"怪物"を倒した馬と、同じ空を見上げて~1994年京都新聞杯・スターマン〜

GⅡ京都新聞杯。
ダービー出走へ向けた賞金加算の最後のチャンスとして、東上を狙う3歳馬がしのぎを削るレースである。

2021年現在は5月に施行されているが、1999年以前は10月に施行されていた。
9月のGⅡセントライト記念とGⅡ神戸新聞杯に続く、3番目の菊花賞トライアルとしての位置づけとなっていた。

秋に施行されていたその時代の京都新聞杯の勝ち馬には、メジロライアン、ミホノブルボン、ダンスインザダーク、スペシャルウィークなど、そうそうたる名馬が並ぶ。
しかし、スターマンが勝った1994年の京都新聞杯もまた、印象深く、記憶に残るレースである。

その1994年の京都新聞杯もまた、2021年と同じく、京都競馬場の改修工事により阪神競馬場での開催だった。


スターマンは、1991年に北海道様似郡の高村伸一牧場に生を受けた、いわゆる"持ち込み馬"だった。

その父・ワイズカウンセラーは大種牡馬Ribotの直系であり、凱旋門賞を連覇したAllegedの直仔という血統。
アイルランドのGⅢ勝ちがある競走成績で、5歳から日本で種牡馬入りした。
スターマン以外では、2001年のGⅠ高松宮記念・スプリンターズステークスを勝ったトロットスターの母の父として、その名を刻んでいる。

母・ケイティルートの牝系をたどると、藤田伸二元騎手の故郷として知られるメイタイ牧場ゆかりの名牝、タイフレームといった名前が並ぶ。

栗東の名門・長浜博之厩舎に入厩したスターマンは、3歳時の1993年10月にダート1400mのデビュー戦を逃げ切って勝利を飾る。しかし脚部不安もあり、その後500万下で3戦足踏みしたことで、春のクラシックには間に合わなかった。
それでも、ようやく使えるようになった芝のレースが合っていたのか、5戦目のれんげ賞から手綱を取った藤田伸二騎手の手が合っていたのか、持っていたその才能と資質を徐々に開花させていく。

4月のれんげ賞、6月の白藤ステークスと条件戦を連勝し、夏場を休養に充てると、秋シーズンの初戦となった9月のGⅡ神戸新聞杯では、ダービー4着のフジノマッケンオー・重賞2勝のメルシーステージといった春の実績馬を退け、重賞初制覇を飾った。
いずれも好位から鋭い末脚を伸ばす、隙のないレースぶりだった。

この時点で菊花賞への優先出走権はあったものの、陣営は10月16日のGⅡ京都新聞杯へと照準をあわせた。
前述の通りこの年の京都新聞杯は、京都競馬場の改修工事のため、阪神競馬場での代替開催となっていた。

その京都新聞杯は、「シャドーロールの怪物」ことナリタブライアンの、三冠へ向けた始動戦として大きな注目を集めていた。
暴力的なまでに力強い末脚で、前年11月の京都3歳ステークスから、皐月賞を含んで日本ダービーまで実に6連勝。
シンボリルドルフ以来の三冠馬となることができるか、大きな期待を背負っての出走となっていた。

京都新聞杯で、スターマンはその怪物・ナリタブライアンと初めて同じレースを走ることとなった。


春のグランプリ・GⅠ宝塚記念と同じ阪神芝2200mのコースは、4コーナー奥からのスタート。
ファンファーレが鳴り響き、菊花賞へ向けて4歳牡馬10頭がゲートを飛び出す。

正面スタンド前を通っての先行争い。
気合いをつけてテイエムイナズマがハナを切る。
大外10番枠から押して、番手を取りに行ったのは河北通騎手のメルシーステージ。

スターマンと藤田伸二騎手は、その後ろあたりにポジションを取った。
レース前の追い切りでは、前向きすぎる気性が出て終いが甘くなってしまっていたが、レース本番ではそんな素振りも見せず、藤田騎手は自然な形で手綱を抑えている。

6枠6番のナリタブライアンと南井克巳騎手は、出た成りに進めて馬群の中団から後ろあたりでスタンド前を通過していく。
単勝支持率はなんと77.8%を占め、単勝・複勝ともに1.0倍の元返し。
ファンの視線は、その白いシャドーロールに注がれていた。

1コーナーをカーブし、隊列が落ち着ていく。

向こう正面で少し動いていったのは、ダービー2着馬であるエアダブリンと岡部幸雄騎手。
早めに動いて、ナリタブライアンの末脚を封じようとしたのだろうか、スターマンと並走するあたりまでポジションを上げていく。
外から被せられる形になったスターマンだったが、藤田騎手がうまくなだめて、力みなく追走を続けた。

3コーナーを迎え、馬群が縮まっていく。
ナリタブライアンが、徐々に進出を開始。
黒鹿毛の馬体を揺らし、外々を回って先行集団に取り付いていく。
場内から沸きあがる大歓声。

しかし、スターマンと藤田騎手は、まだ仕掛けの時を待っていた。

4コーナーを回り、直線を向く。
テイエムイナズマは一杯になり、メルシーステージが交わす。
外から詰め寄るエアダブリン。
内を選択した藤田騎手とスターマン。
大外から、ナリタブライアン。

