エリザベス女王杯は、非根幹距離と呼ばれる2200mで行われる。
同距離で行われるGⅠは他に宝塚記念しかない。2000mや2400mと比べてマイナーな条件だからこそ、この距離を得意とするリピーターが、過去に何頭も活躍してきた。また、その異質な条件を求めるのは日本国内の馬に限らない。時には、遠く数千キロ離れたヨーロッパから遠征してくる馬もいた。
2010年のエリザベス女王杯。
例年通り、レース前の図式としては「3歳vs古馬」。
果たしてどちらが強いのか、世代交代があるのか……という点に注目が集まったが、最終的に僅差の1番人気に推されたのは、その年の牝馬クラシック三冠馬・アパパネだった。
前年12月の阪神ジュベナイルフィリーズで早々にGⅠを制すると、この年の春はチューリップ賞2着を挟み、桜花賞、オークスの二冠を獲得。
秋は、初戦のローズステークスこそ4着に敗れたものの、秋華賞では馬場の真ん中から力強く抜け出し、見事に史上三頭目の牝馬三冠を達成した。
3歳10月の時点でのJRA・GⅠ4勝は、牡馬も合わせた史上最速の記録であり、さらに5つ目のタイトルを獲得せんと、このエリザベス女王杯に出走してきたのである。
2番人気に続いたのは5歳のメイショウベルーガで、アパパネとは対照的にこちらは晩成タイプだった。
重賞初制覇の舞台となったのは1月の日経新春杯。
GⅠ天皇賞春と宝塚記念では上位入線とならなかったものの、休養明けは再び京都2400mの牡馬混合のGⅡ京都大賞典で快勝をおさめた。芝6勝のうち4勝が京都外回りコースという相性の良さも、上位人気に推される要素となった。
さらにはGⅠで2着2回のアニメイトバイオや、オークスでアパパネと1着同着となりその栄誉を分け合ったサンテミリオンなどが出走していた。その2頭に挟まれた4番人気に甘んじでいたのが、当年の英・愛オークスを制した英国調教馬のスノーフェアリーと、前月に凱旋門賞を制したばかりのライアン・ムーア騎手のコンビだった。
欧州の牝馬クラシック勝ちという実績は、日本に遠征してきた海外調教馬の中でも歴代トップクラス。しかし、当時すでに海外馬にとって実績を残すことが難しくなっていた日本のレースということで、その実力をどれだけ発揮できるかにも注目が集まっていた。
プロヴィナージュの出走取り消しにより17頭立てでスタートが切られたが、目立った出遅れもなくアパパネに関しては好スタートを決めていた。まず、それを交わして先手を切ったのがセラフィックロンプで、少し抑えたアパパネを、内からテイエムプリキュア、外からブライティアパルスと2年前の覇者リトルアマポーラが交わしていき先団を形成する。スノーフェアリーはアパパネの直後につけてマークするようなポジションを取り、アニメイトバイオとメイショウベルーガも真ん中よりやや前につけて1コーナーを回った。
そして、2コーナーを回るところで今度はテイエムプリキュアが先頭に立ち、向正面に入ってからはジリジリとその差を広げ、前年の激走を再現するような大逃げに持ち込んでいた。
前半1000mの通過は60秒1で、この日は少し重めの良馬場だったため、大逃げでも実際は平均ペースの逃げとなっていた。しかし、この前後の1ハロン毎のラップタイムを見ると、ペースが大きく変化することなく、勝負どころの残り600m地点まではきれいに12秒前後のペースが淡々と刻まれていた。
このままいけば、終盤は底力が要求されるレースになることが予想された。
坂の上りにさしかかって、テイエムプリキュアと後続、特に4番手以下の集団との差はさらに広がり、既に15馬身ほどになっていた。坂を下り始めてもその差は変わらず、残り600mの地点で、ようやく2番手以下が差を詰め始め、直線入口では5馬身ほどに縮まる。
迎えた、最後の直線。
