例えば、あなたが応援しているアイドルの卵が、全国区のスターへと上り詰めていく過程を見守ることができたとしたら──。
それって、とても幸せなことだと思いませんでしょうか?
まだ世に広く知られていない頃からその才能に惚れ込み、やがてそれが確かなものだったと証明されていく……そんなステキな物語を私に届けてくれたのが、スティルインラブでした。
今回は、2003年の三冠牝馬であり、我が最愛の名馬であるスティルインラブについて、ご紹介していきます。
私と彼女との出会いは、新馬戦でした。
2002年11月30日、阪神競馬場の芝1400m。
単勝1.7倍という圧倒的人気に応えての勝利でした。2着のキタノスザクに3馬身半差をつける完勝ではありましたが、2番手からソツなく抜け出す内容で、そこまで派手な印象を与えるレースではなかったはずです。
それでもテレビの画面越しに感じることができたのです。この馬が秘めた、大いなる可能性を。
そしてその勝利を見た瞬間に、確信に近い手応えを持ちました──来年の桜花賞はこの馬だ、と。
当時の2歳戦線をリードしていたのは、同じサンデーサイレンス産駒のピースオブワールドでした。
デビューから3戦3勝でG3ファンタジーSを制覇。そしてスティルインラブがデビューした翌日に行われた阪神ジュベナイルフィリーズも制し、2歳女王の座に就くことになります。また、生涯のライバルとして立ちはだかるアドマイヤグルーヴも、この3週間前に新馬戦を勝利。こうして翌年のクラシックに向け着実に役者が揃っていく状況下にもかかわらず、私がスティルインラブに"ただならぬ魅力"を感じたのは何だったのでしょう。
彼女らと同じサンデーサイレンスの血に対する期待でしょうか?
それとも、若駒らしからぬクレバーなレースぶりから、卓越したセンスを感じ取ったからでしょうか?
真偽はともかく、予感は現実のものへと変わっていきます。
デビュー2戦目の紅梅Sでは、ファンタジーS2着・阪神ジュベナイルフィリーズ4着と重賞好走実績のあったシーイズトウショウや、地方からやって来た快速娘モンパルナスらを退けて快勝。続くチューリップ賞は2着に敗れたものの、直線で少し進路が狭くなる不利があったことを踏まえれば「負けて強し」の内容でした。
さらにこの間にピースオブワールドの骨折も判明し、いよいよスティルインラブが桜花賞の有力候補の一角に。 注目が集まれば集まるほど、早くからこの馬を追いかけていたことが誇らしく感じられるのでした。
そして、結実の日──桜花賞当日がやってきます。
G1の大舞台で、好スタートから4、5番手を確保しながら直線に向き、残り200mを切った地点で先頭に立ちそのまま押し切るソツのなさ。それはちょうど4ヶ月前の新馬戦で見せた、レースの上手さをそのまま活かしたものでもありました。
幸英明騎手にとっても、これが初めてのG1勝利。チューリップ賞の敗戦によって乗り替わりも危惧されましたが、聞くところによると、レース後に桜花賞の鞍上について報道陣から質問があった際、松元省一調教師が毅然と「当然、幸だ。ダメか?」と答えたそうです。厩舎の主戦として起用し続けてくれた恩師の後押しに応える、強気の騎乗がもたらした初の栄冠。
こうして私の予感通り「桜花賞馬スティルインラブ」が、誕生したのでした。
それでも、まさかこの道が三冠に続いていたなんて──。
2010年のアパパネ以降は、ある程度コンスタントに出現している印象のある三冠牝馬ですが、当時はまだ1986年にメジロラモーヌが達成したのみ。3歳牝馬のコンディション維持も、今以上に苦労が絶えない時代でした。さらに、桜花賞も現在と違い内回りコースでの施行。卓越したスピードを武器に桜花賞を制する馬が多く、それゆえ、オークスで距離の壁を乗り越えるのは困難でもありました。
それに、桜花賞を見た多くの競馬ファンは、こう感じたのではないでしょうか。
「オークスはアドマイヤグルーヴが勝つ」と。
何しろ祖母ダイナカールから始まる三代制覇を宿命づけられた、エアグルーヴの初仔です。
いわば"オークスを勝つために産まれてきた馬"。
牝馬ながら1800m戦でデビューし、エリカ賞・若葉Sと2000mのレースを使ってきたことからも、長い距離に適性があるのは明らかでした。そして極めつけは、出遅れながらも猛然と3着に追い込んできた桜花賞のレース内容。距離が延びて直線も長くなれば、さすがのスティルインラブといえど──いくら早い時期からその強さを知っていた身でも、少し弱気になってしまうのもやむを得ないことでした。
しかしオークス当日、スティルインラブは「予感を超えた馬」になりました。
イレ込みが激しく、桜花賞と同様スタートで出遅れチグハグな競馬となったアドマイヤグルーヴ。
その姿とは対照的に、スティルインラブは悠然と後方に構え流れに乗ると、直線でその末脚を爆発させます。
桜花賞とはまた違ったスタイルで、二つ目の勲章を手に入れたのです。
デビュー時「桜花賞馬になれる」と見込んだ馬が、なんとオークスまで勝ったことによる衝撃は、凄まじいものがありました。喜びと同時に、言葉では表現しづらい戸惑いがあったことを覚えています。それから……もちろん、彼女の勝利を信じ切れなかった申し訳なさもありました。
そうして二冠牝馬となったスティルインラブ。
こうなったら、いよいよ三冠が現実味を帯びてきます。日本競馬の歴史に名を残すビッグチャンスの到来です。
