時代を経ても色褪せない快進撃の始まり。ゼンノロブロイが勝利した2004年天皇賞・秋を振り返る

時代の移り変わりと天皇賞・秋

2024年7月3日(金)、紙幣のデザインが刷新され、時代の移り変わりを感じている。特に1万円札の渋沢栄一といえば、競馬の神様よばれた大川慶次郎氏が曾孫に当たり、なぜか親しみを感じた競馬ファンも少なくないだろう。

まだまだたくさん流通している1つ前の紙幣が印刷され始めたのが20年前の2004年11月1日(月)。その前日である2004年10月31日(日)に、東京競馬場では天皇賞・秋が行われた。

「帝室御賞典」時代を含めると1880年から行われているとされる天皇賞の歴史からみれば、この20年という数字はむしろ直近の歴史の一端に過ぎない。天皇賞・秋に関しては開催様式の変更を経て、今なお重要なレースとしてその存在意義を明確にしている。

2000mという距離設定は、上半期で宝塚記念を制するような中距離馬や天皇賞・春を制するような長距離馬だけでなく、安田記念を制するようなマイラーが参戦できる。さらには時期的にも、皐月賞やダービーを制するような3歳馬、牝馬三冠レースを制するような牝馬までが参戦可能。幅広いトップホースが集結する大一番として、天皇賞・秋は毎年多くの注目を集める。

主役不在だった2004年天皇賞・秋

2004年の天皇賞・秋のレース前はやや混戦模様を呈していた。前年の二冠馬ネオユニヴァースが、さらにはこの年のダービー馬キングカメハメハが相次いで故障で引退、宝塚記念の勝ち馬タップダンスシチーは凱旋門賞遠征と、主役候補がこぞって回避したことが影響していた。

押し出されるような形で一番人気に支持されたのが、ゼンノロブロイだった。

父は当時リーディングサイアーに君臨していたサンデーサイレンス(1995-2007年リーディングサイアー)。そして調教師もリーディングトレーナー藤沢和雄調教師(2002-2004年の他、計12回の最多勝利調教師)。当時最高峰のブランドが集約されたような馬だった。

ところがこの時点でGIは未勝利、重賞は2勝していたものの最後の勝利は約1年前の神戸新聞杯まで遡るほどで、相手が強いGIでも2~4着と安定はしていたものの、一方で前哨戦のGIIでも2着等、なかなか勝ちきれないレースが続いていた。

比較されるのは同厩舎の先輩だったシンボリクリスエス。青葉賞勝利から日本ダービー2着という同じ経歴から3歳にして天皇賞・秋、有馬記念を勝利し王座に君臨した偉大なる先輩と比較すると、この時点ではまだまだ劣っていると言わざるを得なかった。

しかし、ここで配された鞍上はそのシンボリクリスエスで当レースを連覇中だったフランスの名手オリビエ・ペリエ騎手。菊神戸新聞杯で圧勝した2000m、輸送が楽で紛れの少ない東京競馬場といった舞台設定はゼンノロブロイが力を出すにはこれ以上ない条件が揃っていたことから、当時GIを毎年のように勝利していたペリエ騎手が騎乗することで鬼に金棒と考えるのが自然だった。

2番人気には、安田記念2着、毎日王冠1着と得意の府中でその力を取り戻しつつあった2002年NHKマイルカップの勝ち馬テレグノシス。続いて安田記念の勝ち馬ツルマルボーイ、GIで善戦を続けていたリンカーンまでが1桁台のオッズに支持された。

それ以降にも牝馬ながら天皇賞・秋を勝利した女帝エアグルーヴを母に持つアドマイヤグルーヴ、GI3勝も故障で約1年ぶりのレースとなったヒシミラクル、皐月賞を勝利していたが当時はまだ喉なり等で本格化前だったダイワメジャー、さらには桜花賞を無敗で制していたが、オークス、アメリカンオークス、秋華賞で敗れ不振にあえいでいた藤沢和雄厩舎のダンスインザムードら、今思い返しても個性豊かなメンバーが揃っており、この年も2000mという舞台設定がそれを実現させていた。

この日は朝まで前日からの雨が降り続いており、朝の時点で芝コースは重馬場。10月末にしては肌寒く、現地で観戦するには上着は不可欠だった。

筆者は天皇賞・秋を観戦するのがこの年が初めてだったが、上京して間もなく都内の土地勘がほとんどなかった。当時、中央線・西武多摩川線の武蔵境という駅に住んでおり、どちらの線でも簡単に東京競馬場に行くルートが存在するのだが、京王線の府中競馬場正門前しか知らなかったことから、わざわざ京王線を使って朝早くから向かっていたのを覚えている。

また、携帯投票も未加入で、さらに競馬場内での歩き方も全くわかってなかったことから、到着してから余裕もなく早々に券売機に直行しては、それこそ当時の紙幣を使ってメインレースの馬券を購入し、その後はひたすらスタンドでレースを立ち見観戦していた。20年後の今となってはスマホで乗り換え案内、マップ、馬券購入は全て完結するだけに、競馬の楽しみ方も随分変わったものだと感じる。

終わってみれば当然の勝利

天皇賞・秋の発走時間を迎える頃には、馬場状態は稍重まで回復していたものの、厚い雲に覆われたままスタートを迎えた。

ゲートが開くと、ゼンノロブロイの黒い馬体とヒシミラクルの白い馬体が若干の出遅れ。どよめきが起きたが、すぐさま注目は先行争いへと移った。前年の天皇賞・秋を超ハイペースで逃げたローエングリンがこの年は横山典弘騎手とのコンビでハナを叩き、ペースを握る。

