2018年7月21日、福島競馬場。
ウイナーズサークルで肩を並べた馬主と騎手──大野裕氏と大野拓弥騎手の、笑顔が弾けた。
それは非常に珍しい『馬主と騎手、親子でのJRA勝利』の瞬間だった。
男同士の家族らしく、交わした言葉は非常にシンプル。
父は子に「サンキュー」と伝え、子は父に「良かったね」と答えたという。
その短い言葉には、長年の想いが詰まっていた事だろう。
父である大野裕さんは、父方の実家が中山競馬場の近所であったことがきっかけで、いつしか騎手を目指すようになったという。
野平祐二騎手に憧れていた少年は、夢半ばで騎手への道を断念し、家庭を築いた。そして三人の息子のと一人の娘の父として、一家の大黒柱として、「生活雑貨」を企画する会社を営むようになった。
そんな裕さんは、息子の拓弥さんがジョッキーを目指し始めた時「しめしめ」と感じたそうだ。
「(自分の夢だった騎手は)馬好きな息子が3人いるので、誰かが目指してくれればいいなと。中では拓弥が一番『合っている』気がしていましたが……」
そう話す裕さんだが、次第に想いは変化していった。
それは、拓弥騎手が騎手を本格的に目指す姿勢を見ての変化だった。
「競馬学校へ受験する時の、彼のストイックな姿勢を見て、親ながら脱帽しました」と。
──少年時代の拓弥騎手は、どのような少年だったのでしょうか?
という質問に対して、裕さんは「よく弟と昆虫やザリガニ採りをしていました」と振り返る。
「小さいながら、負けん気の強い子でした。あとは勿論、馬のことも詳しかったですね」と。
その負けん気の強さが、今の拓弥騎手の活躍を支えているのかもしれない。
大野拓弥騎手。
2005年にデビューした彼は、数年でこう呼ばれるようになった。
『穴の大野』
デビューから毎年、単勝万馬券となる穴馬を勝利に導いた拓弥騎手は、7年目(2011年)にして現役騎手最多の「単勝万馬券勝利」記録保持者となった。
重賞初勝利も同年の冬。
中日新聞杯で、ダノンバラードやゲシュタルトといった実績馬たちを相手に、11番人気のコスモファントムを勝利へ導いている。
さらにG1初制覇も「穴馬」での勝利だった。
2014年秋、スプリンターズS。
ストレイトガールやハクサンムーン、グランプリボスなど豪華メンバーが揃ったG1で、13番人気のスノードラゴンで勝利を掴み取った。馬場のコンディションを読み切った素晴らしいコース取りで、直線を大外から差し切り勝ちだった。
その後もインカンテーションやサウンドトゥルーなど、様々なタイプの馬を勝利へと導き、平場から重賞まで目が離せないジョッキーの一人となっている。
しかし、そんな拓弥騎手にも、辛い時期がなかったわけではないのだろう。
デビュー前、競馬学校の近くで会った父・裕さんに「俺は騎手になりたくなかった」と漏らしたという。
「料理人になりたかった」と。
──あの時が最初で最後の、弱音を見せた日でしたね。
裕さんは、そう振り返る。
父親に見せる、若き苦悩。
多感な時期であることに加えて、競馬学校という厳しい環境に身を置いていたのだから、当然の心境とも言える。
だが、いつまでも弱音を吐いているわけではなかった。
裕さんは最後に「帰り道のファミレスでフルーツパフェを食べたらケロっと帰っていきました」と付け加えた。裕さんが馬主を夢見始めたのは騎手を諦めた頃のことだ。しかしそれはあくまで『夢』というレベルだった。
だが、息子である拓弥さんが『大野拓弥騎手』となった時に、その『夢』が『目標』へと変わった。
そしてその『目標』が叶ってから約2年ほどで拓弥騎手を背に勝利を収めてしまうのだから、思わず小説のようなドラマチックさを感じてしまう。
今回の勝利は様々なメディアで記事になり、さらにはテレビでも特集された。
珍しさから、人々の注目は自然と集まった。
ただ、当の本人である裕さんは「これほど反響があるとは、正直驚いています」と語る。
驚きだけでなく、もちろん喜びや感激といった感情も湧いてきた。
