2008年3月4日。
5歳牝馬アドマイヤキッスは右第3中手骨の骨折加療中に馬房で暴れた際、同じ部位を開放骨折──それは、手の施しようの無い重症であり、すみやかに安楽死の処置がとられた。
すでに重賞4勝を挙げていた、当時の現役で有数の名牝。彼女が長いトンネルを抜けて復活を遂げた京都牝馬Sから、僅か30日後の出来事だった。
3歳春の桜花賞準優勝以来、G1に7度に渡り挑戦。掲示板を外したのは1度だけながらも、他の強豪が常にアドマイヤキッスに先んじた。
彼女は当時隆盛を誇ったアドマイヤ軍団の牝馬部門をつかさどる存在であり、軍団の鞍上を担った武豊騎手が「折り合いもつくし乗りやすい馬」※1 と高く評価する存在でもあった。
しかし、中央移籍後に競馬界を席巻する活躍を見せていた安藤勝己騎手を鞍上に据えた関東馬・キストゥヘヴンや、西のベテラン・本田優騎手が駆るカワカミプリンセスらを相手に、大レースでは常に後塵を拝してしまう。
そんなもどかしいアドマイヤキッスを好むファンは、彼女が勝ち馬に少々遅れてゴールインする度に、諦念のこもったため息をついた。まるでその敗戦を、戦前から予期していたかのように。
松田博資調教師ら関係者からすれば悔しい競馬の繰り返しだったが、大レースにおけるメインキャストの1頭として、アドマイヤキッスは競馬場に在り続けた。
大舞台における主役の1頭に彼女がのし上がるきっかけとなったレース……それは非業の死を遂げた日からちょうど2年前、2006年3月4日のG3・チューリップ賞にほかならない。
この重賞は、アドマイヤキッスと武豊騎手とが初めて巡り会ったレースでもあった。
「無敗の2歳女王・テイエムプリキュア VS 新勢力」こそが、このチューリップ賞の戦前の展望だった。
片や主戦の熊沢重文騎手を直前の骨折のため欠きながら、ここをステップに桜花賞制覇を狙うテイエムプリキュア。走りに派手さは無いが、3戦3勝で2歳G1を奪取した実績が何よりも同馬の力を証明していた。
一方、この女王に立ち向かう筆頭はサンデーサイレンス産駒の良血馬アドマイヤキッスだ。こちらの実績と言えば、デビュー以来3戦して未勝利戦を勝っただけ。実績らしい実績は無く、さらには初勝利以来半年ぶりの実戦と、臨戦過程も万全とは言えなかった。
新勢力の筆頭と目されたアドマイヤキッスの強みは、生産者のノーザンファームの関係者も「誰もが目を引く素晴らしい馬体」※1 と惚れ込むフィジカルの良さだった。
血統自体も母キッスパシオンがオープン級の活躍馬と悪くはない。だがその血統や6000万円オーバーというセレクトセールでの落札額以上に、アドマイヤキッスの評判は高かった。
幼少期、ノーザンファームの並みいる高馬たちの中に身を置いた上で、トップクラスの評価を得ていたというのだから、尋常ではないだろう。
それに加えて、アドマイヤキッスの傍らには「天才」武豊騎手がいた。当時の日本競馬において、これ以上頼もしい鞍上は存在しなかった。本番の桜花賞……いや、2006年の牝馬クラシック戦線の主演女優となるべく、アドマイヤキッスら16頭はゲートを飛び出すと、ゴール板へ向かって一目散に駆け出した。
改修前の阪神競馬場のおむすび型コースにおいて不利とされた外枠に配された2番人気アドマイヤキッスは、スタートをそろっと決めて後方に陣取り最初のコーナーを回る。
ペースは時計の掛かる馬場に鑑みれば平均ペースといったところ。決して急流ではない。馬群に入れたテイエムプリキュアを外から眺めながら、虎視眈々と武豊騎手は勝機を待ち構えた。
「天才」は3コーナーで動いた。
本命視された2歳女王もほぼ同じタイミングで仕掛けたが、2頭の反応には明らかな差があった。
直線入口にて大外からアドマイヤキッスが一気に馬群をさらっていく。慌てふためく、内にいた牝馬たち。その中でただ1頭、芦毛のシェルズレイが頑強に抵抗してみせたが、アドマイヤキッスがゆったりとした大跳びのフォームから豪脚を繰り出し、激しい追い比べを制してねじ伏せた。