人気上位馬をはじめ、大半の馬は荒れた馬場の内側を避けて中央より外に進路を取り、内回りとの合流点となるポケットを利用して内ラチ沿いを通る馬はほとんどいないように思われた。粘るテイエムプリキュアのリードは2馬身となり、残り300m地点を過ぎてセラフィックロンプとブライティアパルスがそれを交わしにかかった──まさにその時だった。
目にもとまらぬ、まさに「瞬間移動」で、馬場の中央から内ラチ沿いに一気に進路をとる馬がいた。
その馬は、とてつもない瞬発力を発揮してそこからさらに加速し一瞬で先頭に立つと、あっという間に2馬身ほどリードをとったのである。本来、馬は草食動物で肉食動物から追われる立場だが、そのあまりにも早すぎる一連の動きと沈み込むように走るフォームは、目の前に獲物がいるわけではないが、まるでサバンナで草食動物を追い詰める獰猛な肉食動物のようにさえ見えた。
場内の実況を担当していたラジオNIKKEIの檜川アナウンサーが、その瞬間に発した
「内々を突いては、スノーフェアリーがすんごい脚!」
というフレーズはあまりにも有名。
その一言で、ようやくそれがイギリスからの刺客・スノーフェアリーとムーア騎手だと分かった。
先頭に立ってもムーア騎手の大きなアクションに応え、首をぐっと下げて真一文字に内ラチ沿いを伸びるスノーフェアリー。
カメラはそこから馬場の外目を伸びるアパパネとメイショウベルーガの姿を映し、そのすぐ後に馬場の全景を映すカメラに切り替わった。
その間、たった5秒。
スノーフェアリーはあっという間に独走態勢を築き上げ、最後は悠々とゴール板を駆け抜けたのだ。
単勝オッズは8.5倍の4番人気で、決して穴馬という評価ではなかった。
しかし、スノーフェアリーの馬券を買っていた者もそうでない者も、誰もがこの『驚異』というよりは『脅威』の末脚に唖然とした。
しかも、これが牡馬ではなく牝馬なのだからまた驚きである。
そしてゴール直後、ヒットマンともいうべき仕事を終えたムーア騎手がすっとゴーグルを外す。当時27歳とは思えないほど落ち着いたその姿が、あまりにも──憎たらしいほどにクールであり画になっていたのである。
こうして、エリザベス女王の国からやってきた英・愛オークス馬は、エリザベス女王杯のタイトルも加え、さらにジャパンオータムインターナショナルのボーナスも獲得。さらに1ヶ月後には、日本でもお馴染みとなった香港カップも勝利し、この年4カ国でGⅠを制覇。2010年の世界最強の3歳牝馬はスノーフェアリーだったといって間違いないのではないだろうか。
さらにエピソードは続く。
4歳となった翌シーズン、英・愛チャンピオンステークスや、ナッソーステークス、凱旋門賞といったヨーロッパのビッグレースで惜敗を繰り返していた彼女は、ディフェンディングチャンピオンとしてエリザベス女王杯のタイトルを防衛すべく、再びヒットマンと共に海を渡り日本にやってきた。
すると、この年は不利な大外枠から道中は後方5番手を追走し、最後の直線では馬場の内目をまたも一直線に伸びる。ラストは秋華賞馬アヴェンチュラとホエールキャプチャの3歳馬2頭と、リベンジに燃えるアパパネを一瞬で交わしさり、堂々と1番人気に応えて女王の座を防衛。
外国馬初にして、2020年現在でも唯一となる「日本の平地GⅠ連覇」を達成したのである。
さらに、その翌年もアイルランドチャンピオンステークスで6つ目のGⅠ制覇を飾り、6歳時に故障で引退し現役生活に別れを告げた偉大な名牝は、もともとは1歳のセリでは1800ユーロでも買い手がつかないような馬だったという。
そんな馬がこれほどまでに出世するのだから、競走馬のドラマは本当に面白い。そしてこれ以降、日本の平地GⅠでヨーロッパ調教馬や牝馬の海外調教馬の優勝は実現していない。
いかに、この勝利が偉大だったかの表れといえるだろう。
写真:Horse Memorys