果敢な日本遠征と、優雅な重賞制覇。エアトゥーレやシルヴァーソニックらを輩出した牝系の祖となった外国馬、スキーパラダイス。

1990年代初頭。オグリキャップがもたらし、メジロマックイーン、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンらが襷を繋ぐ競馬ブームの裏で、日本馬による海外遠征の気運は落ち込んでいた。

それまで、ハクチカラの快挙以降、日本を代表する数々の名馬が新たな戦果を持ち帰らんと海を渡り、挑戦を繰り返していた。望むような成果は得られずとも、世界の強豪たちと刃を交えて世界標準を目の当たりにし、世界の技術を貪欲に取り入れることで、日本のホースマンたちは世界に通用する馬づくりを学び、実践し、今日の礎を築いた。

だが1986年、日本が誇る不世出の名馬シンボリルドルフが米国のサンルイレイステークスで引退に追い込まれ、天皇賞・秋でそのシンボリルドルフを負かしたギャロップダイナが欧州の牙城に跳ね返されて以降、灯が消えるようにぷつりと海外遠征は途絶えてしまったのである。

シンボリ牧場と社台ファームという大牧場の強力な後押しを以ってしても、世界の壁は分厚く、そして高かった。時折持ち上がるトップホースの遠征計画も霧散し、新たな挑戦者は現れなかった。


そんな状況に一石を投じる思いもあっただろうか。世界に通用する馬づくりを標榜する日本競馬界は、1992年~1994年にかけて国際化に向けたステップを進めた。1992年にジャパンカップが国際G1に昇格。1993年に安田記念、1994年にスプリンターズステークスが国際競走へと装いを変えたことで、クラシックディスタンスのみならず、様々なカテゴリの競走が新たに門戸を開いた。

1994年。安田記念のステップレースとして国際競走となった京王杯スプリングカップには5頭の外国馬が参戦した。海外オーナーの勝負服に初めて見る血統、歴々たる欧米での戦績にファンは胸を躍らせた。

その中でひときわ大きな支持を集めたのは、国内でも馴染みのある吉田照哉オーナーの黄、黒縦縞、赤袖の勝負服を背にした一頭の芦毛の牝馬だった。前年に欧米のマイル戦線で頭角を現した彼女は、日本の競馬ファンにお披露目となったこのレースで、若き日の天才ジョッキーを背に軽やかに府中を駆け抜けて、ワールドクラスの実力を私たちに見せた。

半年後、彼女は「JRA所属の騎手による初めての海外G1競走勝利」というメモリアルの立役者となり、日本競馬界に大きな勲章をもたらした。ターフを去った彼女は再び日本に舞い戻り、本邦に根付き、牝系の祖を築き上げた。

そして2023年、彼女の初来日から四半世紀を超えて、彼女の地は再び世界で大きな花を咲かせるに至った。

彼女の名はスキーパラダイス。

米国で生まれ、欧州でキャリアを送りながらも日本の競馬ファンに愛され、大きな記憶を残した一頭だった。


──今や、世界中のレースをライブ配信で見られる時代となった。しかし現代とは異なり、彼女が現役だった当時、海外の競馬情報を入手するのは非常に難しかった。

SNSのようなコミュニケーションツールもYouTubeのような動画サービスもなく、一般のファンは優駿をはじめとした雑誌媒体でのマンスリー情報と、NHK-BSが放映していた合田直弘氏の「世界の競馬」という窓を通じて、海の向こうにあるらしい広大な世界をなんとか覗き見ていた。

「スキーパラダイス」という存在が本格的にフォーカスされたのも、来日が決まってから。だが、当時の目線で見ても、彼女は欧州マイル路線のトップホースの一角を占める、まごうことなき大物だった。

父リファールはダンシングブレーヴの父としてその名を馳せたが、日本に於いても古くは直仔モガミ、現代ではディープインパクトの母の父アルザオを通じて、今なお強い影響力を誇る名種牡馬である。

若き日の吉田照哉氏が場長も務めたことで知られる米国・フォンテンブローファームで米国G1馬スキーゴーグルの仔、そしてアルゼンチンのG1馬スキーチャンプの妹としてこの世に生を受けた彼女は、一族に通ずる「スキーパラダイス」の名を授けられる。

海を渡り仏国の名伯楽アンドレ・ファーブルに手掛けられた彼女は1993年、4歳シーズン(旧馬齢)で欧米の第一線に身を投じ、挑んだ5度のG1競走全てで2着と善戦を果たした。刃を交えたライバルたちには後に大種牡馬となるキングマンボを筆頭に、西山正行オーナーの所有馬として米国芝チャンピオンに輝いたパラダイスクリーク、BCマイル連覇の強豪ルアーらビッグネーム揃い。強豪牡馬たち相手に一歩も引かず、欧州マイル戦線のレギュラーとして存在感を放っていた。

