[毎日王冠]ここに、我あり - 2004年毎日王冠・テレグノシス

時に人は、ある場所で結果が出ないと、自分の価値や能力、あるいは才能に疑いを持ってしまうことがある。
一度その疑いを持ってしまうと、それは徐々に身体を蝕む毒のごとく、心を締め付ける。

しかし、自分の能力や才能の有無を問うことよりも重要なのは、その場所が自分に合っているかどうか、を問うことなのかもしれない。

誰かにとって咲ける場所は、自分にとって咲ける場所ではない、ということ。
それを知ることは諦めでも逃げでも何でもなく、己を知るという能動的な肯定であり得る。

「自分を信じろ」とはよくいわれる言葉だが、自らの価値や才能を信じることは、なかなか一朝一夕には難しい。
けれど、自分が輝ける場所が必ず「ある」と信じることは、それよりももう少し簡単にできるのかもしれない。

そして、どんなに限られていようと、狭かろうとも、見つけにくくとも。
輝ける場所は、誰にでも必ず「ある」のだろう。


時に2004年10月10日。

東京競馬場第11レース、GⅡ毎日王冠。
府中の長い向こう正面、神無月の風を浴びながら、11頭が馬群を形成していく。

秋の東京開催の口火を切るこの伝統の重賞は、マイラーと中距離馬、夏を越した3歳馬と古馬が顔を揃える。古くはオグリキャップとイナリワンの激突から、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーの三強対決など、数々の名勝負をその歴史に刻んできた。

中距離、マイル路線の精鋭たちが織りなす馬群。
その先頭と最後方を、同じ勝負服がゆく。
黄・黒縦縞・袖青一本輪。伝統の社台レースホースの勝負服。

先頭を駆ける栗毛は、ローエングリンと横山典弘騎手。
今日もその快速を飛ばし、先陣を切ってゆく。

時候は寒露を過ぎ、秋の深まりを感じるころだが、同時に台風の季節でもある。この2004年も、台風22号の影響で前日の東京開催が月曜日に順延となったことで、この日が秋の府中の開幕初日となっていた。しかし、馬場状態の悪化は心配されたほどでもなく、朝から稍重での開催されていた。

何とか悪化せずに済んだ開幕週の高速馬場を利して、ローエングリンは前半1000mを59秒台の淀みないペースを刻んでいく。

そして。
いつも通りの最後方から追走する、鹿毛。
鼻先に伸びるすらっとした流星、右後一白、特徴的な差し毛の目立つ尻尾の美しい馬体。

テレグノシスと、勝浦正樹騎手だった。


「遠く」を意味する接頭辞”tele”に、「神秘的な直観」「霊知」を意味する”gnosis”をあわせた語である”telegnosis”。感覚・知覚を使わずに遠くの出来事を知ることを指し、転じて「千里眼」あるいは「遠知能力」「透視能力」と訳される。

その語をもとに名付けられたテレグノシスは、1999年に社台ファームで生を受けた。

父・トニービンは凱旋門賞を勝ち輸入された種牡馬、母のメイクアウイッシュはテレグノシスと同じく、社台ファームの生産馬だった。父のトニービンは、長く切れる脚と豊かな底力をその産駒に伝え、それらが求められる東京競馬場で多くの良績を残してきた。ベガ、ウイニングチケット、エアグルーヴ、ジャングルポケット…府中の大舞台で輝いた産駒が多く、実にトニービン産駒のGⅠ勝利13回のうち、11回が東京競馬場での勝利である。

テレグノシスもまた、その例にもれず、広いコースと長い直線の府中を得意とした。初勝利を挙げた2歳時の新馬戦、2勝目のうぐいす賞と、ともに東京競馬場での快走だった。

GⅡスプリングステークスで2着に入りながらも、適性を考慮してGⅠ皐月賞を回避して陣営が選択したのが、府中で行われるGⅠNHKマイルカップだった。テレグノシス自身の斜行による審議はあったものの、後方から脚を伸ばして重賞初勝利をGⅠの大舞台で飾る。1996年の創設以来、外国産馬が6連勝中だった同レースで、初めて内国産馬として勝利を収めるとともに、鞍上の勝浦正樹騎手も初めてのGⅠ勝利となった。

意気軒昂と挑んだダービーでは、さすがに距離も長かったのか、タニノギムレットの11着と大敗し、その後はマイル路線に焦点を定めるようになる。

4歳春のGⅡ京王杯スプリングカップでは、59キロを背負いながらも、一頭だけ上り3ハロン33秒台の豪脚を繰り出して圧勝。ここまでの4勝すべてが東京競馬場と、父の血を色濃く受け継いでいるように見えた。