3着には道中最後方の伏兵ウインシンシアが突っ込み、勝負所で遅れたテイエムプリキュアはその次の着順に敗れ去るという結果で、チューリップ賞は幕を閉じた。
1分36秒5という勝ち時計の額面は平凡だったが、レース当日の阪神の馬場を考えれば悪くないレベル。この勝利で、アドマイヤキッスは一躍“桜花賞戦線の主役”に成り代わった。
翌週のG2・フィリーズレビューで4連勝を飾ったダイワパッションはマイルの距離に不安があり、当面の強敵は東のステップレース組。例えばフラワーCを使ったキストゥヘヴンとフサイチパンドラや、アネモネSを快勝したアサヒライジング、クイーンC勝ちのコイウタあたりが有力馬と考えられていた。洋々とした前途が、桜舞台の主演女優を演じるアドマイヤキッスの眼前に広がっていたはずだった。
しかし桜花賞はスリムなキストゥヘヴンが、オークスと秋華賞は新鋭・カワカミプリンセスがそれぞれ勝利した。牝馬三冠レースでいずれも1番人気の支持を受けながら、2、4、4着と惜敗を続けたアドマイヤキッスは、秋華賞後に余力でエリザベス女王杯に出走するも5着(6位入線からの繰り上がり)に敗れ去った。
年内7走目となる暮れのG3・愛知杯をトップハンデを背負うも力の差を見せつけて勝利した彼女だったが、以後は長い不振期に苦しんだ。翌春のヴィクトリアマイル(コイウタの7着)を最後に、武豊騎手がアドマイヤ軍団の主戦の座から降板したのも、柔らかい走りを身上にする彼女にとって不運だったことは間違いない。同2007年の安田記念以降、川田将雅騎手、岩田康誠騎手、安藤勝己騎手と2戦ごとに鞍上を替えて臨んだが、結局年内は結果が出なかった。
華やかな3歳時を終えた後、愛しの本田優騎手を調教師の世界へと送り出した世代最強女王カワカミプリンセスも、古馬になると一転して苦境を迎えた。安藤勝己騎手とコンビ解消したキストゥヘヴンも、桜花賞後は負け続けた。そして下の世代からウオッカ&ダイワスカーレットという超弩級の二大巨頭が飛び出すと、これらG1ウイナー2頭はますます立つ瀬が無くなった。
後に6歳で突如再ブレイクを果たすテイエムプリキュアも3歳時以降惨敗を繰り返し、ダイワパッションやフサイチパンドラは4歳いっぱいでお嫁に行き、好調期を迎えていたアサヒライジングもやがて脚部不安を発症して表舞台から消えた。
その一方で、恋人の「天才」との悲しい別れを経験したアドマイヤキッスは、新しく鞍上に迎え入れた安藤勝己騎手の手綱でとうとう再生する。
明けて5歳を迎えた翌2008年2月3日、G3・京都牝馬Sでの出来事だった……。
時は2018年。
この年の日本競馬はアーモンドアイという1頭の天才牝馬によって一色に塗り替えられた。同馬の母は、アドマイヤキッスと共に2006年の牝馬三冠を戦ったフサイチパンドラである。また、2006年春に一瞬ではあったが鮮烈な印象を残したダイワパッションは、5歳年下の三冠馬オルフェーヴルとの間に皐月賞馬エポカドーロを産み出した。シェルズレイやコイウタの繁殖成績も好調だ。一つ年上のシーザリオやエアメサイアといった名繁殖牝馬に負けず劣らず、2006年の戦友たちは産駒を残すことによって、後世に多大な影響を及ぼしている。
それだけにアドマイヤキッスの不慮の死は、返す返すも残念でならない。
名馬は記憶と子孫を残すことで、競馬の歴史を紡ぐ存在になり得る。
お嬢様らしいおっとりとした気性。
その走りは優雅で気高く、綺麗な形の流星を携えた品のいい顔が今も脳裏に浮かぶ名牝アドマイヤキッス。
彼女は子孫を遺せなかったが、生前の記憶を文章によって留めることはまだまだ可能であるはず──そのために、私はこの記事を書いた。
有名無名を問わずサラブレッドは、忘れ去られたらそこで試合終了なのだから。
※1「優駿」2006年5月号
写真:Horse Memorys