先行集団にはダンスインザムード、ダイワメジャーらが馬群を形成し、中団に武豊騎手騎乗のアドマイヤグルーヴ、そのすぐ横にゼンノロブロイのペリエ騎手がピッタリとつけた。さらに後方集団にはリンカーン、ツルマルボーイ、ヒシミラクル、テレグノシスらが虎視眈々と構えてレースが進んでいった。

前半1000mの通過タイムは1.00.1で馬場を考慮しても前年よりはゆっくりなペースでローエングリンが馬群を先導した。3コーナーから4コーナーに入っても各馬のポジションが大きく入れ替わることなく勝負は最後の直線に持ち込まれた。

馬場がだいぶ湿り柔らかくなっていたこともあり、また傷んでいる箇所もあったのだろうか、各馬は内と外で大きく開けて騎手が導いたそれぞれの進路からゴールを目指した。各馬が末脚を伸ばす中で残り300m付近まで前年同様にローエングリンが粘る。そこに迫ってきたのはその真後ろの経済コースを選択したダンスインザムードと、当時まだ25歳の若き新星クリストフ・ルメール騎手。さらに続いたのが武豊騎手のアドマイヤグルーヴ。この馬も経済コースを選択していた。

残り200m付近でダンスインザムードの黒い馬体が先頭に立つと、アドマイヤグルーヴもそれを追う。
しかしその刹那、馬場の真ん中から1頭だけ次元の違う脚で差し込んで来たのがゼンノロブロイとペリエ騎手だった。

同じ東京競馬場のオークスでは伸びあぐねたダンスインザムードだったが、この日はローエングリンを差し切り、アドマイヤグルーヴを振り切るとさらにもうひと伸び。桜花賞で披露した末脚を同厩の先輩ゼンノロブロイに対して繰り出したものの、この日のゼンノロブロイには敵わない。

ゼンノロブロイの見据える先は、偉大なる先輩シンボリクリスエスだったのだろうではなかろうか。

ダンスインザムードの切れ味をさらに上回る破壊力のある末脚でもうひと伸び。ねじ伏せるような強さでゼンノロブロイが先頭でゴールイン。ターフビジョンにはGIではお馴染みのペリエ騎手の笑顔とガッツポーズがゼンノロブロイとともにアップで映し出された。

2着にはダンスインザムードが入り、藤沢和雄厩舎の馬がワンツーフィニッシュを飾った。
帰宅後に観たテレビ中継で報じられていたが、地下の検量室前で藤沢和雄調教師は勝ち馬のゼンノロブロイの方ではなく、真っ先に健闘したダンスインザムードに駆けつけたという。藤沢氏にとってはダンスインザムードの復活が仕事の成果としては大きく、ゼンノロブロイの勝利は当然の結果だったのかもしれない。

移り変わる風景と歴史の1ページ

この天皇賞・秋の制覇を皮切りにゼンノロブロイの快進撃が始まった。GIどころか重賞でも勝ちきれないシーンを見せてきたのが嘘だったかのように、ジャパンカップを3馬身差で圧勝し、日本総大将の貫禄をみせつけると同時にシンボリクリスエスが勝てなかったレースをも勝利した。

さらに年末の有馬記念では、シンボリクリスエスのライバルでもあり、凱旋門賞参戦から帰国した宝塚記念の勝ち馬タップダンスシチーをしっかりと差し切り優勝。タイムはなんと2分29秒5のレコードタイムであった。この時計は20年経過しようとしている2024年の10月現在でも破られておらず、未だに中山芝2500mのレースが行われる度に「ゼンノロブロイ」の名が表示される。

また、同年における天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念の勝利はテイエムオペラオー以来史上2頭目の秋の古馬王道戦線の完全制覇となった。この記録もゼンノロブロイが最後となっている。ゼンノロブロイは引退後、種牡馬としてサンテミリオン(2010年オークス)、マグニフィカ(2010年ジャパンダートダービー)のGIホースの他、トレイルブレイザー(2012年京都記念等)、バウンスシャッセ(2014年フラワーカップ等)、ペルーサ(2010年青葉賞)らの重賞勝ち馬を輩出後、2022年の9月にこの世を去った。

ペルーサが後継種牡馬となったものの現在は種牡馬を引退。直系種牡馬で血を紡ぐ可能性は低くなってしまっているが、ブルードメアサイアーとしてはアスクワイルドモア(父キズナ)が2022年の京都新聞杯を制する等、まだまだこれからゼンノロブロイの血を受け継ぐ馬たちが活躍する可能性は十分にある。

ゼンノロブロイの快進撃が始まった2004年天皇賞・秋から20年、紙幣のデザインが一新されるばかりか、電子決済が主役の時代が到来しており、競馬においても馬券購入や指定席購入・入場において、その風景が全く変わってきている。

しかし、今も変わらず天皇賞・秋は東京芝2000mの条件で行われ、各路線からトップホースが参戦し、盛り上がりをみせている。一方でトップホースは間隔を開けて使われることが多くなり、ぶっつけ本番で臨む馬が増えた一方、秋古馬の王道3戦をすべて使う馬は減ってきている。

それだけに、ゼンノロブロイの成し遂げた功績は時代を経るほどその価値を高め、歴史の1ページとしてファンの心に残り続けることに違いない。

気づけば久しく紙幣を使って紙馬券を購入していない。財布から新紙幣を取り出しては馬券を購入し、あわよくば何倍にも増えた新紙幣を機械から引き抜くあの感覚を久々に味わってみるのも悪くない。そして目の前で繰り広げられる歴史の1ページが追加される瞬間を見届け、胸に刻みたい。そう、20年前のゼンノロブロイが勝利した天皇賞・秋のように──。

Photo by I.Natsume

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