ステイフーリッシュ - 競走中止を乗り越え、世界の舞台へ。ステイゴールド晩年の代表産駒として、常識を超え続けた国際派。

Man knows so much and does so little.

(人間は知りすぎるくらい知っているが、それを実行に移すことはあまりにも少ない)

R.バックミンスター フラー(1895-1983)

第57回札幌記念。
緩やかな3コーナー入り口でソダシが果敢に先頭に立つ。ブラストワンピースが逃すものかと後を追う。
桜花賞馬の純白に惹き寄せられるようにズームインして行った実況中継のカメラが再び後続を捉えんと広角になっていく。

「……あれ?」

私は目を疑った。

カメラがソダシに寄せていく前には先団にとりついていた彼が、いくらズームアウトしても、いくら目を見開いても、いるはずの場所に見当たらない。

私が人生の過半をその血の応援に捧げ続けている父ステイゴールドの名を冠し、父と同じ勝負服を鞍上に据えた彼の名は、札幌記念がゴールに至っても最後まで呼ばれなかった。

そして次の瞬間、私は声を失った。

勝ったソダシを真正面からとらえたカメラの、ピントが合わない程はるか後方。白い帽子が、1頭だけぼやけて映っていた。歩いていた。ステイフーリッシュだった。

種牡馬ステイゴールドがJRA全10場で唯一重賞を制していない札幌競馬場。ラストかもしれないチャンスを託されたステイゴールド産駒の現役最終世代、6歳のステイフーリッシュは競走中止。いちライトファンの夢の一つが儚く散った。

「ステイフーリッシュも、潮時か……」

脚の故障ではなく心房細動による競走中止との発表を見て、安堵と共に勝手に「悟った」私の脳裏に、2歳時からのステイフーリッシュの雄姿が走馬灯のようによぎった。

デビュー勝ちから返す刀でステイゴールド産駒最後の2歳GⅠ出走となるホープフルSで3着。

3歳時にはデビュー4戦目にしてGⅡ京都新聞杯を鮮やかに押し切り、重賞初制覇。これが結果としてステイゴールド直仔として最後の3歳限定重賞勝ちとなった。

産駒として最後のダービー挑戦(10着)、最後の菊花賞挑戦(11着)。

そして古馬になってからのステイフーリッシュの健闘。
その苦闘ぶりは、まさに父ステイゴールド生き写しではないかと思えるほどだった。

明け4歳中山金杯から6歳札幌記念まで17戦、父と異なり9人のジョッキーに手綱をゆだねたものの父と同じく一貫して重賞のみ駆け抜けたステイフーリッシュの成績は(0-5-5-7)。4歳時の大阪杯以外はすべて勝ち馬から1秒以内。立派な競走生活だった……。

そう、この時──2021年8月末に、私はたぶん「あきらめて」いた。

ネーハイシーザー、ヴァーミリアン……心房細動からの復活は過去に例がある。しかし彼らは3歳、4歳の若い時期の発症からの復活だ。6歳、夏の終わりのステイフーリッシュには、もう、時間がない、と。

──当時の私に言ってやりたい。

「何をあきらめているんだ。彼の名前は、”Stay Foolish"だぞ」と。

ステイフーリッシュ。

父ステイゴールド。母カウアイレーン。

JRAホームページの彼の「競走馬情報」のページ、「馬名の意味由来」の項には「常識に囚われるな。有名なスピーチから。父名より連想」とある。

その「有名なスピーチ」は、かのスティーブ・ジョブズが2005年6月、スタンフォード大学の卒業式で行ったものである。その最後で彼が語ったフレーズ、”Stay Hungry. Stay Foolish.”に、父ステイゴールド(Stay Gold)をかけて名付けられたことは、想像に難くない。

”Stay Hungry. Stay Foolish.”

このフレーズはジョブズが若いころに大きな影響を受けた「全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)」という雑誌の最終号、その裏表紙に記されていた言葉だ。「(全地球カタログは)私の世代にとってバイブルでした」ジョブズはスピーチでそう言った。

そしてジョブズが影響を受けた全地球カタログがその思想を取り込んだのが、冒頭に記した言葉の主、リチャード・バックミンスター・フラーである。

「宇宙船地球号」という思想・概念や、後輪を1輪とすることで機動性に優れた「ダイマクション・カー」、部材の節約と広い空間、十分な強度を両立させ、日本では旧富士山レーダーのレーダードームで知られる「ジオデシック・ドーム」構造など、20世紀前半、最先進国アメリカにおいてですら常識の範囲外だった様々な先駆的アイデアを発信し続けた巨人、バックミンスター・フラー。

フラーやジョブズの如く、常識を再構築し、効率を追求できるところは追求し、現状を打破せんと世界に挑み続ける矢作厩舎に預託されるステイゴールド産駒の馬名として、「ステイフーリッシュ」以上に似つかわしい名前は、おそらくないのではないだろうか。

「なんだって……!?」

ステイフーリッシュを諦めかけていた私は、驚いた。

札幌記念での心房細動発症からわずか5週後、ステイフーリッシュは何事もなかったかのように(当然、私には見えない、陣営と彼自身の並々ならぬ努力があった上で)戦列に復帰、中山競馬場にその姿を見せたのだ。