逆に、これを逃してしまっては、ファンとしてもとてつもなく悔いが残ってしまう……そんな重圧と、勝手に戦う日々がやってきました。
長い夏を越え、迎えた秋初戦のローズS。スティルインラブは5着と敗戦します。ただ、プラス22kgと大きく馬体重を増やしての出走。あくまで仕上がり途上であることを考えれば悲観は無用だったのですが、アドマイヤグルーヴの勝ちっぷりがそれはもう鮮烈で……。最大のライバルが気性面の課題を解消し、いよいよ本格化の時が訪れたかと思うと危機感は高まるばかりでした。
そして迎えた決戦の日、2003年10月19日。
秋華賞当日の京都競馬場は快晴でしたが、私の心中は穏やかではありませんでした。なにせ、全てが決まる運命の一日です。一緒に観戦していた友人は「大丈夫やろ」と励ましてくれていましたが、内心ちっとも大丈夫ではありません。何しろこっちが戦っていたのは、競馬ファンとして今まで経験したことのなかったプレッシャーだったのですから。
レース前はアドマイヤグルーヴとスティルインラブの一騎打ちムードでしたが、他にも油断ならない相手が揃っていました。復活を目指す2歳女王ピースオブワールドに、春から善戦を続けるヤマカツリリー、紫苑Sを勝ち上がった未知の上がり馬レンドフェリーチェ、夏の札幌でファインモーションを破ったオースミハルカ、幸騎手とのコンビで1000万下特別を勝って参戦を決めたメイショウバトラー。誰が大仕事をやってのけても不思議のないメンバー構成であり、アドマイヤグルーヴにだけ気を配るわけにもいかない、非常に厄介な戦いでした。
いつもならワクワクしながら聞くG1のファンファーレも、この日ばかりは不安と緊張を増長させるばかり……。
そして、ゲートが開きます。
スタート直後にゴール板の前を駆ける馬群の中からスティルインラブを見つけるも、ただ祈りを込めながらその姿を見守るだけ。すぐ後ろにアドマイヤグルーヴと武豊騎手が追走する展開は、息つく間もないほどの緊迫感でした。そして、3コーナーを過ぎたあたりからスティルインラブが徐々にスパートを開始。もちろんアドマイヤグルーヴもぴったりと付いてきます。
最後の直線の攻防は、今も脳裏にはっきりと焼き付いています。
伏兵マイネサマンサが逃げ粘るところを、内から接近するピースオブワールドとヤマカツリリー。スティルインラブは馬場の真ん中から前をとらえにかかり、アドマイヤグルーヴはさらにその外へ。直線半ばではまだ前にも標的が残っていましたが、それでも脅威に映ったのは背後に迫るアドマイヤグルーヴでした。
「今日は、今日だけは何とか勝たせてほしい……!」
その願いが通じたわけではないでしょうが、スティルインラブが3/4馬身のリードを保ってゴール。
ついに、偉業達成です。そしてファンとしての重圧から開放されたその瞬間、涙があふれて止まりませんでした。競馬を好きになってすでに7年ほどが経っていた当時ですが、これが初めての「ウマ泣き」。
それ以降も、これほどまでに感極まるまでのシチュエーションには遭遇していないような気がします。
絶叫、そして号泣と感情の全てを出し尽くした私とは違い、冷静な騎乗で愛馬を勝利に導いたのが幸騎手。8枠17番をどう乗りこなすかは一つの大きなテーマだったのですが、1コーナーに入る前にうまく内に入ることに成功しています。それによって、距離のロスを最小限に留めることができました。
そして、自信を持って勝ちに行った早めのスパート。力を信じ、臆することなく自ら動いていく好判断で、後続の追撃を封じることに成功したのです。
かくして、「桜花賞馬になれる!」と惚れ込んだ一頭の2歳牝馬が、それを実現してくれたばかりか牝馬三冠まで成し遂げてしまうという奇跡のストーリーは完結しました。それまでも競馬にはたくさんの喜びや楽しみをもらってきましたが、この特別な1年間は現在もかけがえのない思い出として胸にしっかりと刻まれています。
本当に、スティルインラブとその陣営には、感謝しかありません。
三冠達成後のスティルインラブは、残念ながら勝ち鞍を挙げることができませんでした。アドマイヤグルーヴとハナ差の叩き合いを演じたエリザベス女王杯はともかく、古馬になってからは大敗を喫するレースも多く、かつての輝きは取り戻せないまま5歳秋をもって現役を引退。
せめて現在のようにヴィクトリアマイルがあれば、もう少し活躍の場も残されていたように思いますが、当時は安田記念や宝塚記念で牡馬と戦うしか選択肢がなかったのも、その一因かもしれません。
そして、わずか1頭の仔だけを残し7歳の若さで急逝。唯一の遺児ジューダはJRAで勝ち鞍を挙げられず、スティルインラブの血を後世に残すことはできませんでした。ただ、そのデビュー戦を阪神競馬場で見届けられたのは、亡き母に惚れた男の一人としてせめてもの責任を果たせた気がしています。
どんなスターホースも、競走馬として最初の第一歩を踏み出すのは新馬戦や未勝利戦です。
もちろん、G1の舞台で輝きを放つ姿も私たちを魅了してやみませんが、静かに垣間見せる才能を誰よりも早く感じ取ることで、その馬への思い入れもより強いものになります。
私は現在も、新馬戦や未勝利戦を見つめながら、もう一度あの「予感」がはたらくことを心待ちにしています。スティルインラブが与えてくれた感動や興奮よ再び──。
さあ、次はどんな出会いが待っているでしょうか。
写真:Horse Memorys、Hiroya Kaneko