ダービーの時のように、圧倒的な脚力で突き抜けるか。
そう思われたが、意外に内の集団がしぶとく競り落とせない。
それでも、じりじりと伸びるナリタブライアン。
ようやく、先頭に立ったか。

しかし、その刹那。
内ラチ沿いで強烈な輝きを放ち、伸びる鹿毛。
スターマン。
藤田騎手の左鞭に応え、阪神の急坂を駆け上がる。

ナリタブライアンも、最後の意地を見せて伸びる。

しかし脚色は、内の鹿毛だ。
スターマンが、差し切った。

鞭を持った左手を振り下ろし、歓喜を爆発させる藤田騎手。
追い切りで引っかかるなど、前向きな気性のスターマンを、なだめながら繊細に折り合いをつけ、その末脚を余すことなく爆発させた、会心の騎乗だったのだろう。

単勝1.0倍のナリタブライアンが負けた。
絶句し、唖然となるスタンド。
想定していた結果と現実が大きく異なるとき、人は見ている現実を処理することができず、言葉を失う。
ハーツクライがディープインパクトを破った2005年の有馬記念が、それに近いものがあるだろうか。

たしかに、ナリタブライアンは、その年の夏を過ごした北海道が猛暑に見舞われ、調整が万全ではなかったことも伝えられた。きっと、様々な要因がある敗北だったのだろう。

しかし、そうであったとしても。
4歳のナリタブライアンに先着したのが、スターマンただ一頭であることには変わりはない。
それに何より、神戸新聞杯からの重賞連勝は、スターマンの底知れぬ能力を示していたといえるだろう。

スターマン、1994年の京都新聞杯を制す。


大きな番狂わせを演じたスターマンだったが、本番のGⅠ菊花賞では距離も長かったか、ナリタブライアン三冠達成の5着と敗れた。

そして菊花賞後に出走した12月のGⅡ鳴尾記念では、57.5キロの斤量をもろともせず、ダンシングサーパス、ハギノリアルキングといった古馬相手に4馬身差をつける圧勝。
その能力の高さを、改めて見せつけた。

しかし残念ながら、明け5歳となった年の春に屈腱炎を発症してしまい、休養に入る。
約1年半の長い休養明け、ダート戦から始動したスターマンは、GⅢ小倉記念をヒシナタリーの2着、GⅢ朝日チャレンジカップをマーベラスサンデーの2着と、再びその輝きを見せ始めた。
だが、朝日チャレンジカップのレース中に、右前脚浅屈腱断裂の重傷を負っていたことが判明し、このレースを最後に現役を引退した。

4歳時に見せた、当代最強を誇った怪物を差し切った輝き。
その輝きは、どれほど遠くを照らすことができたのか、それは永遠に分からないままになってしまった。

その後のスターマンは種牡馬入りしたものの、GⅠ勝ちの実績がなかったことや、非主流血統が嫌われたのか、思うように繁殖牝馬を集めることができず、5世代で20頭の産駒を残しただけで2002年に退くこととなった。
しかし数少ないその産駒の中からは、金沢でデビューしたのちに中央のオープンまで勝ち上がったナゾが出ており、その産駒たちがまだ血をつないでいる。


スターマンの引退から20年近くが経った、2021年4月某日。
彼が、種牡馬を退いた後に在籍したという愛知県内の乗馬クラブを訪れた。

在りし日のスターマンの話を少し伺いながら、彼も見上げたであろう空を眺めていた。
河口の近くだからだろうか、少し湿り気のある風が頬を撫でていた。
どこか、やさしい風だった。

GⅡを3勝し、怪物を破る偉大なるアップセットを成し遂げた競走馬時代。
そして引退後、自らの血を残す戦いに挑んだ種牡馬時代。
それらの時代を、スターマンはどのように思い出していたのだろう。

彼のなかに、過去の栄光のような情感は残っていたのだろうか。
それとも、乗馬としての馬生の一日一日、一瞬一瞬を、全うしていたのだろうか。

どのような馬生であろうと、スターマンが生きた時間が、ここにあったのだろう。

新緑の香りのする澄んだ空に、在りし日のスターマンの雄姿を、重ねてみたくなった。
1994年、仁川の秋の空の下の、京都新聞杯。
怪物を差し切った脚は、どこまでも強い輝きを放っていた。

スターマンも眺めたであろう空は、雲ひとつなく広がっていた。
吹く風は、やはり、どこかやさしかった。


スターマンが輝きを放った京都新聞杯から、四半世紀近くの時が流れた。

2020年の無観客開催から少しずつ熱気が戻り始めていた競馬場も、何度目かの感染症の拡大により、2021年に入り再び無観客での開催に逆戻りしてしまった。

最寄り駅から競馬場までの歩く間の、胸の高鳴り。
新緑の風を切り裂くように疾走する、サラブレッドたち。
少し汗ばむ陽気の下で口にする、ビールの喉ごし。
内馬場の芝生で腰を下ろし見上げる、高く澄んだ5月の青空。
春のGⅠシリーズの熱戦を見守る、スタンドの熱気と声援。

長引く自粛の中で、そんなことを想う機会も多くなってしまった。

それでも、今年も京都新聞杯が、やってくる。
今年は、スターマンが勝った1994年と同じ阪神開催である。

あの日のスターマンの走りに、心寄せながら。
いま、レースを走るサラブレッドたちに心を寄せ、画面の前で心から声援を送りたい。

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