彼女の日本遠征に際して、これまでパートナーを務めてきた仏国のティエリ・ジャルネから新たに鞍上に指名されたのは、既に第一人者としての地位を築いていた武豊騎手だった。

もちろん日本人オーナーからのバックアップもあっただろうが、前年に同師が管理するモハメド殿下の所有馬キットウッドの手綱を任されているように、厚い信頼があったことは想像に難くない。

現地の競馬には現地をよく知るジョッキーを。日本人オーナーとフランスの名伯楽に日本の若き天才を配した日仏融合タッグの話題性も手伝い、スキーパラダイスは単勝1番人気の支持を集めていた。

出馬表には欧州で鎬を削った俊英が名を連ねた。

フランスの名門G1フォレ賞を制したドルフィンストリート、英1000ギニーやジャックルマロワ賞を初めG1タイトル4勝のサイエダティ、ニューマーケットで2歳時にG1ミドルパークステークスを制したザイーテン。いずれ劣らぬ欧州のトップホースであり、スキーパラダイスが嘗て苦杯を喫したライバルだった。迎え撃つ日本勢の筆頭格は前年のエリザベス女王杯優勝馬ホクトベガだったが目下3連敗中と勢いに欠け、上位人気は海外勢が独占した。

ゲートが開く。勢いよく飛び出した前年3着馬のマイネルヨースが、彼らしいけれんみの無い逃げでザイーテンを制して先導する。2頭を見るようにマザートウショウとスキーパラダイスが続き、大きな集団となった5番手以降にドルフィンストリートやサイエダティは控える。

直線。一杯となったマイネルヨースを目掛けて、外からザイーテンが、内からスキーパラダイスが襲い掛かる。岡部幸雄騎手がゴーサインに応じてザイーテンが早々に先頭を奪い取るが、馬体を接する武豊騎手の手綱はまだ動かない。伸びを欠く日本勢を横目に、スキーパラダイスが切り拓いた進路を縫ったサイエダティがウォルター・スウィンバーン騎手の派手なアクションに合わせて追い上げる。さらに後ろからはキャッシュ・アスムッセン騎手に導かれたドルフィンストリートも追撃態勢に入る。

残り200m、持ったままの手応えでスキーパラダイスが抜け出す。残り100m、ちらりと後ろを見た武豊騎手が反応を確かめるように軽く促すと、スッと加速してリードを奪う。

白い帽子の芦毛馬は、432kgのスレンダーな馬体をまるで一流のバレリーナのように優雅に伸ばし、軽やかなステップでいともたやすく日本の重賞タイトルを射止めた。

2~4着も海外勢が独占し、日本勢はホクトベガの5着がやっと。海を越えて襲来した世界の強豪は、まざまざとその実力を見せつけた。


迎えた本番、安田記念。

京王杯スプリングカップで上位を独占した外国勢が揃って駒を進めて人気を集める中でも、スキーパラダイスは堂々たる1番人気に支持されていた。前走の余力十分の勝ちっぷりは鮮明。視界は良好に思えた。

だが当日、馬体重が発表されると場内はどよめく。彼女は1か月足らずで+16kgと大幅に馬体を増やしていたのだ。パドックに姿を見せたスキーパラダイス自身は変わらず品の有るしなやかな歩様を見せていたが、叩いた上積み以上にどこか緩みも感じさせた。2度目の出会いとなった彼女が見せた変化に、戸惑いを覚えた競馬ファンもいたことだろう。

そして、その不安は的中する。

序盤の主導権を握ったマザートウショウから3角でマイネルヨースがハナを奪い、その外からサクラバクシンオーが抑えきれない手応えで進出する出入りの激しい展開。内と外からザイーテンとドージマムテキが更にプレッシャーを掛けたことで、先行勢に息は入らず、前半1000m56秒9とスプリント戦と見まがう程のハイペースとなった。

直線を迎える。先行争いをやり過ごして揉まれぬように馬群の外々で運んだスキーパラダイスは、大きな身体を揺らして押し切りを図るサクラバクシンオーを目掛けて追撃態勢に入る。だが持ったままで長い直線を駆け抜けた前走のような軽やかさはなく、スピードが上がらない。

刹那、スキーパラダイスの外を並ぶ間もなく一頭の鹿毛馬──このレースを境に名牝としての地位を確立することとなるノースフライトが、抜き去っていった。

必死に追いかけるスキーパラダイスの脚取りは重く、差は詰まらない。前を捕まえ切れず、最後はトーワダーリンの強襲も許して5着。日本勢の逆襲を許し、戴冠の夢はかなわなかった。


