私は豊さんを責めるようなことは絶対にしたくない。タイムトラベルは何度も失敗に終わった。
途方に暮れていた頃、「ウマ娘」のゲームであの天皇賞・秋が描かれるというので、どうなるものかと身を乗り出して見た。この世界のサイレンススズカは、生きる道を与えられた。沈黙の日曜日は「栄光の日曜日」と語られた。
こうきたか、と膝を打った。タイムトラベラーはふたたび「栄光の日曜日」を求め奮起した。
そこで当時のスポーツ新聞を紐解けば競馬記者が信じた別の未来を見つけられるのではないか、と私は国会図書館に足を運んだ。国会図書館には新聞が数センチ幅のマイクロフィルムに焼き直され、何十年分と保管されている。フィルムを映写機にセットしてハンドルを回すと、当時の新聞をモニターで見られるのだ。
取り寄せた1998年11月のマイクロフィルムを収めた手のひらほどの箱を窓口で受け取る。こんな厳粛な場で、こんな古い時代のスポーツ新聞ばかりを根こそぎ取り寄せるやつもそうそういないだろう、と笑った。鼻歌混じりで映写機へと向かった。
古ぼけた映写機が鈍い音を立てながらゆっくりとフィルムにピントをあわせる。実際のタイムスリップもきっとこんな感じなのだろう。モニターの中のぼんやりとした思い出が、徐々に鮮明な輪郭を浮かび上がらせていった。
確かにそこに、1998年11月1日があった。世紀末の異様な熱気が小さなフィルムの中に閉じ込められていた。くるくるとハンドルを回しフィルムを送る。流れゆくセンセーショナルな見出し。和歌山カレー事件、キャッシングの武富士、高橋ジョージと三船美佳の電撃婚。
そして、あの天皇賞・秋へ。
サイレンススズカ頭の相手探しが多くを占めていたが、スポーツニッポンに「ブライトが差す」の大きな見出しを見つけた。メジロブライトが天皇賞・春で見せた末脚を東京で活かせば、さすがのサイレンススズカも敵わないと。日刊スポーツには「脇役返上ステイ」が踊る。ステイゴールドだけがサイレンススズカの6連勝の中で1馬身以内まで詰めている、G1でも安定した成績を保てているのも魅力だと。いずれも唸る予想だが、サイレンススズカが自身の極限に挑みにいく運命は変わらない気がした。彼が稀代の逃げ馬というのも、このタイムトラベルを難儀にさせているのだろう。ちなみに勝者・オフサイドトラップに本命を打ったのはたくさんの競馬記者の中でも一握り。心の底から、この人たちは未来からきたのかもしれないと思った。
驚いたのは、当たり前のことではあるが、この時代の人々の誰もがサイレンススズカが生きて帰ってくると信じていた。それも、なんの曇りもなく。今や彼は悲運の名馬として語られているだけに、それが不思議だった。嬉々としてサイレンススズカを語る人たちの言葉のひとつひとつをなぞると、彼らの目を輝かせて話す姿が浮かんだ。頷くような気持ちで耳を傾けた。
仮柵を外されていいところを走れるんだ。絶好の1枠1番は、神様が味方してくれているんだ。天皇賞・秋は過去10年1番人気が敗れているが、天才の手腕にかかればそんなジンクスなんて吹き飛ばす。レコード決着も夢じゃない。競馬に絶対はないけれど、サイレンススズカには絶対がある気がする。
次第に、これほどにまで秋の天皇賞を楽しみに待つ人たちに、タイムスリップして水をさすようなことなどできるわけがないと悟った。
沸き立つ人々を前に何もできず、叫びは府中の大歓声にかき消される。サイレンススズカは後続をどんどん突き放す。1000メートル通過は57秒4、人混みをかき分け前へ前へと身を捻り込む。叫べども届かない。そして先頭を行くサイレンススズカは何も知らずに、大欅を過ぎる。
空想の世界のはずなのに、宿命は頑として動かなかった。
