中央競馬の芝で行われるレースの距離帯に1400mと1800mがある。しかし、それらの距離で行われる重賞競走は複数あるものの、GⅠレースは行われていない。1200m・1600m・2000m・2400mを根幹距離と呼ぶのに対し、これらの距離は非根幹距離と呼ばれるが、逆にこれら非根幹距離を得意とする名脇役がこれまでにも多数いた。また、1400mの阪神カップや1800mの毎日王冠に代表されるような、GⅠでも実績のある馬が多数出走してくるような『スーパーGⅡ』と呼ばれる重賞もある。そんなスーパーGⅡでは、それらの距離と前後する1200m・1600m・2000mのチャンピオンホース同士が激突する機会が過去に何度もあった。
その中でも、今回は1994年に行われたスワンステークスを振り返りたい。
例年施行されている京都競馬場でスタンドと馬場の改修工事が行われていたため、この年のスワンステークスは阪神競馬場での開催となった。フルゲートの18頭がエントリーしていたが、このレースの大きな焦点は、スプリントとマイルそれぞれの王者が、中間の距離の1400mで対決したら果たしてどちらが強いのかという点だった。
スプリントの王者として出走してきたのは、5歳牡馬のサクラバクシンオー。3歳1月にデビューした同馬は、最初の3戦は芝とダートの1200mで1勝ずつを挙げたが、4戦目となった皐月賞トライアルのスプリングステークスでは、1800mという距離に加え重馬場もたたったのか12着と惨敗してしまう。以後、4歳シーズン終了までは1200m~1600mを一貫して使われることとなった。それでも、1200m~1400mは9戦8勝だったのに対し、1600mは5戦0勝とその間には明らかに距離の壁があるようだった。
しかし、とりわけ10月に戦列復帰した4歳秋からの充実ぶりは目を見張るもので、10月から3戦してオープン特別を2勝し、その勢いのまま挑んだスプリンターズステークスでは、安田記念・天皇賞秋に続くGⅠ3階級制覇を目論んで出走してきたヤマニンゼファーを一蹴。見事にGⅠ初制覇を飾って、新たなスプリント王者の座についたのである。
5歳となったこの年も、4月に当時1200mで行われていたダービー卿チャレンジトロフィーを快勝すると、安田記念に挑戦し4着。さらに、秋初戦には3歳時に惨敗したスプリングステークス以来の1800m戦となる毎日王冠が選ばれ、ネーハイシーザーのJRAレコードから0秒4差の4着に健闘し、このスワンステークスに臨んでいた。
血統面で言えば、伯父のアンバーシャダイとは得意とする距離こそ真逆であったが、4歳12月に初めてGⅠを勝ち、5歳秋に競走馬としての完成形を迎えつつあった点は非常によく似ていた。
片や、マイル女王として出走してきたのは4歳牝馬のノースフライトである。この馬がデビューしたのは、前年の3歳5月という非常に遅い時期だった。既に、父に同じトニービンを持つ牝馬のベガが桜花賞を勝ち、牡馬ではウイニングチケットが皐月賞では敗れたものの、トライアルの弥生賞を勝って引き続きダービーの有力候補となっていた頃のことである。ノースフライトは体質の弱さからデビューがここまで遅れてしまったが、その初戦をいきなりの9馬身差で圧勝。さらに、3ヶ月弱の休養を挟んで臨んだ足立山特別も8馬身差で制し、ポテンシャルの高さを存分に見せつけた。
続く秋分特別は5着と敗れたものの、現在の2勝クラスという立場ながら、2階級格上挑戦の形で挑んだ重賞の府中牝馬ステークスでは、50kgの軽量を生かして優勝する快挙を達成し、改めてポテンシャルの高さを示した。そして、ダークホースとして挑んだ、当時牝馬三冠最終戦として行われていたエリザベス女王杯では、インから強襲してきた伏兵ホクトベガの2着に敗れたが、ここからの快進撃がすごかった。年末のサンスポ杯阪神牝馬特別(現・阪神牝馬ステークス)、年明けの京都牝馬特別、マイラーズカップと重賞を3連勝すると、GⅠの安田記念では国内外の強豪馬を外から一気に差しきり、重賞4連勝を見事GⅠ初制覇で飾ったのである。
そして迎えたこの秋、春秋マイルGⅠ統一を目指してマイルチャンピオンシップを大目標に、その前哨戦としてこのスワンステークスが選ばれたのである。ここまで9戦7勝、連対を外したのはたった1回という安定感も大きな魅力だった。
人気では、これがこの秋の叩き2戦目となることや、1400m戦を過去3戦全勝と得意としていることを考慮され、スプリント王のサクラバクシンオーが2.2倍の1番人気に推され、1400m以下は今回初出走となるマイル女王ノースフライトが3.0倍の2番人気で続く。以下、ビコーペガサスとエイシンワシントンの3歳勢が続いた。