「お世話になってる牧場さんや、特に地方競馬の調教師さん達から電話やメールをいただいたのは嬉しかったです。印象に残ってるのは地元の馬主さんからかけられた『ここ1年の苦労が報われましたね』という言葉。ジーンときました」とのことだった。
今回『親子タッグでの勝利』の立役者となったホクセンジョウオー。
彼女との出会いは、お世話になってる牧場さんに紹介されて見学に訪れた際の、一目惚れだったという。
ホクセンジョウオーの目標は、馬を見た時から『紫苑ステークス出走』と、見定めていた。
「昔から比較的拓弥と相性が良いレースなのと、牝馬であれば比較的出走できるチャンスがあるレースなので。購入した時に目標は紫苑ステークスと牧場の人に話しました(笑)松山調教師にもデビュー時にパドックで伝えています」
そう語る裕さんは、今回の拓弥騎手による勝ち星で、見事紫苑ステークス出走の切符を実質的に手にしたことになる。
しかし、拓弥騎手が紫苑ステークスでホクセンジョウオーに騎乗することはなさそうだ。
拓弥騎手に、他の騎乗依頼があったためだ。
「もちろん全て(自分の馬が出走する度に)乗ってもらいたいですが、まずは他の馬主さんからの依頼が優先です。自分の馬はあくまでも、空いていれば乗ってもらいます」
と話す裕さんに、親心を感じずにはいられない。
「拓弥を鞍上に口取りをするのが夢でしたので当然のように毎回空いてるかどうかスケジュール確認します。いつもラインを使っていますね。今回のホクセンジョウオー騎乗についても普段と変わらずラインで『乗れる?』『乗れるよ』というやり取りをしました」
そのシンプルなやり取りは、親子の信頼関係の証なのではないだろうか。
少なくとも私には、そう感じられた。
思わず「親子の会話は多いですか?」という質問を投げかけてみる。
すると「子供の頃は多かったのですが今は少ないですね。向こうは口下手なので(苦笑)」と返ってきた。
「(拓弥騎手は)親父のように上手く喋れれば俺はもう少し違ってた、と冗談を言います」と、裕さんは笑う。だからこそ「親子で似ている部分はありますか?」という質問に対しても「全てにおいて似ていないでしょう(笑)」という答えが返ってきた。
だが、レース終了後に送る短いメールは、デビューから今までの日課になっているという。
デビュー間もない頃は電話のやりとりもあったそうだ。
「デビュー当初は、悩みとか相談ではなくレース後に他愛のない事で電話がありました。今は滅多にないですが、たぶん行き詰まった時だったんでしょうね」
弱音を吐くでも、無理に聞き出そうとするでもない親子の絆が、そこに感じられるようだった。
裕さんは今も、拓弥騎手が騎乗するすべてのレース中継を必ず見るようにしているそうだ。
ジョッキーの父の想いとはどういったものなのだろう。
「一体どんな想いで見ているものなのですか?」という問いに「何とかひとつでも上の着順にと願っています。妻は気が気でないようです」と返ってきた。
こうしてお話を伺いながら振り返ると、この1つの白星は、どれだけ多くの信頼関係の積み重ねがあったのだろうと思いを馳せたくなる。
このインタビューで、印象的なやり取りがある。
「大野拓弥騎手に、改めて伝えたいことはありますか?」
「もう息子というより完全なアスリートなので、言うことはありません」
どうしてだか、私には胸が熱くなる言葉だった。
馬主としての最終目標を「拓弥を鞍上に重賞勝ちです」と語る裕さん。
きっとそれもいつか、この親子だったら実現するに違いない──そう感じた。
そう感じられるだけの『親子の絆』、そして実現するための『確かな歩み』を感じられたのだ。
最後に読者の皆さまにメッセージを……とお願いすると「いつも大野拓弥を応援していただきありがとうございます。ひとつでも上の着順を目指して頑張っていますのでこれからも応援の程よろしくお願いします」とのことだった。
拓弥騎手を、そして『親子での重賞制覇』を楽しみに、これからも応援を続けていきたい。
写真:大野裕、是松日向