誕生日が1週間違うジョッキー
同い年のアスリートには同じ時代を生きた親近感を覚えると同時に、恥ずかしさもある。意味がないのは分かっていながら、つい比べてしまうからだ。競馬であれば、馬上の人と馬に乗れない自分。世界の違いにやられてしまう。だが、それでも応援したくなる。1977年、昭和52年、同じ9月に生まれた騎手に古川吉洋騎手がいる。
競馬学校花の12期生のひとり。デビュー2年目の20歳の暮れ、アインブライドで阪神3歳牝馬S(現阪神JF)を勝ち、同期のなかでGⅠジョッキー一番乗りを果たした。通称はフルキチ。同い年のよしみでここからは勝手にフルキチさんと呼ぶ。華々しい滑り出しだったフルキチさんはその後、若手騎手によくあるスランプに陥る。減量特典を失った途端に、乗鞍が減り、勝ち星が減るというやつだ。20歳そこそこで突きつけられる厳しい現実にどう向き合ったのか。そのころの私は、ひ弱で生意気で、世の中に背を向けて生きていた。ちょっとしたことでふてくされ、発散しようがない感情をいら立ちという形で心に飼っていた。
フルキチさんは98年は6回あったGⅠ騎乗も、そこで途絶え、次にGⅠに出場したのは2009年エリザベス女王杯(ピエナビーナス)なので、11年も空白がある。私なら逃げ出したい。腐らず、自分を信じて騎手を続けたフルキチさんがGⅠで1番人気に支持されたレースが1度だけある。それが2017年テイエムジンソクだ。
テイエムジンソクのスイッチ
テイエムジンソクは2012年4月、日高テイエム牧場で生を受けた。父クロフネ、母マイディスカバリー。母は矢作厩舎に所属し、28戦3勝。父フォーティナイナーらしくダートの短距離戦を主戦場としていた。そんな母とクロフネの仔だからか、生涯30戦すべてがダート戦だった。3歳春と遅めにデビューし、その年は1800mに出走し続け、2勝とまずまずのすべり出し。4歳1月に3勝目、その年の5月に4勝目をあげ、降級後は崩れず上位に入り続けた。勝ち切れないが、堅実だ。準オープンの安定勢力という地位に収まり、ここまでかと思わせた。
だが、テイエムジンソクに転機が訪れる。それが2017年5月東大路Sだ。デビュー以来コンビを組んでいた竹之下智昭騎手からバトンを受けたのがフルキチさん。これまで惜敗続きだったテイエムジンソクが2着に4馬身差をつけ、圧勝した。1000m通過1.00.1のハイペースを積極的な運びで抜け出す内容の濃い競馬でもあった。ここからフルキチさんとテイエムジンソクの物語は動きはじめる。オープン昇級後は大沼S、マリーンSと連勝。準オープン常連組だったのが信じられないほどの快進撃だ。勢いそのままに重賞初挑戦。エルムSは重馬場で1.40.9の超高速決着のなか、2着。背後にいたロンドンタウンに半馬身及ばなかったが、堂々たる内容だった。テイエムジンソクはフルキチさんという新たなパートナーを得て、一段、階段を駆けあがった。竹之下騎手がじっくり競馬を教えた面はあるにせよ、フルキチさんはテイエムジンソクのスイッチだったのだ。人と馬は不思議な縁で結ばれている。理屈では説明できない力がこの人馬に宿った。
秋はみやこSへ向かった。その先にはGⅠがある。フルキチさんがアインブライドでGⅠを勝ってから20年。あともうひとつ。GⅠはすぐそこだった。前哨戦らしく3歳エピカリス、古馬勢は重賞ウイナーのキングズガード、モルトベーネ、アスカノロマンなど骨っぽいメンバーが顔をそろえた。ここを突破する力があるのか。力量をはかる一戦でもあった。サルサディオーネが刻んだペースは東大路Sと同じ1000m通過1.00.1。テイエムジンソクにとって得意な流れだ。前を行くサルサディオーネや同じポジションのモンドクラッセ、アスカノロマンが苦しいとみたフルキチさんは4コーナー手前で外からテイエムジンソクを先頭へ導く。スイッチの役目を担うフルキチさんには押し切れる確信があった。このとき40歳。仕事の酸いも甘いも知り、経験に裏打ちされた判断力もある。職人として道を一つ極めるに十分な時が流れていた。背後から追うルールソヴァールより一歩先に仕掛けた。この判断がすべてだった。コーナリングで作ったアドバンテージが効き、テイエムジンソクは先頭でゴール板を通過した。この勝負服が平地重賞のテッペンに立つのは、テイエムイナズマ以来5年ぶり。生産者の日高テイエム牧場にとって重賞初制覇でもあった。
