天才騎手が見せた仕掛けの妙。悲劇の名馬が輝いた桜の舞台──ワンダーパヒュームと95年桜花賞。

デビューからコンビを組んできた騎手が、本番では違う馬を選んだ──。

アネモネSでの2着から桜花賞へ乗り込んだ、ワンダーパヒューム。それまでコンビを組んだ四位騎手は5番人気のエイユーギャルに騎乗する。一方で、ワンダーパヒューム陣営は、彼女の母の背中を知る「天才」騎手を手配した。


競馬を愛する執筆者たちが、90年代後半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負1995-1999』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。その執筆陣の一人小川隆行氏が、今もなお好騎乗として親しまれる95年桜花賞を振り返る。

写真/フォトチェスナット

人間と同じく、競走馬も父と母から能力を受け継がれる。母が重賞やGⅠの勝ち馬であると、息子や娘にも往々にしてその能力が受け継がれる。1995年、桜花賞に出走したワンダーパヒュームの母名を見て「あの馬の子どもか」と12年前を思い出した。

母は20頭立ての金鯱賞(当時OP)を10番人気で激走したラブリースター。鞍上も同じ田原成貴であった。「血統的におもしろい存在」と感じるも、デビューからのローテーションがクラシックの王道から外れていたことで、桜花賞では7番人気と人気薄だった。デビュー戦は年明けのダート1200m。直線一気で前の馬をごぼう抜きにしていたが、いかんせんダート短距離戦で評価の圏外。ちなみにこのレースには後の菊花賞馬マヤノトップガンが出走、1番人気で5着と敗れている。

2戦目の500万条件寒梅賞(ダート1400m)を3着後、アネモネS(京都1400m)2着で桜花賞の出走権を獲得したが、当時はもとより現在に至るまで、アネモネSと桜花賞の関連性は限りなく乏しい。まして2着では無印になるのも致し方ない。桜花賞の王道は阪神JF(当時阪神3歳牝馬S)からチューリップ賞。この両レースを使われていない馬であればノーマークも当然だった。

しかし、ワンダーパヒュームにはいくつかの「風」が吹いていた。この年の1月に起きた阪神・淡路大震災により阪神競馬場は3・4コーナーが埋没や隆起を起こしており、桜花賞はアネモネSと同じ京都競馬場での開催に振り替わった。

デビュー戦から騎乗していた四位洋文に先約(エイユーギャル)があり、乗り替わったのは母の背中を知る田原。週半ばの調教後、「京都のマイルは好きです。この馬にとっても阪神よりいいはず」と答えていた。大外18番枠からスタートしたワンダーパヒュームの田原は道中10番手から仕掛けのタイミングを探っていた。報知杯4歳牝馬特別を制し11連勝中だった1番人気ライデンリーダーをマークしながら3コーナー過ぎに進出を開始。同じ位置取りだったプライムステージ(3着)を交わすと、メンバー中トップの上がり35秒3で追い込んできたダンスパートナーの追撃をクビ差しのいだ。

母の背中を知る天才騎手は「僕がミスなく乗ったら絶対に勝てるという手応えがあった。それをファンのみなさんに伝えたくて、週明けからマスコミに言っていたんだけど伝わらなくて悔しかった」とレース後のインタビューで語っている。後に田原は「この馬のお母さんは競馬をよく知っており、騎乗して競馬の仕掛けどころや呼吸を教わった。娘に恩返しができて嬉しい」と管理する領家政蔵調教師に語っている。

領家師にとっても初のGⅠ制覇で、重賞は12年前の母ラブリースター以来、2勝目となった。「デビュー前から期待はしていたがまさかGⅠを取れるとは思っていなかった」と、その嬉しさを語っている。領家師はアネモネSのレース前に「何とか桜花賞に出したいので権利だけは取ってくれ」と四位騎手に頼んでいた。そして桜花賞は「これ以上ない仕上げができて、あんなにワクワクしたことはなかった。これで負けたら仕方がない」とスタッフと話していた。

ワンダーパヒュームの気性は荒く、廐舎に来た初日から担当の藤井美津子廐務員を蹴飛ばしていた。「気の強さも私と似ていた」と語る藤井廐務員はノースフライトの石倉幹子廐務員以来2人目の女性廐務員GⅠ制覇を遂げている。続くオークスは3着。桜花賞でピークを迎えた体調は下り坂となっており、初の東京コース・長距離輸送を経ての3着はむしろ立派な内容だったと言えるだろう。

秋はローズS4着、エリザベス女王杯16着、阪神牝馬特別10着。いずれも2000m以上の中距離戦で、年明けの京都牝馬特別で久々のマイル戦に出走した。桜花賞を勝ったコースで重賞2勝目を期待されたワンダーパヒュームだが、テレビ解説の大川慶次郎氏はパドックを観て「状態が良くない」とコメント。その言葉は最悪の結果となった。3コーナー過ぎに故障を発生、競走中止。左前脚の複雑骨折により予後不良、安楽死の処置がとられた。「闘争本能の強い馬だったからね。ぶざまなレースが続いていたから悔しかったのかもしれない。繁殖に上げようか、と考えていた」と語る領家師はレース後、「頭の中が真っ白になった」と振り返っている。しかもワンダーパヒュームのみならず、1レース前の10レース北山Sに出走させたイシノプリンスも故障を発生、2レース続けての事故とあいなってしまった。

領家師の精神的なダメージははかりしれなかったが、神は一所懸命な人を見捨てない。13 年後、領家師はセイウンワンダーで朝日杯FSを制覇した。

オークス後、子どもを授かった藤井廐務員は育休に入ったため、ワンダーパヒュームの担当は夫に替わった。桜花賞制覇からちょうど1年経った4月9日に女の子を出産した。娘の名前には香(パヒューム)の1文字をつけている。
(文・小川隆行)

競馬 伝説の名勝負1995-1999

(編集, 著),小川隆行+ウマフリ
(著)浅羽 晃,五十嵐 有希,大嵜 直人,緒方 きしん,勝木 淳,久保木 正則,齊藤 翔人,榊 俊介,秀間 翔哉,林田 麟,和田 章郎(星海社 2021年9月24日 発売)

星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/2021-09_keibameishoubu1995-1999.html
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