その後、同世代・同馬主のローエングリンとともに、フランス遠征を敢行。欧州マイル路線の最高峰レースの一つである、GⅠジャック・ル・マロワ賞で3着に入る健闘を見せる。同じ年の暮れには、再びローエングリンとともに、GⅠ香港マイルにも出走するなど、積極的な挑戦を続けてファンを魅了した。

テレグノシスとローエングリンは、海外遠征のみならず、国内でも同じレースで顔を揃えることも多く、生涯で16回もの直接対決があった。その多くのレースで、ローエングリンが快速を飛ばして逃げ、テレグノシスが追い込むという展開だった。

いつも最後方から追いかけるテレグノシス。
彼の眼には、ハナをゆくローエングリンは、どんな風に映っていたのだろう。

明けて5歳となったテレグノシスは、GⅡ京王杯スプリングカップとGⅠ安田記念で連続2着に入ったあとに、先のGⅡ毎日王冠を迎えていた。

ローエングリンとは、8度目の競演だった。


3コーナーに差しかかり、まだローエングリンは単騎の逃げをキープ。
番手にはヴィータローザと幸英明騎手、それを外から人気の一角、重賞2勝の実績を持つブルーイレヴンと四位洋文騎手が仕掛けのタイミングを図っている。

内からは唯一の3歳馬、シェルゲームと北村宏司騎手が追走。その後ろにぴたりとつけているのが、前年川崎から移籍してきて芝・ダート問わずに好走を続けていたプリサイスマシーンと柴田善臣騎手。

青い帽子のテレグノシスはまだ最後方で動かない。

4コーナーをカーブして、馬群が固まっていく。

ローエングリンが先頭で直線を向く。
横山典弘騎手の手綱には、まだ手応えは十分にありそうだ。
その外からヴィータローザ、シェルゲームが差を詰めにかかり、最内からはプリサイスマシーンが脚を伸ばす。

勝浦騎手は、テレグノシスを大外に持ち出していた。
届くのか、否か。

残り200mを切り、ローエングリンはまだ2馬身ほどのリードを保っていた。懸命に追う横山典弘騎手に応え、まだ伸びる。馬場の真ん中からブルーイレヴンが脚を伸ばすが、脚色は前を行くローエングリンに分がありそうに見えた。

しかし、大外から、テレグノシス。
最後方から、鬼気迫る末脚。
差し毛の尾を舞わせ、伸びる。

残り100m付近でブルーイレヴンをかわすと、残すはあと1頭。
同じ勝負服の、ローエングリン。

ゴール板の、ほんのわずかに前。
内と外の馬体が重なると、並ぶ間もなく外の鹿毛が抜き去っていった。

差し切った、テレグノシス。
勝ちタイム1分46秒0。
半馬身差の2着に逃げ粘ったローエングリン、さらに1馬身差でブルーイレヴンが3着。

レース自体の上り3ハロンが34秒4と、開幕週らしい速い時計での決着。
その中でもテレグノシス自身の上り3ハロンは33秒4と、出走馬中唯一の33秒台をマークし、GⅠ馬の貫禄を見せつけた。

前残りになることの多い開幕週のレースで、最後方から差し切ったテレグノシスの強さが際立つ勝利だった。


この毎日王冠のあと、天皇賞・秋に挑んだテレグノシスだったが、距離も合わなかったか、勝ち馬ゼンノロブロイから大きく離された11着と大敗。
その後も7歳まで息の長い活躍を続けたものの、結局この2004年の毎日王冠が最後の勝利となった。

通算成績は37戦5勝(5-5-6-21)だったが、そのなかで東京競馬場の戦績は(5-4-2-9)と、複勝圏内に入ったレースのなんと7割を占めた。
父・トニービンから受け継いだ資質、それによる無類の府中巧者ぶりが、そこによく表れていた。

その府中での好走の中でも、前をゆく「僚友」ローエングリンを並ぶ間もなく差し切った、2004年毎日王冠の鬼脚は、ことさらに眩しく輝いている。

ここに、我あり。
ここが、わたしの輝ける場所。

そんな声が聞こえてきそうな、自らの血と才能を誇示するテレグノシスの末脚。

誰にとっても輝ける場所は、必ず「ある」。

伝統の重賞・GⅡ毎日王冠の歴史を彩る一つの勝利は、雄弁にそれを語っているのかもしれない。

写真:Horse Memorys、首都羅臼

あなたにおすすめの記事