***
振り返ればこれまで私は身の回りの競馬好きに幾度となくサイレンススズカのことを問いかけてきた。あれほどの出来事がありながらも、彼の名前を聞けばみな表情を輝かせ、おれに喋らせろと言わんばかり、それぞれのサイレンススズカを語り出す。
「おれは、サイレンススズカが一番強い馬だと思う。おれはずっとあの日から、あいつより強い馬を探し続けているんだ。だから同じ逃げ馬でタケが乗るエイシンヒカリが秋天で1枠1番に入ったときは、そりゃあもうゾクゾクしたさ」
こう語るのは職場のオッチャン。そんなオッチャンに、11月1日にタイムスリップしたら、という話をけしかけたことがある。オッチャンはあっけらかんとした顔で答えた。
「こればっかりはどうしようもないさ。運命は変えられないんだよ」
それがどうにも腑に落ちなくて、それでももし、もしだよ、としつこく尋ねた。オッチャンはすこし黙ってから、やはりあっけらかんとした顔で言った。
「府中の競馬場に行くね」
「どうして」
「あんなに頑張って走ってきたんだ。最後まで見届けるよ。おれが思う、一番強い馬が散る瞬間を最後まで見届ける」
すうっと背筋が伸びるような感覚をおぼえた。
実はこれまでもいろいろな人に同じ問いかけを重ねてきたが、不思議とこのオッチャンと同じように、多くの人が「現地に行く」と答えたのだ。
空想の世界、府中の大歓声の中、人混みでもがく私の周りにも多数のタイムトラベラーたちがいるのだろう。たとえ結末を知っていても、サイレンススズカの単勝馬券を握りしめる人。すべての予定を投げ打って、府中に駆けつけた人。心の中で何度も彼にありがとうとさよならをつぶやく人。そこには抗えない運命を静かに受け入れる無力な背中があった。それはどこか、つぐないのようにも見えた。こうして彼らはかなしみを受け止め、これからもずっと週末に夢を傾げていくのだろう。
***
タイムトラベルも終わりの時が近づいている。国会図書館に、蛍の光のメロディが流れ始めた。帰り支度をしようとフィルムを外そうとした時。モニターに写し出された新聞の中、ふと目に止まったものに、心が震え上がるのを感じた。
それは競馬新聞ではおなじみの、コースの周りに馬番を淡々と並べた展開予想図だった。今や誰も届かぬ星となった1枠①番がそこにいた。
向こう正面、①は単騎先頭。競りかけることなく⑦サイレントハンターが番手で折り合う。残りは一団。⑨シルクジャスティス、②メジロブライトは後方にかまえる。①は後続を引き連れ、あの大欅へと差し掛かる。
そして最終コーナー、①は確かに先頭にいた。フィルムを回す手はとっくに止まっていた。宿命は変えられなくとも、このめぐりあうはずのなかった景色を、彼が生きて迎えた未来をずっと漂っていたかった。
叶わぬとわかっていても、考えずにはいられない。もしあの日、サイレンススズカが生きて最後の直線を迎えたら。彼は一体、オフサイドトラップの何馬身先にいただろうか。もしくは、サイレンススズカが誰かに差され敗れる結末でもよい。それぞれが夢見た天皇賞・秋があるのだろう。
せっかくだから、毎年秋の天皇賞の日。馬頭観音をお参りしたあと、人混みのパドックで、もしくはレースがはじまる少し前、馬券を買ってからでよい。
あなたが信じた「栄光の日曜日」を聞かせてくれませんか。
参考文献
- 諸星由美アタック ブライトが差す. スポーツニッポン. 1998-11-1, 9版A, p. 11.
- 脇役返上だステイ 春天、宝塚連続2着 今度こそ. 日刊スポーツ. 1998-11-1, 6版, p. 14.
- 第118回天皇賞展開予想図. スポーツ報知. 1998-11-1, 6版, p. 9.
写真:かず
※馬齢は当時の表記