GⅠ競走1番人気の晴れ舞台
そして、テイエムジンソクとフルキチさんはGⅠで1番人気に支持された。前年覇者サウンドトゥルーがJBCクラシックを勝っていても、1番人気。ハイペース、4角先頭、2馬身半のインパクトはそれだけ大きかった。3番人気はフルキチさんの同期、花の12期生のスター福永祐一騎手が乗るケイティブレイブ。
祐一さん、悪いけど、今度ばかりはフルキチさんに勝たせてやってくれ。
身勝手と知りながらも、そんな思いを止めることはできなかった。アインブライドから20年。長きときを地明かりの切れ目で過ごした男がようやく手に入れたスポットライト。これを仕留めなければ、そうは舞台の中心には立てまい。40歳は人生の充実期ではあるが、下り坂の入り口にあたる。じわじわと体の変化を感じ、若手の勢いに抗いながらも、いつまで押しかえせるか。そんな不安を抱きはじめるタイミングでもある。だから、フルキチさんに2つ目のGⅠをつかんでほしい。同い年の願いだ。
5歳12月を迎えたテイエムジンソクもまた、サラブレッドとしてはピーク。春から秋にかけての快進撃は本格化の証であると同時に、いつまで持続できるかわからない。ここを境に緩やかに下りはじめる可能性は捨てきれない。やはり、次が巡ってくるか分からないGⅠの称号を勝ちとる好機なのだ。まさに負けられない戦いだった。
いつものように外枠から上手に好位にとりついた。それも逃げるコパノリッキーの2番手という絶好位だ。田辺裕信騎手は無茶はしない。ついていけば、必ず先行勢に優位な流れに乗れる。少しテイエムジンソクは逸っていたか、フルキチさんは手綱を引っ張りながらコントロールする。みやこSのような早めの仕掛けはない。「コパノリッキーを利用するだけ利用しよう」「後ろの末脚も強烈だから」そんな思惑が読み取れ、落ち着きすら感じられた。直線に向くと、コパノリッキーの仕掛けに合わせるようにスパート。すぐ後ろにはケイティブレイブが迫る。それを振り払い、急坂でじわじわとコパノリッキーをとらえに出る。だが、さすがは歴戦の王者。コパノリッキーの抵抗は予想以上に執拗だ。フルキチさんが決死に追い立て、奮起させる。
コパノリッキーを交わせば勝てる。そう確信していた。急坂を上がり、ようやくコパノリッキーの脚色に翳りがみえ、テイエムジンソクが先頭へ。だがしかし、フルキチさんとテイエムジンソクがGⅠの先頭を走ったのは、わずかな時間だった。刹那、外からゴールドドリームが襲いかかってきたのだ。JRA同一年春秋ダートGⅠ完全制覇を目指すゴールドドリームの豪脚に抵抗できるだけの体力は残っていなかった。ゴール板ではわずかクビ差。テイエムジンソクは差されてしまった。栄光というスポットライトは、一瞬でフルキチさんとテイエムジンソクの前を通り過ぎていった。コパノリッキーをもっと早く交わせれば。色々な感情や「たられば」が一気に吹き上がる。勝負の世界は無情なり。執念を一点に集中したとて、勝てるわけではない。千載一遇のチャンスはゴールドドリームだって同じだ。勝利に手が届く可能性は等しい。だからこそ、勝てなかったのは余計に悔しい。涙は出てこなかった。40歳にもなると、そうそう人前では泣けない。フルキチさんの背中を冬の夕陽がそっと照らした。
私も四十の後半になった。もちろん、フルキチさんもだ。あの日、ケイティブレイブで4着だった同期の福永祐一騎手は福永調教師になった。フルキチさんはまだ騎手を続けている。舞台のど真ん中に立つことはなくなったが、それはそれでいい。ど真ん中だけが人生じゃない。それは私も痛いほど感じているから。
フルキチさん、まだまだこれからだ。
写真:かぼす、かず