ゲートが開くと、8枠17番からサクラバクシンオーが好スタートを決めてスムーズに前につけ、内と中からエイシンワシントンとマイスタージンガーがそれを交わして先頭に立つ。サクラバクシンオーは3番手となり、3番人気のビコーペガサスがそれをマーク。初の短距離ということで前半の追走が心配されたノースフライトも、どちらかというと良いスタートを決めていたため、テンからいきなり置いていかれるようなことはなく、中団より少し前の7番手を追走する。前半3ハロンの通過タイムは、この頃としてはやや早めの33秒7だった。
そのハイペースを、何の無理もなく追走したサクラバクシンオーが3コーナーで2番手に上がり、逃げるエイシンワシントンをピッタリとマーク。明らかに前が楽をしているその姿を見てか、残り600mの標識を通過したあたりから後続の馬たちも続々と仕掛けはじめた。ノースフライトもその中にいたが、短距離を経験していなかったことと休み明け初戦がここで影響したのか、やや反応が鈍く、スムーズなペースアップができずになかなか前との差を詰められない。
直線に向くと、前の2頭が後続をさらに引き離して依然として絶好の手応えだったが、とりわけサクラバクシンオーの手応えが良く、騎乗する小島太騎手の手綱は全く動かない。対して、ノースフライトはようやく少し差を詰めてきたものの、まだ第2集団の馬群の中にいる状態だ。残り200mを切ってもまだサクラバクシンオーの手綱は動かず、そのままエイシンワシントンを馬なりで交わして敢然と先頭に立った。ノースフライトも、ここでようやくエンジンがかかりはじめ、さすがの実力で第2集団をあっという間に抜け出して3番手に上がり、前を行く2頭を追う。
残り100mの標識を前に、ようやく追い出され逃げ込みを図るサクラバクシンオー。その標識を通過してから小島太騎手の代名詞ともいえる右鞭の連打がうなり、馬もそれに懸命に応えようとする。対して、ノースフライトも懸命に粘りこむエイシンワシントンを残り50mで交わし、先頭を行くサクラバクシンオーに1vs1の決闘を申し込まんと一気に襲いかかる。前哨戦とは思えない、両王者同士の負けられない決闘だ。
スプリント王者サクラバクシンオーか、マイル王者ノースフライトか。
しかし、最後はサクラバクシンオーがノースフライトに1馬身1/4差をつけて1着でゴールイン。3歳馬エイシンワシントンが両王者に対して大健闘といえる3着。4着には中団から差してきたニホンピロプリンスが入った。そして、勝ちタイムは1分19秒9のレコード。これが、日本競馬史上初めて1400m戦で1分20秒の壁が破られた瞬間だったのである。
その3週間後。王者同士の対決第2弾が行われた。本番のマイルチャンピオンシップである。今度は、叩き2戦目に加えてマイル女王ノースフライトの主戦場ということもあって、前回と人気順は入れ替わり、結果もノースフライトがマイル王者の座を守った。ノースフライトにとってはこれが現役最後のレースとなり、王座を保持したまま有終の美を飾ったのである。
対して、スプリント王サクラバクシンオーも1馬身1/2差の2着という大健闘を見せた。マイル戦は、これまで6戦してキャリア2戦目の2着1回のみ。それ以外は複勝圏すらない困難な条件だったが、マイルのGⅠという舞台での2着は大健闘であり、おそらく種牡馬となる際にも非常に価値あるものとなったはずで、サクラバクシンオーがいよいよサラブレッドとしての完成形を迎えた何よりの証だったといえるだろう。
そして、その1ヶ月後。サクラバクシンオーにも最後のミッションが待っていた。それは、スプリンターズステークス連覇を達成して最強スプリント王の地位を確固たるものとし、最高の花道を飾って現役を終えるというものだった。これまで誰も成し遂げたことがないスプリントGⅠ連覇という決して容易ではないミッションを、スプリント王は果たしていとも簡単に、しかもここまでの戦いの中で最も強い勝ち方で完遂した。スプリント戦で2着を4馬身もちぎる圧勝。勝ちタイムも、1分7秒1という驚愕の日本レコードである。この勝利により、25年以上経った現在でもサクラバクシンオーを史上最強のスプリント王に推す声は多い。
その後サクラバクシンオーは、種牡馬となっても歴史に名を残すほどの活躍を果たした。ノースフライトは直仔からは重賞を勝つような活躍馬を残せなかったが、しかしノースフライトの3番仔ミスキャストが種牡馬となり、数少ない産駒から天皇賞馬ビートブラックが誕生。それ以降もミスディレクションがオープンまで出世を果たすなど、ノースフライトの血はいまなおターフを駆け抜けている。
平成初期の秋に実現したスプリント王とマイル女王の対決。結果は、両者とも1勝1敗で互角の成績だった。もし、惜しむことがあるとすれば、王者同士を父母に持つ産駒がたったの1頭だけでもいいからこの世に生を受けデビューを果たしていれば──ということだろうか。
※馬齢は現在表記に合わせています