京王杯スプリングカップでの完敗と安田記念での逆転。

この2戦は日本の競馬関係者に大きな衝撃を与え、奮い立たせ、ターニングポイントとなった。

世界進出への歩みを止めていた日本競馬界は、この年を境に再び欧米、あるいは新たに世界のカレンダーに組み込まれたドバイの地への挑戦を始める。藤沢和雄調教師と岡部幸雄騎手のタッグで挑んだクロフネミステリー、武豊騎手を背にした社台ファーム生産の才媛ダンスパートナー……この日この場所に居たホースマンたちは、再び立ち上がり、今日に至る数多の挑戦の旗手となった。

京王杯で日本馬最先着を果たしながらも辛酸を舐めたホクトベガの中野隆良調教師もまた、ホクトベガとヒシアマゾンの二枚看板で海外挑戦の先鞭をつけた一人であることも記しておきたい。


このあと仏国に戻ったスキーパラダイスは、同年に欧米へと活躍の舞台を拡げていた武豊騎手を背に本場のマイル戦線を戦った。

武豊騎手はこの年、海外のビッグレースに次々と参戦し、ホワイトマズルで挑んだキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでの2着を筆頭に存在感を示していた。

武豊騎手の起用について、吉田照哉オーナーは「勝ちたいから、巧いから乗せるんだ。下手だったら頼みはしない」と語った。府中で出会い、日本で紡いだ縁も相まったスキーパラダイスでの挑戦にも一層期するものがあったことだろう。

7月のアスタルテ賞では同年のエクリプス賞芝牝馬チャンピオンに選ばれるハトゥーフの前に2着、8月のジャックルマロワ賞では名牝ミエスクの仔でキングマンボの妹、仏1000ギニーとディアヌ賞を制していたイーストオブザムーンの前に5着と悔しい結果が続く。

そして迎えた欧州マイル最高峰の一戦、9月、ムーランドロンシャン賞。

ゲートが開くと、武豊騎手は逸るスキーパラダイスをしなやかに宥めて最後方に収める。出走したライバル6頭の動向を冷静に見ながら、リラックスしたフットワークで力を溜める。

迎えた最後の直線。全馬が余力を残しているとみるや、武豊騎手はスキーパラダイスを馬群のど真ん中に導く。距離損を最小限の抑えながら、最大のライバルであるイーストオブザムーンの直後を縫って追い上げる。
欧州らしいタイトなせめぎ合いが続く直線半ば、イーストオブザムーンとの差をギリギリまで詰めると、満を持して一頭分だけ外に持ち出す。次の瞬間、グイッと最後の加速を見せたスキーパラダイスはライバル達を薙ぎ払い、遂に初めてのG1タイトルを手にした。

そしてそれは同時に、JRA所属騎手による初めての海外G1制覇というメモリアルな瞬間でもあった。


同年の米国ブリーダーズカップ遠征を最後にターフに別れを告げたスキーパラダイスは、繁殖牝馬として再び日本の地を踏んだ。

彼女と入れ替わるようにターフに現れた半弟スキーキャプテンはフジキセキを追い詰め、単勝元返しの支持に応えてきさらぎ賞を制し、米国の頂点を目指し、一族の優秀さを改めて示した。

スキーパラダイスの血は府中で大楽勝を遂げた豊富なスピードと、欧州で戦い抜いたパワフルな性質の両方をよく伝えた。

初仔のアグネスショコラはゴールデンチケットやロワジャルダンらダートの強豪を輩出し、4番仔アスピリンスノーは福永祐一騎手に現役最後の勝利をプレゼントした次代を担うダートのスター候補生、ペリエールへとその血を繋いだ。

2番仔のエアトゥーレは阪神牝馬ステークスを制し、母の影を追うように英仏の短距離路線にも挑戦した。その仔はコンテッサトゥーレやクランモンタナが重賞を制し、キャプテントゥーレは若き日の川田騎手に初めてのG1タイトルをプレゼントした。

そして2023年。海外で一層輝きを増すステイゴールドの血に後押しされて、シルヴァーソニックが遠く中東のレッドシーターフハンデキャップを制した。

遠く海の向こうから飛来した種子が日本で萌芽し、やがては大きく枝葉を拡げるように、舶来の良血はいつしか日本で愛される牝系の祖となり、日本に根付き、四半世紀の時を超えて再び海外でその名を轟かせるに至っている。

世界から学び取り入れたものを、また世界に還すこと。

それは海外の血と知を貪欲に取り入れ続けた日本競馬界が為すべき使命の一つだろう。

日本の競馬界が再び海外に向けて歩みを進めた90年代初頭に、米国で生まれ、欧州を駆け抜け、日本に大きなインパクトを残した舶来の名牝スキーパラダイス。彼女の血がこの先も幾度となく海を渡り存在感を示すこと、一層大きく発展しやがては海外に還っていくことを願いたい。

写真:かず

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