3コーナーから鞍上の全力の叱咤に懸命に応えてGⅡオールカマーで0秒4差5着。

そこからわずか中1週。同じくGⅡ京都大賞典でもしぶとく0秒6差7着に食い込む。さらに中4週でGⅢ福島記念に挑み、同厩パンサラッサが刻む超ハイペースの中トップハンデを背負って果敢に先行。最後まで粘りこんで0秒7差4着となった。

つい3か月足らず前にはゴールすらできなかったステイフーリッシュが、また元のように元気に重賞で好走してくれる。それだけで、当時の私は信じられない程うれしかった。1年でも長く走り続けて、願わくばどこかで一つでも勝ち星を挙げてくれれば……。そう願っていた。それで十分だった。

──福島記念の3日後。11月17日。

「……香港?」

私は目を疑った。

「ステイフーリッシュ、香港ヴァーズの招待を受諾」と、報じられたのだ。

あまりの急展開に、私はもんどりうった。そして己の想像力の狭さを思い知った。

そうだった。彼は、障壁を超え、慣例を打破し、世界中の競馬に視野を広げ、実際に世界に挑み続けてきた矢作厩舎の所属だ。つい10日前に、ブリーダーズカップでの壮挙(※)を見たばかりじゃないか。

※2021年11月6日、矢作厩舎所属のラヴズオンリーユーがBCフィリー&メアターフを、マルシュロレーヌがBCディスタフを立て続けに制し、日本勢初のBC制覇を飾る

そして彼の名は、常識にとらわれず、新たな常識を作り上げたスティーブ・ジョブズの、さらにその先達たちの魂の宿った”Stay Foolish"じゃないか……。

その後彼が切り拓いた旅程は、その一歩一歩が、私如き一ファンの常識や夢想など全く歯が立たない、驚きと感動に満ち溢れたものとなった。

12月、父ステイゴールドが最後の最後に歓喜のGⅠ制覇を果たしたちょうど20年後に香港ヴァーズに出走し、実に4年ぶりのGⅠ掲示板となる5着。

明けて7歳となった2022年2月、陣営はサウジアラビア遠征を敢行する。
GⅢ、レッドシーターフハンデキャップだ。

「惨敗した菊花賞以来3年半ぶりの3000m、保つわけがない」
「しかも初めての酷量60キロ」
「2頭の欧州チャンピオンステイヤーに歯が立つものか」

それらすべての常識を打ち破るべく、デビュー30戦目にして、ステイフーリッシュは初めて逃げの手に出た。

そしてライバルたちを4馬身半も後方に置き去りにして、ステイフーリッシュは勝った。実に1393日ぶりの勝ち星だった。父ステイゴールドが(現表記)3歳夏の阿寒湖特別勝ちから6歳晩春の目黒記念勝ちまで悶えた期間が987日。それは長い長い、だが諦めずに挑み続けたからこそ抜けることのできた、トンネルだった。

そしてその足で、今度は3月のドバイへ。

ドバイワールドカップデーのアンダーカード、GⅡドバイゴールドカップにエントリーしたステイフーリッシュの前に、青い勝負服の怪物が立ちはだかった。そう、21年前のドバイシーマクラシック、父ステイゴールドの前にファンタスティックライトが立ちはだかったように。

直線、馬場の内から懸命に抜け出しを図るステイフーリッシュの外から、5戦5勝、前哨戦を5馬身半ぶっちぎったゴドルフィンのマノーボが飛んできた。かぶせ気味に前を呑み込んでいく。残り200m、ゴドルフィンブルーが完全に先頭に立った。

馬体を合わせ、懸命に食い下がるステイフーリッシュ。

しかし勢いが違う。みるみるうちにマノーボとの差が──いや、広がらない。

──え?

父ステイゴールドが亡くなって17日後に生を受けたステイフーリッシュが、マノーボを差し返して勝った。ゴドルフィンブルーの大本命馬を2着に下した。そう、21年前に父がファンタスティックライトに勝った時のように。

夢かと思った。夢じゃなかった。

中東での連勝でステイフーリッシュの旅程はさらに拓けた。メルボルンカップ、ロイヤルアスコット……。様々なレースが目標としてささやかれた。そしてその中で陣営が選んだ目標は、最も高く、最も険しい頂きだった。

2022年10月2日。ステイフーリッシュの姿は、ざんざざんざと雨降り止まぬフランス、ロンシャン競馬場にあった。

つい1年1か月前、札幌競馬場でゴール板にたどり着くことさえできなかったステイフーリッシュが、欧州競馬の最高峰にして日本競馬の悲願、凱旋門賞の舞台に立ったのだ。ステイゴールド産駒の凱旋門賞出走はゴールドシップが挑んだ2014年以来、実に8年ぶりのことだった。

不利な大外枠、泥田のような重馬場。残念ながら天はステイフーリッシュに、いや、出走した日本勢4頭に味方しなかった。14着に終わったステイフーリッシュは帰国後に左前繋靱帯炎を発症。競走生活に幕を下ろした。

”Stay Hungry. Stay Foolish.”

その名の、その由来のとおり、貪欲に走り続けた彼自身と、そして陣営の、常識を常識で終わらせず、得た知見をただの知見に終わらせず実行に移すその進取の精神により、現役晩年に「もう一花」どころではない大きな勲章を勝ち取った。次世代に血を残すことはかなわなかったが、乗馬として第二の馬生を送っている。

どうか、元気で、長生きしてほしい。

”Stay Healthy. Stay Alive."

写真:かぼす

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